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お腹いっぱいでも夜にはお腹がすく

まいにちたべるたくさんねる

わたし

 

 

 

わたしというのは 夏より冬が好きで でも夏の好きなところだってあります。

暑くて自然に汗をかくのが 時に気持ちのいいところ

夜、車の窓を開けるとびゅんびゅんと、風が、よくて、虫の声がうるさいところ

太陽が元気なところ

サンダルでのお出かけが気軽なところ

 

わたしというのは 春も秋も気候だけだと好きだけれど 春、秋と言葉にするとあまり好きではない。

春は 出会いと別れ 楽しめる子達 楽しめないわたし 桜が咲くのは嬉しいけれど 満開になると少し悲しくなる

桜の満開は 観覧車の頂上と同じ

秋は 植物が沈黙に向かう感じがして寂しい 夏より冬が好きなはずなのに 夏から冬に向かうのはとても寂しい

人肌恋しいなんて普段思わないのに 秋になると思ってしまう自分もなんか嫌やよね〜

 

わたしというのは 大きめサイズの服が好き

大きなお尻が隠れるし 上半身のシルエットの大きいことが好きだから。

最近履かないけれどサルエルパンツも好き。お尻がだぶっとしてて くるぶしで閉まってる逆三角の形が好き

だばっとしたセーターやトレーナーの中にシャツを着るのが好き 男も女もそれをしてればまず間違いないよねっと思う。

セーター スキニー コンバース で大体みんな大丈夫じゃんと思う。

 

わたしというのは 赤が好き。

鏡を見た時 自分の中のどこか1つか2つか3つ、赤が入ってると 嬉しくなれる。

紺色も好き。紺色と赤の対比がおりなす調和が好き。

黒も好き。黒はすごく好き、一時期はオールブラックにはまっていた。

黒は 赤に似てる。毅然とした態度が。

他のどの色より圧倒的だと思う。

だから生活空間に 身につけるものに 黒と赤があることは わたしにとって絶対だという気がしている。

 

わたしというのは これは変な話だけれど腹痛が好き。

お腹いたぁーい!となるとほんとに苦しいし痛いのだけどなぜか好き。どうしてやろう。これは一種の性癖なのだろうか。

しばかれるのも好きやから ドMなんやろう。

いや、違うか。

しばかれるというか どつかれるのが好きなんですよね。

自分が 馬鹿なことをしたり ふざけたりした時に どついてくれる人と一緒にいることは安心なことじゃないですか。

どつき どつかれる関係というのは わたしにとって不可欠だ。

 

わたしというのは 食事をしている時に喋るのが少しだけだけれど苦手。

お酒を飲み、食べ物をつまむ時に喋るのは楽しいしまったく苦ではないけれど

ラーメンを食べたり、定食をワンプレートを丼を食べたりする時に 相手が面白いことを言うと、食べながらうまく笑えなくて 申し訳ない気持ちになるからだ。

だけれども 食事をしながらの無言が大丈夫な人と大丈夫でない人がいるのも難点である。

あと、自分の食べているものを差し出し、相手の食べているものを一口もらうというのがすごく好き。

「美味しい!」「こっちにすればよかった…」「もうちょっと食べてもいいよ」「美味しいけどわたしのやつの方が美味しい」

1つの味に対する複数の意見が聞けるのは面白い。

友達の梅木は、それぞれ違うものを食べている時にわたしが「美味しいなあ〜」と言うと「いや、美味しいは共有できひんからそんなこと言われても うんたらかんたら…」とつべこべ言うのだけれどわたしはそれがとても好きだ。

そこで 「うん、美味しいなあ」と返されることももちろん好きやけど、梅木独特の屁理屈がとても良いと思うのだ。

そりゃあ、食べてるもの違うもんね。うふふ。

 

わたしというのは 夕方の住宅地が 1人で歩く時は時々苦手、誰かと歩く時は好きだ。

焼き魚の匂い 青椒肉絲の匂い、お味噌汁の匂いカレーの匂い

「今日の晩御飯は〇〇ですか!」と大きな声で言って、一緒に歩く人にうるさいと言われるのも楽しくて好き。

何のお料理の匂いかを当てるゲームが好き。

結局答えはわかんないけど、自分が断固として導き出した答えを覆されたりするのが面白い。

家の庭然としたお花の匂いのするのも、住宅地のよいところだと思う。

その匂いがなんの匂いかを知っているときは、わたしはとてもよい母に育てられたなっと思う瞬間の1つだ。

 

わたしというのは、喉が渇いたときに果物が食べたくなると、わらしべ長者を思い出す。

どうしてお馬に乗ったお嬢さんは、喉が渇いたからお水、ではなくて蜜柑を欲しがったのかなといつも思う。

蜜柑、、確かに水分が豊富やけれど。

そこらへんの井戸から井戸水をくめばいいのに。

でもわたしだって喉が渇いたから苺が食べたいな、と思うことがあるのだし わらしべ長者だってお嬢さんが蜜柑を欲しがったから億万長者になったのやから よいのやけれども。

 

わたしというのは 自分のものが好き。

例えば 全種類匂い比べて 買ったオーデコロン

例えば 自分でびびっと来て 買ったジージャン

例えば 雑貨屋さんで目が釘付けになって買ってもらったマグカップ、キウイバードの置物

好きなものはずっと好き。

人は 環境によって変わったり 仲良くなっていろいろ知ってしまったりして 好きじゃなくなってしまうことがあるけど

ものにおいては そういうことがない。

お店で見て 匂いで 確認したまま わたしの世界に来てくれて 馴染んだり色褪せたり古めかしくなったりはしても そのものは変わらないから。

 

 

 

 

 

今日はわたしのことをとことんかいてみたけれど、意外にどんどんでてくるものだ。

まだまだきっとかけるだろうな。

でも寝なきゃ、眠たいしな。

もうすぐ桜だ、と思いながら桜の木を見上げるのだけど、全然蕾がピンクに染まらないな。

そして先輩が卒業したの、嫌だな、本当に嫌だな。

わたしは馬鹿なことをして先輩に見守られたりどつかれたりつっこまれたりするのがすごく好きなのに。

 

おやすみなさあい

 

 

 

濃い春の花の匂い

 

 

最近ブログも私生活もなんかネガティヴに。

なってたんですけどすごく

こんなネガティヴだとは思わなかった自分。

 

沈丁花の盛りですね。

すごくいい匂いが町中に、しております。

姿は ちゃんと見たことないんですけどわたし。でも母が「もうすぐ沈丁花やね〜、あの匂い大好き」と言っていたので この匂いかな〜と思って それということにしています。

 

見守られている安心感というのは本当に心地よいですね。

自分たちが はしゃいでいるのを 見て笑顔で、時にクスッとして 一緒に笑ってたまにはしゃいでしてくれる人たち。

それが心地よいことを わたしずっと忘れてました。

大学生になって大好きな先輩が何人か出来てから思い出しました。

わたしと妹のはしゃぐのを見守ってくれた周りの大人たち。そういうの忘れていたよな〜

 

4回生って 2つしか歳は変わらないのに 大人ですよね〜。

うんと 自分たちよりものを知っていて 経験もたくさんあって 懐も深いような そんな気がします。

先輩というのは いつまでも先輩ですよね。

年の差が縮まらないし。当たり前ポエムやな。

 

卒業ですって、今週の日曜で、もう、卒業ライブですって。

びっくりするよな〜

 

魅力を獲得するのってすごく難しいですよね。

なんかね、オーラめいたもののあるというか

いるだけで存在感のある人になるのは。

小ささであったり大きさであったり 高さ低さ おしゃれさだったり顔の綺麗さだったり

人それぞれセールスポイントとか目立つ力となるものは違うわけですけど

ただ 大きくても ただ 顔が綺麗でも ピカピカ、しんしん爛々と発する 魅力って手に入らないと思うんですよ。

やっぱり 存在することへの自信、確信、周囲からの容認が1つの要素として大事かなってわたし思います。

 

そういう、ピカピカの魅力のある人が ね、4回生の先輩には何人もいて

やっぱり舞台に立たはるからかなあ、と。

舞台に立つ4人5人6人のうちの、1人として確実に存在してきたことが その人の魅力になるんやと思う。

舞台に立って 俺はここや!私はここや!という気概のない人は(わたしも含めて)かっこ悪いですからね〜、、はい。

なんの話してるんかわからんくなってきた。

 

まあ、あれですよ

そんなピカピカ爛々しんしんな絶対的先輩たちが卒業しちゃったら 寂しすぎるなあって話で。

まだ全然実感がわかないから 寂しさにもリアリティがなくて、あれなんですけど

恐ろしいです日曜日。卒業の儀式が行われるわけですよ

去年は前日練習の時点で泣いていたのになあ

今年はほんとに実感がわかないや〜

 

存在することに自信のある人は、すごく強いよ、ぜったい。

 

母も、昔の(大嫌いな)祖母も、背筋をしゃんと伸ばして 存在することに自信を持って、毅然とした態度で存在しはる、しはってたんですよ外出の際。

ものすごく目立つんですよね、人がたくさんいたってすぐに見つけられる。

別に振り返られるほど異彩を放つわけじゃないんですけど、ただ、目立つんです。紛れない、馴染まない人たち。悪目立ちもたまにしてしまうんですけど。

順当に行けばわたしもそうなるはずやのになあと思いつつ…

 

女の人も 男の人も

女であること 男であること 捨てたら終わりやと思うんですがどうでしょうか。

別にあれですよ女たるもの!みたいなジェンダー論ではなくて。

突き詰めれば 性別だって自分らしさでもあるわけで 女でなければ自分ではありえない私が今女として、生きているわけですよ、ね?

だから、うん

自分らしく 自分として いられなきゃ終わりですよ。

 

それは 若い頃には 比較的簡単にできて

年を取るほどむつかしいねんやろな〜。

でも 人としての味って 大人になんなきゃ しゅんでないわけで

濃い人生の濃い味がしっかりしゅんだ大人になりてえな〜

 

先輩の卒業嫌やの話から飛躍しまくりましたね。

寝ましょうね。

 

おやすみなさあい

 

 

あ〜〜これこれ

 

 

 

 

最近、いい映画をたくさん観ました

高校のときの友達と遊び、学部の友達とも遊び、来週には中学のときの友達と遊ぶので いい時間を過ごせたし、過ごせると思います

 

それなのにわたし、友達より外の 時には友達とさえ LINEなどのやりとりをするのが恐ろしいです

どうしてしまったんでしょうね 唖然とします

 

バイトを始めるんですよね、来週から。

それはもう恐ろしいんですけど、わたしにとって。

新しいことなんて、極力始めたくないし

外の世界とは極力関わりたくないし。

 

自分の話してるのの録音をきいたら

非常にウケるんですけれども

五歳児が喋ってるみたいなんですよね。

わたし、もう二十歳になったのに。

成長をまじでしてないんですよ、しかも望んで。

 

恐ろしいな、どうしようか?

将来なにになる?

わたしがそもそも 外の世界と関わって やっていけるのか?

なにをするにも なにかに関わらなくちゃいけない。

 

病気なんかなあと思うほど なにもかも恐ろしいですね。

ほんとに、情けない

 

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ゆうかと食べた串、めっちゃ美味しかったな。。。

 

毎日、お酒を飲んでたくさん食べて それでお散歩をするというのは

リハビリのようではないですか?

わたしは、なんとかこの世界に馴染むためにリハビリをしている、していた…のかもしれない。

 

バイトも、週2なので たぶん 忙しすぎることはないと思うのですが…

週に1つ、予定が入ってるだけで結構前までいっぱいいっぱいだったのですが

最近は まだましになってきたというか 週に2つ3つくらいなら、大丈夫になってきたので

なんとか耐えられたらいいな、と思います。

 

なんだ?この個人的で面白くない話。

ごめんなさいね〜なんか、もうね〜

 

みんなさんは、人と関わる際になにを考えていますか?

わたしは「普通にできてる?変じゃない?不快に思われてない?嫌な気分にさせてない?大丈夫?劣ってるのが露見してない?」と考えながら、フルにそればかりで おります。

よく、言うじゃあないですか人見知りというのは、相手のことを考えられるから よい性質であると。

でも 人見知りのみんながみんな そういうわけではないですよね。

わたしみたいに 劣ってること露見しないように必死な人見知りだって、いる、でしょ、、?

彼氏と話してても 自分が馬鹿で 人々より劣ってるってことを突きつけられるだけなんですよね…

ごめんなさいごめんなさいって 思いながら…話してます、はあ…

 

グズだから 人を不快にさせるのわかってるから

人と関わるの嫌なんですよね〜〜〜〜〜〜

人のこと考えられるグズじゃないですか?

エコやん

 

 

 

 

洗濯物を 部屋干しにするのは 加湿のあれも兼ねてるんですけれども

さっきまで寒かった部屋が、洗濯物を干すと 湿度が上がって むわっと 少し暖かくなったような気がするんですよ

そりゃ暑いよね日本の夏はと。

思いました。

除湿機をさ〜〜〜 日本中にね。設置したら涼しくなりそう。

悪いのは湿気ですよ

カビだって 湿気のせいやし 暑いのは 湿気のせいやし

 

花粉ですね。

鼻水がたらたらと垂れて来ますよ。

ティッシュの山。

 

寝なきゃ。

おやすみなさあい

 

 

レイトショー終わりの静かなイオンが好き

 

 

 

 

『素晴らしきかな、人生』観てきました。

レイトショーで、ひとりで。

 

観るべきか観ないべきか すごく迷ってたんだけれど

ララランドをもう一回観ようと思って 上映表を観たら、もう21:25〜の回がなくなっていて、代わりに 素晴らしきかな人生が その時間帯にやっていたので

おまけにものすごく家に1人でいたくない気分だったので、観ました。

 

映画として、すごく面白かったと思います。

でも 取り上げる題材が わたし個人にとって 重くて、のっけからずっとずーっと泣いてしまってて もう一回観なきゃ映画としてのほんとの良さがわからないかなっと思っています。

 

死を題材にする映画や本の基本として、絶対に最後まで辿り着かないんですよね。

最後というか、結論に。

「〇〇をやれば立ち直れる」とか「〇〇と考えれば大丈夫になれる」とかは、どれもこれも教えてくれなくて、

だって誰にもたぶん、わからないんですよねそんなこと。

大切な人を失った人が 完全に立ち直れたり完全に大丈夫になれたりは きっと絶対にしないんです。

 

元どおりになりたくて、失う前みたいに 戻りたくて もがくしかできなくて

もがいてるうちに なんとか少しだけ大丈夫になるのが精一杯で

どうして自分は平気に生きてるんだろうとか 周りの人たちの大切な人は生きてるのに 自分はなんで大切な人を失わなくてはいけないんだろうとか 自分の大切な人が可哀想で、いやもう可哀想とかじゃ表せないくらい、いろんな感情で いっぱいいっぱいになって

でもわたしも、いろいろでいっぱいで どうして自分が死なずに生きてるか わかんないまま生きてるんですよ

 

元々 持ってるものを 自分で得たわけじゃなく 生まれた時から 物心ついた時から 当たり前に持ってたものを もぎ取られるというのは恐ろしいことなんですよね。

そういう経験のある人間にとって、というかわたしの一意見なんですけど、もうね、得ることって、失うこととセットなんですよ。

 

大切なものを得ると いつか絶対に失う

幸せになると 後で幸せじゃなくなる、つまり不幸に突き落とされて

 

全部 セットで

だから得ることは本当に恐ろしいことなんです

失うことを知ってる人間にとって。

 

映画の中のウィルスミスを見て、すごく痛々しい男性の演技を見事にしてはって、

それを見てね、わたしだって こんなに痛々しくても 本来許されるやんって思ってしまいましたね。正直。

大切な人を失ったら、大切な人がこの世にもう存在しない っていうことと 死ぬまで戦わなくちゃいけないんです。それも 常に。

 

まだ失ってない人が 普通に電車に乗るときだって 普通に授業を受けている時だって 普通に夜景を眺めている時だって 常に戦わなくちゃだめなんです。

 

それでね、そういうことは 絶対に 誰しもに 訪れるんです。

わたしは 平均よりそれに直面するのが早かっただけで。

みんなにも 平等に 起こることで いつ起こるかもわかんないんですよ

そう思うと生きることってほんとうーに、恐ろしくないですか?

 

どうしてこんなことをブログに書くかっていうと

口から言葉にすると 泣いちゃって喋れないし 誰に話すでもないからです。

でも誰かに、恋人に、大切な友達に、少しでもわかって欲しいから、だから書くわけで

結局は ものすごくかまってちゃんで甘えたクソ野郎なんですよねわたし。

 

大切な人を失うことなんて 経験しなくちゃわからへんし 理解して!なんて無理な話で 想像もつかない苦しいことで、不幸自慢?なんて言われてしまうかもしれないけど、、、

永遠に逃げられないんですよね、わたしは妹の死から、そしてたまに父親の死から。

 

映画を観て 本当に悲しくなって、泣きながら自転車漕いで家路についたんですけど

家の前にカップルおって なんか 前に人おる状態で 鍵開けて入んの嫌じゃないですか、しかも家に1人で 全然、帰りたくなくて、泣いてるし

それで 布施のセブイレに 行きました。

また泣きながらチャリ漕いで、らおたんとシフトやから来ていいよってもりやまくん言ってくれて、チャリ漕いでたら涙も引いて

ついて らおたん 頑張ってお仕事してて 面白かったし もりやまくん 大丈夫だよって言ってくれたから

とりあえず大丈夫になりました。

 

わたし、定期的に バグるんですよね。

もう どうしようもなくなって どうしようも、ほんとに 自分で自分が手に負えなくなってそれで、必然 いつも一緒にいるもりやまくんに しわ寄せがいくわけで

最近 もりやまくんはそういうの、わかってくれてるっぽい?ので、助かります。

帰り道には 泣かずに済んだので。

 

というわけで 眠たいので 寝ましょうね。

おやすみなさあい

 

 

 

プラスを見てマイナスになる人間ですわたし

 

 

 

今日は、というか3/5はサークルの新歓ライブのオーディションだったんですね。

みなさんの活力みなぎるツイートに よかったねえ〜☺️っという気持ちになっております(特にもりやまくん!)

 

アカペラって 4〜6人でやるんですけど

楽器のバンドも 3〜多くて7人くらい?でやるじゃないですか

1人じゃできないですよね。

だから自ずと 向き不向き出てきますよね〜。

 

どうなんですかね

ビジネスライクに割り切れたら 1人でもできるのかな?

よっぽどアカペラが好きで あるいはロックがジャズが 好きで

バンドを組まなきゃできないなら!1人じゃ無理なら!って 頑張って組めば ね。

できなくはないんでしょうね。

 

でも 思うんですけど

全然仲良くない集団の奏でる音楽って 全然魅力がなくないですか?

練習するときに 楽しくなかったり 休憩とか移動とかの空き時間に 会話のないバンドの音楽ってたぶん つまんないですよね。

楽しい歌を歌ってても 視線のぶつかりで楽しさの共有をして にっこりしないバンドより するバンドの方が一億万倍、"よい"ですよね。

 

仲良い集団って 2人組でも3人組でも6人7人でも 見ててすっごく 楽しくなれること、ないですか??

例え下手くそであっても

んー、音楽を専門にしてない人たちが 同じ歌を、ばらばらの自由なキーで歌ってても その歌には魅力があると思うんですよ。

 

上手いだけの音楽なんて 抜いてですよ。

魅力がない歌なんて ただの音波ですよ。

 

だから、1人が好きな…というより、

集団が苦手な、他人が苦手な人間に 集団でやる音楽なんてできないんですよね、たぶん。

ギターなりピアノなり弾いて 自分で 1人ででも楽しめる音楽を やるべきなんですよそーゆー人は。

 

わたしはぜーんぜん、サークルを愛せなくて

一回生も先輩も 少しでも距離の遠い人とは仲良くする気力が起きなくて そもそも興味もなくて

そうして興味ない人とは喋れなくて だから必然 サークルにおいて喋れる人も好きな人もすごく少ないんですけど

そうなるとその中で 音楽をしなきゃ楽しくなくて とか、ね。

なんて視野の狭い、自己満足な、って 唖然としますね。

 

技術的な面なんて 努力すればいいので 技術面で向いてない ってわけではなく

人間的に アカペラが向いてないんですよね

困ったな…

しかもやりたいのは 人を元気付けるような楽しくさせるような みんなの知ってる邦楽でって、ね。笑ってしまう馬鹿馬鹿しさですよこの矛盾。

 

なんで誕生日にこんな気持ちにならなきゃいけないんや??

オーディションがあったからじゃないですか!!あーあ…

 

アカペラやりたいですけどね、わざわざ忙しい人たちに自分のために集まってもらって頭使ってもらうなんて、もう、ね、できないよ

去年は できたけど 今年はもう無理無理だよ

アカペラ始めた当初から 誘ってもらった時も「わたしなんかが誘われたのわけがわからないな メンバーじゃないかもしれないぞ」と思ってバンドラインとかに返事できなかったですしね。

 

先輩に 舞台に返り咲きますよ!と大見得切ったのになあ

失望されるだけだなあ

 

でも、見切りつけどきだと思うんですよ。

みんな 頑張ってて それで わたしは 頑張ってなくて 見にも行ってなくて。

こんなに違うんだから 諦めもつきますよ。

母親までもを失望させたくはないから、辞めることはしないけれど 例会もたぶん全然行かないよ、この先。

 

十分いい思いしたしね。

横浜行って公園で大声で歌って箱ライブ出てサークルライブにも出て。

上手な人たちとアカペラをするのは楽しかったなあ〜

 

課題バンドは ちょくちょくやろうかな 合宿も今年から行かないことにしてるし

さようなら!!だ。

 

 

 

じゃあ

おやすみなさあい

 

 

はっぴばすでみー

 

 

 

わたし、ティーンではなくなりました

ハタチです

 

でもわたしは 自分の基準で生きているので ハタチやからって大人の仲間入りとかじゃないです

子どもです、まだ。

周りの認識はでも変わるんだろうね

「ハタチなったんやから ちゃんとしなさい」とか そういう風に言われるのかもしれない。

できるだけ、みんな言わないで、ネ

 

今日、3月5日がわたしの誕生日なのだけど

サークルの新歓オーディションがあって もりやまくんは それに出なくてはならないので、

1日早くお祝いしてくれました。

 

びっくりした!

ほんとに!プロ彼氏やん!と何度も叫んでしまいました。

 

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道頓堀リバーサイドの こんなオシャンティなとこを予約してくれてて

しかも ハピバスデーの パチパチ爆ぜるケーキまで予約してくれてて(店内BGMがハピバスデーに変わった時、わたしは「他にも誕生日の人がいるんや〜」とまさか自分のための音楽とは思っていなかった)

 

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 ケーキ来た途端にこーんな素敵なプレゼントを おめでとー!と渡してくれたし!

 

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なんといってもこのカメラ、ビジュアルが最高!

しかもねえちゃーんとわたしの カメラ欲しいなっていうブログ見て、選んでくれたんだ!

しかもねえ「最近あやちゃんのブログ見てないわ〜」って前言ってたから、あやはまさかもりやまくんが読んでるとは思ってなかったんだ!

 

なにも期待してないわけじゃなかったけど、

なにも考えずに(「サプライズしてくれるかな」「何をくれるのかな」とか)もりやまくんに会いに行ったから、余計に全部全部嬉しくて 昨日ははしゃぎ通しでした。

プロ彼氏!

「俺もこんなオシャレなとこに連れて来るようなったか〜」ってスパスパしながら言ってました。激しく同意。

 

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素敵なカクテルも飲み放題で、ビールもワインもセルフサービスやったので、飲みに飲みました

けどももりやまくんはプロ彼氏なので、「ウンコ買いに行こう」とコンビニへ赴き、ウコンの力まで買ってくれたので全然大丈夫でした。

シメのラーメンまで食べました。胃が高校球児か?

 

なんか、アカペラーのあれとして お誕生日って常バンが祝ってくれがちじゃないですか。

去年も、まあおめでとー!って言ってもらったし。

それがわたし 今年はないので はーあ、、とかちょっと思ってたんですよね実は。

アカペラに関しては負い目を感じることばっかりで全然あれなんですけど最近。

まあそんなわたしに、こんな素敵な誕生日をくれて、もーそんな負い目とか全然、なくなっちゃったくらい、幸せやったので ありがたいですね本当に。

愛されてるし 愛してるなあ〜と思いました。

え?のろけですけど?ん???悪いか??????

 

最後に、もりやまくんへの感謝を込めて

ネット怖いので自分らの写真は載せれないのでもりやまくんに個人的に似てる人たちの写真貼ります

 

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ありがとう、丸山隆平くん(この写真だけちょっと似てると思った

 

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ありがとう、要潤(ママがいつも似てるって言う)

 

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ありがとう、ガイジーヌ(断然わたしはこれ)

 

 

 

ではではでは

みなさんおつかれさまあ

 

 

よその女

 

 

 

わたし、エッセイって苦手で だから読んでこなかったんですけど

今回、江國香織さんの『いくつもの週末』という本を手にとってみて 素晴らしかったんですよね。

まだ 途中までしか読んでないんだけど、

特に「よその女」という章が、よくて。

 

江國さんの旦那さんは サラリーマンで

毎朝 ぴしっ!とスーツを着て髪を整えて家から出て行くんです おはよう も言わずに。

江國さんは 「用があったのにな。」って思うんです、旦那さんを見送りながら。

どんな用かは わからないけど、用があったのに、って。

ぴしっとスーツを着た旦那さんは、会社の女の子とかに にこやかに「おはよう」を言ったりして、それで女の子たちは 「感じのいい人だな」と思ったりするのだろうな、と考えるわけです。

でも 疲れて帰って来た旦那さんには もう用はないんです。

旦那さんは、江國さんの作ったご飯を食べてお風呂に入って寝るだけ。1日は終わり。

 

「結婚なんて財産目当てにするものだ、恋愛の果てにしたらこんなにも辛い」

って 書いてて うわっと思って。わたし。

旦那さんと江國さんは、家族なんですよね。

江國さんは たぶん 恋愛の果てに、ずっと一緒にいたさの果てに、取り替えの効かない二人であるために結婚したのだろうけど

旦那さんにとって 結婚したらもう、あんなに好きだった 一人の独立した女の人だった江國さんは 家族という内輪の人間でしかなくて。

 

"ぴしっとスーツを着た旦那さんに用があった"江國さんは、よその女になりたい、って言うんです

よその女なら その旦那さんに おはようって目を見て笑顔で、言ってもらえるから。

 

切ないですよね、だって、江國さんが、というより世間の妻はみんなそうなのかもしれないけれど、

妻が恋をした人は 疲れて"帰って来る"旦那さんじゃないんやもん。

外向きの顔で、自分を見向きもせずに"外へ出かける"旦那さんなんやもん。

 

でも これって 結婚だけじゃないと思うんですよね。

友達だって、そうじゃないですか?

 

内輪に入って初めて見える相手のいい面嫌な面あって

"仲良くなる"っていうのは一歩踏み出すことで、それまでの自分と相手との関係を捨てることじゃないですか。

もう戻れない。

知ってしまえば、知らなかったことには できないもん。

好もしい距離で いつまでも話せていればいいんだけれど そうはいかないから

相手だって 自分と話してて楽しい、と思ってくれれば 自然と自分に対して距離を詰めるだろうし

自分だって 意識しててもしてなくても 一緒にいて楽しいと思う人間と一緒にいるし

 

近づいてから 「あ、近づきすぎた」と思ったってもう 近づく前には戻れない、、、

それは本当に悲しい。

 

 

わたしは、これはほんとにプライベートな話なんですけど

森山くんのお友達が羨ましい。

わたしも 絶対的な立ち位置として そこにいたと一年前までは思っていた場所。

近づいたことに後悔はしてないけど、「よその女」であるみんなが本当の本当に羨ましいな。

江國さんの旦那さんみたいでは、まったくないけどね。

 

 

 

 

話戻るけど

人と人との距離ってじゃあ どうしたらいいんでしょうね

わたしは、もう 必要以上に近づかないようにしてるのですけど

そんなんじゃやっぱ勿体無いし寂しいし だめだなっとは思うんだけど…。

 

気があう人はこんにちは そうじゃない人はさようなら

って いう風には割り切れなくて

気が合わない人とだって 楽しくしてたいから だから うーん

 

だから 楽しい話の中に噛み合わない異物があっても 少しくらいあっても 指摘せずに

表面を撫でくり回すような関係でいたい、のかな?

 

難しいなあ

近づきすぎて後悔した関係なんて、でも、たくさんありますね。

たくさん…うーん

 

とりあえず、わたしはもう一回 よその女を体験したいですね、無理な話やし

よその女であった頃から わたしと他とじゃ態度が違ったみたいやけど。

 

 

 

おやすみなさあい