スリープオーバー

誰がなんと言おうと唯一無二

さみしい

 

 

 

さいきん 読書をしていない

本を読むことが趣味ですと胸を張って言えないほどだ

それどころか ひとりでいる時間が極端に少ない、だからひとりでいる時間がさみしい

ひとりに戻らなければ

思考する時間があんまりにも少ない、さみしい、さみしいは悪だ

ひとりでふらっとどこへでも行った自分に戻りたい

 

しかし一方で

身も背もなく恋をしたい

いま、4回生にもなって大学に通わなければならないのは間違いなく、数年前に恋をして学業を疎かにしたからだというのにあの気持ちはもう忘れてしまった

あれはどんなふうだったか?

好きと言えたか?好きと言ってとどんなふうにせがんだか?

 

とはいえもうそんなふうにはできないだろう

自分が相手を好きなぶんと同じだけ自分を好きでいてほしいと望むこと、理解してと叫ぶこと、男女の差を自分だけが知ること、受け入れてもらいたいと思ってしまうこと、の恐ろしさを知ったからだ

相手になにかを求めることは苦痛だ……

それに比べて求められることの気軽さったらない

求めて与えられず傷つくより

求められて与えきれず傷つける方が痛くないのだ

 

ジコチュウ、、、

 

さみしくないより さみしいほうが 面倒くさくない

ストーブの前では頭がぼうっとしてしまうので外で突っ立っているほうが正常な判断ができそう

 

 

ここで占いのコーナーです

 

A型のあなたは

親指の先にだけ布がない手袋のような態度を恋人にとってしまう日になるでしょう

 

B型のあなたは

冬の夏日にうっかり咲いたひまわりのような友達ができるでしょう

 

O型のあなたは

チョコスプレーのふんだんにかかったドーナツをうまく食べられない

 

AB型のあなたは

家族友だちをだいじに

 

 

おわりでーーーす

 

アルコールに死ぬ

 

 

 

寝ゲロしたことも、泥酔由来の怪我も、笑い話として母親にするわたしなんですけど

父親がお酒由来で死んだときに「あの人らしい死に方やわ」ってなんとなく言った母親を思い出すと、ちょっといかんなと思うわけですよ。

 

わたしは「あの人の子どもらしい子ども」なのかもしれない、というか百パーセントそうだ、と、このまま死んでしまうのではないかと便器を抱えながら思うときに思う。

 

中学生のときからお酒は好きだ。もちろん一緒に飲んでくれる人ができたのは大学生になってから。人とお酒を飲むことの嬉しさったらなかった。それでもそこまでお酒好きな人が周りに多くなくて、ほんとうはお出かけしたならいつだって〆にお酒、お昼からでもご飯食べるならお酒、飲もうと言いたかったけど、やめておいた。

でも最近お酒好きな人との付き合いが増えて、そうしたらもう筋金入りのお酒好き、お酒好き歴10年弱という経験と高校のときから居酒屋ハシゴして日本酒イッキしてた父親から受け継いだ血、ふたつも理由がある、わたしにはお酒を好きな理由がふたつもあるぞ。それがまあ爆発。して今。

 

わたしに、濃く濃く父親の影を、母親は見ているのだろう。

父親の顔をみんなが見たら、似てないと言われるだろうけど、口元とかちょっと似ているのだ。笑ったときの感じとか。

それを 父親と結婚までした母親はたぶんわかっているだろうな、と、そういった特徴について発見して、わたしのなかに、ああ、父親を見ているのだろうなと思うとちょっと固まってしまうね。

 

死ぬんじゃないかと思うほどにお酒を飲むのはほんとうにもうやめよう。

と、死ぬんじゃないかと思うほどにお酒を飲むたびに決意する。

いつのまにか飲み過ぎている。いつのまにか泥酔を超えている。いつのまにか便器の前にいる。

命を削ってまで飲むものではない!はずのお酒がわたしの人生には必要不可欠なのだ…とほほ

 

 

トホー

 

 

 

ふゆのたばこふゆのたばこふゆのたばこふゆのたばこふゆのたばこ

電車のドアが閉まる閉まる閉まる閉まる閉まる

寒いのに捲られたパーカーの余りまくった袖の捲りまくった袖の生地の余り余り

 

高低差で張る膜越しに聞いてたいね

 

ブーツを履くのに時間がかかるから待って。時間がかかるのに怒らずに煙草を一本存分にふかして。

金木犀の残りの強烈な匂いが思い出させる今年の秋の去り

 

今のみんなには今にしか会えないと思ったらゲロが出そうだ ゲロが出そう

大切ならそう言って欲しい。言ってくれないと気づかないからお前にはそれが確実に大切だよと言って欲しい。言え。おえ

 

戻りたいの?ほんまに?

今しかないぜ!げろげろ〜

 

 

1ヶ月だけ男になりたい!

 

 

 

 

男になってみたい。一回だけでいいから、期間限定でいいから。

そうして女の子と遊んでみたい。男と同性の友達として喋ってみたい。夜道を一人で歩きたい。工場夜景を一人でみにいってみたい。

 

LGBTに関わる話ではない。

男の人のことを性的に好きだと思う。女の子と女の身体でセックスしたいとも思わない。

 

でも、今までそんなに公にしたことがないが、可愛い子や美人の前ではちょっとかっこつけたくなる。ドギマギしていいところを見せたくなる。童貞の気持ちになる。

これってみんな そうなん?

 

女の子をあらゆる手で笑顔にできたらなって思うし、自分が男やったら、積極的にレディファーストとかして、お勘定も多めに出したいしたまに、奢ったりもしたいなって思う。付き合うか付き合わへんかの駆け引きしたいし、おれの勘違いやった〜クッソーでもあいつええ女や〜ってなりたいと思う。

 

男の人と同等に下ネタを喋りたいと思う。性的な目なしに下ネタで盛り上がりたい。おれのセックス失敗談とかを語りたい。どんなAV女優が好きかとか、どういうシチュエーションに最も興奮するかとか、なんのためらいもなしに喋りたい。しょうもない毒にも薬にもならへんような猥談だけを お酒を飲まないでも したい。

 

でも無理だ。無理。それで終わり。

わたしは女だ。そして女っぽい女だ。終わり。男にはなれない。性転換手術をしたいとも思わない。

 

男の肌の匂いが好きだ。でも女の子の肌の感触と色も好き。

男の小さいお尻が好きだ。でも女の子のぜんぶが柔らかい身体も好き。

 

どっちにもなれたらいいのに。

まじのまじで、心の底から、女の子に、笑ってほしいと思うときがある。

だって違うもん。女の子といるときの笑顔と好きな男の人といるときの笑顔は違うから、だから見てみたい。

どんな顔をして笑いかけてくれて、その笑顔を見たらどんな気持ちになるのかな。

 

なんか切ないなあ

恋愛でもこんなに切ない気持ちになったことないのに、自分が男になれないことを思うとめちゃくちゃ切ない。

 

レズビアンでもトランスジェンダーでもないし、たぶんバイセクシャルでもない ヘテロであるが、性の悩みは絶えない。

 

 

おやすみなさあい

 

ジャニヲタ偶像崇拝

 

 

 

関ジャニ∞を、中一の秋ぐらいから好きである。

それゆえ正しく熱愛報道にはショックを受けてきた。

 

安田くんが今の向井理奥さんとゴルフデートしたときにはちょこっと泣いたし、

すばる君がグラビアアイドルとの同棲報道があったときには雑誌に出た写真を食い入るように見たし、

錦戸が交際していた藤井リナのことは大嫌いやったし、

大倉が結婚間近までいった吉高由里子の顔を見るのも嫌だし、

未だに横山くんは家庭環境のせいで曲がった性癖を持ってると信じてる。

 

彼らはいつだってファンの幻想を打ち砕いてきた。

 

「俺らもおっさんやし」とか

「しょうみいちばんテンション高いのはカメラの前やから(笑)」とか言ったり

お揃いの指輪してるメンバーがおると思ったら実際はメンバーとそれぞれの彼女、4人のお揃いの指輪やったり

「2人で遊んだ」と言ってた日にちちょうどに、それぞれゆきずりの女の人と寝てたり

 

「露見しなければ何をしてもいい」

っていうのは、もしかして女の人みんなの共通ですか?違うかったらまあ違うでいいんですが

わたしは、つねにそう思っております。

それはアイドルである彼らにも当てはまる。わたしは、いちファンの、モブ大学生は、思うのである。

 

私生活でアイドルしろって言ってるんじゃない。

アイドルしてない私生活を、アイドルしてるときに覗かせるな!

 

と。

 

大倉と錦戸にいたっては、ワンナイトラブであっても ちゃんと脳みそのついてる女を選べよ、と。

アホみたいに芸能人と寝たからって週刊誌に写真売るような女とばっかり寝てますからね彼らは。

 

しかし思うわけですよ。

彼らは基本的に高卒または中卒で、学校とジャニーズを両立させたりできなかったりしてきたわけだ。

だから、女の人と正常な付き合いをしたことがないのかもしれない。

付き合いっていうのはつまり、普通の友達としての付き合いを。

物心ついたときから、彼らの周りの女の人はみんな、彼らをアイドルとしか見ていなかった!

 

そう考えると 女の人を消費していく大倉と錦戸の、ワンナイトラブ翌朝のそっけない態度だってセフレに対する淡白すぎる行いだって、頷けますね。

 

でもさ、アイドルって偶像でしょう。

だれも、画面の向こうの ドームの舞台上の、彼らのことをほんとうには知りはしないし知りたくもないんだ。

彼らがひとりぼっちのおうちへ帰ってお茶漬けをすする姿だって、キャバクラでへべれけ、女の子お持ち帰りホテルで過ごす真夜中だって、数年付き合った彼女がいつでも待ち受けてくれる東京都内の高級マンションだって、彼らのコンロに並ぶ小さなお鍋も少ない食器もニトリで買ったかもしれないマグカップも、見たくない。

わたしたちが求めるのは ほんとうの彼らではないのに。

彼らはほんとうの自分を、あまりにも覗かせすぎるよね。

インスタ流出も(何年前や)許してないからな。

 

 

とか言いつつそんな人間臭い彼らが、好っき❤️

 

 

どんなオチやねん。

 

 

ぐちゃり

 

 

 

たとえば五人で遊んだとき、

みんなが円満に楽しいと思えて次もあればよいなと思うのって単純にすごくない?

 

自己が拡張している状態が、不健康でなく かつ 正解である場合があるなんて最高だよね

 

でもそんなことってそう多くあるんだろうか…

少なくとも新しくそういう場所をつくるのって20年以上生きると本当に難しいですよね

数が 2とか3ならまだしもね

3でもけっこう むつかしいとこあるしね

 

それが男女混合となればなおさら難しいんでしょうね

他の場所に恋人のいる人がいるときも難しいでしょうね

 

男女の友情ってなんだ?

 

同性愛の人が恐れられるのって、自分が相手のことを友達だと思っていたその 欲がまったく絡まないはずの真っ当な友情を汚されるのが気持ち悪いから、っていうのがたぶんあると思うんですけど

それって別に 同性間でなくてもそうですよね、つまり 異性間でも 「私はあなたを異性として=性的な目で、見てなかったからびっくり」っていうのはありありありありありまくりますよね

それが 「友情の裏切り」になり得るとしても、生理的な嫌悪にならないのは

あらかじめ、男と女ならそういうことになるのもありうると思ってるからじゃないですか

 

恋愛って 「性的なイベントだけがふたりを恋人たらしめるのではない」 ってことはなんとなく自分に、わからせようわからせようとしてたんですけどいまいちピンとこなくて、

だって性的なものでない!と言い切ったなら友達と恋人の違いがあまりないように思えるし。

 

そんで いま、この話をしながらだんだん見えてきた輪郭があるんですが

あの〜……「男性(女性)であるその人が男性(女性)である部分をめちゃくちゃ個人に落とし込んで好き」ってこと?

だからやっぱり恋愛って性やん!という…結論?

 

それはえ〜っと絶対的な異性愛者・同性愛者が存在するという話ではなく。

男性であるという個性 前提で 好き

みたいな?

性別は 種族でなく個性のうちのひとつ…みたいな?

 

言いたいことちゃんと伝えられてるかな…

 

 

 

 

恋愛ってめちゃくちゃ普遍的やのにめちゃくちゃ個人的で ひきますよね

ドンびきますわ

 

 

 

 

傷つけないように愛したいのにめちゃくちゃ傷つけたくなるのは致命傷を与えられるのは自分しかいないんだぜという驕りからなのだろう

女性といる彼を思い浮かべるだけで吐き気がするのは彼が下半身で恋愛をすると(未だに!)思っているからだ

憎む、いくら友情で彼に近づいても、近づくのが見えたらその女は憎む、理屈ではないよ

 

"恋愛たるもの"に雁字搦めなのだ、なんやかんや自由なふりをしておいてわたしの恋愛の仕方はいろいろなものに縛られていて、それでもまあ

 

わたしなしで幸せになるなら わたしの視界から完璧に死ぬまで永遠に、消えてくださいと思う

ことは

ぜんぜん、不幸になれと呪うこととはイコールではないのだ

わかるよね?

 

君がそばにいない今は君のすべてを愛おしいし大好き

無理解も 無関心も まるごとね、そばにいない今はね

 

 

 

 

恋愛の普遍性と個人的などろりの話

 

おやすみなさあい

 

 

すぎさる

 

 

 

 

小説を書いている。

同時進行で二本。でも、どうしても自宅で書けないので困っている。

茶店か、カフェか、図書館に行かなければならないので、出費がかさむ。

なぜなら、喫茶店かカフェでのみならず、外に出ると必ず、お茶かコーヒーを飲むからだ。

 

飲み物が好きで、このあいだ同時にオレンジジュースとコーヒーとお茶を購入して車に置いていたら、数時間で暑さに、お茶がダメになった。

もったいな、という見方もできるが、わたしはひとつ、違う見方をしたい。

したいというかしている。

 

あのな、コーラを飲みたいと思うやろ。

でも、カンカンの350mlも、要らんやろ、なぜなら、一気飲みレベルでいかないとコーラは美味しないし、暑い夏の日どんどんぬるくなるし、200いけたとしても、150残すやろ。

それを、もったいないと言ってしまえば言ってしまえるが、自分は満足してるわけやろ。

 

せやから、もったいなくはないやん。10手に入れても、10堪能しないとと気負うと、なんかしんどいやん。

10手に入れても、3しか堪能せんくても、満足したならそれでええやろ。

 

とか、こういう考え方を披露したら、

アフリカでは一分間に60秒経っているのですよ、とかいう類の反論が浮かびそうなもんだが……。

 

ブルジョアジーなのだろうな。考え方が。

基本的にブルジョアジーだ。これはもう育ってきた環境に完全に依るから仕方ない。

 

だから別に捨てなくてもまあ惰性で摂取したらええよね。

お腹がいっぱいになって食べられない最後の一口を食道にねじ込んでまるでソーセージのごとく………生々し!

 

すべてを消費する。おかしも、ウインナーも、ポテチもコーラも、小説も映画も、ほとんどの、人間も。

齧って味わって お腹いっぱいになったり味が変わったりして味わいきれない部分はポイする。

 

気楽に行こう。

おやすみなさあい