スリープオーバー

誰がなんと言おうと唯一無二

1ヶ月だけ男になりたい!

 

 

 

 

男になってみたい。一回だけでいいから、期間限定でいいから。

そうして女の子と遊んでみたい。男と同性の友達として喋ってみたい。夜道を一人で歩きたい。工場夜景を一人でみにいってみたい。

 

LGBTに関わる話ではない。

男の人のことを性的に好きだと思う。女の子と女の身体でセックスしたいとも思わない。

 

でも、今までそんなに公にしたことがないが、可愛い子や美人の前ではちょっとかっこつけたくなる。ドギマギしていいところを見せたくなる。童貞の気持ちになる。

これってみんな そうなん?

 

女の子をあらゆる手で笑顔にできたらなって思うし、自分が男やったら、積極的にレディファーストとかして、お勘定も多めに出したいしたまに、奢ったりもしたいなって思う。付き合うか付き合わへんかの駆け引きしたいし、おれの勘違いやった〜クッソーでもあいつええ女や〜ってなりたいと思う。

 

男の人と同等に下ネタを喋りたいと思う。性的な目なしに下ネタで盛り上がりたい。おれのセックス失敗談とかを語りたい。どんなAV女優が好きかとか、どういうシチュエーションに最も興奮するかとか、なんのためらいもなしに喋りたい。しょうもない毒にも薬にもならへんような猥談だけを お酒を飲まないでも したい。

 

でも無理だ。無理。それで終わり。

わたしは女だ。そして女っぽい女だ。終わり。男にはなれない。性転換手術をしたいとも思わない。

 

男の肌の匂いが好きだ。でも女の子の肌の感触と色も好き。

男の小さいお尻が好きだ。でも女の子のぜんぶが柔らかい身体も好き。

 

どっちにもなれたらいいのに。

まじのまじで、心の底から、女の子に、笑ってほしいと思うときがある。

だって違うもん。女の子といるときの笑顔と好きな男の人といるときの笑顔は違うから、だから見てみたい。

どんな顔をして笑いかけてくれて、その笑顔を見たらどんな気持ちになるのかな。

 

なんか切ないなあ

恋愛でもこんなに切ない気持ちになったことないのに、自分が男になれないことを思うとめちゃくちゃ切ない。

 

レズビアンでもトランスジェンダーでもないし、たぶんバイセクシャルでもない ヘテロであるが、性の悩みは絶えない。

 

 

おやすみなさあい

 

ジャニヲタ偶像崇拝

 

 

 

関ジャニ∞を、中一の秋ぐらいから好きである。

それゆえ正しく熱愛報道にはショックを受けてきた。

 

安田くんが今の向井理奥さんとゴルフデートしたときにはちょこっと泣いたし、

すばる君がグラビアアイドルとの同棲報道があったときには雑誌に出た写真を食い入るように見たし、

錦戸が交際していた藤井リナのことは大嫌いやったし、

大倉が結婚間近までいった吉高由里子の顔を見るのも嫌だし、

未だに横山くんは家庭環境のせいで曲がった性癖を持ってると信じてる。

 

彼らはいつだってファンの幻想を打ち砕いてきた。

 

「俺らもおっさんやし」とか

「しょうみいちばんテンション高いのはカメラの前やから(笑)」とか言ったり

お揃いの指輪してるメンバーがおると思ったら実際はメンバーとそれぞれの彼女、4人のお揃いの指輪やったり

「2人で遊んだ」と言ってた日にちちょうどに、それぞれゆきずりの女の人と寝てたり

 

「露見しなければ何をしてもいい」

っていうのは、もしかして女の人みんなの共通ですか?違うかったらまあ違うでいいんですが

わたしは、つねにそう思っております。

それはアイドルである彼らにも当てはまる。わたしは、いちファンの、モブ大学生は、思うのである。

 

私生活でアイドルしろって言ってるんじゃない。

アイドルしてない私生活を、アイドルしてるときに覗かせるな!

 

と。

 

大倉と錦戸にいたっては、ワンナイトラブであっても ちゃんと脳みそのついてる女を選べよ、と。

アホみたいに芸能人と寝たからって週刊誌に写真売るような女とばっかり寝てますからね彼らは。

 

しかし思うわけですよ。

彼らは基本的に高卒または中卒で、学校とジャニーズを両立させたりできなかったりしてきたわけだ。

だから、女の人と正常な付き合いをしたことがないのかもしれない。

付き合いっていうのはつまり、普通の友達としての付き合いを。

物心ついたときから、彼らの周りの女の人はみんな、彼らをアイドルとしか見ていなかった!

 

そう考えると 女の人を消費していく大倉と錦戸の、ワンナイトラブ翌朝のそっけない態度だってセフレに対する淡白すぎる行いだって、頷けますね。

 

でもさ、アイドルって偶像でしょう。

だれも、画面の向こうの ドームの舞台上の、彼らのことをほんとうには知りはしないし知りたくもないんだ。

彼らがひとりぼっちのおうちへ帰ってお茶漬けをすする姿だって、キャバクラでへべれけ、女の子お持ち帰りホテルで過ごす真夜中だって、数年付き合った彼女がいつでも待ち受けてくれる東京都内の高級マンションだって、彼らのコンロに並ぶ小さなお鍋も少ない食器もニトリで買ったかもしれないマグカップも、見たくない。

わたしたちが求めるのは ほんとうの彼らではないのに。

彼らはほんとうの自分を、あまりにも覗かせすぎるよね。

インスタ流出も(何年前や)許してないからな。

 

 

とか言いつつそんな人間臭い彼らが、好っき❤️

 

 

どんなオチやねん。

 

 

ぐちゃり

 

 

 

たとえば五人で遊んだとき、

みんなが円満に楽しいと思えて次もあればよいなと思うのって単純にすごくない?

 

自己が拡張している状態が、不健康でなく かつ 正解である場合があるなんて最高だよね

 

でもそんなことってそう多くあるんだろうか…

少なくとも新しくそういう場所をつくるのって20年以上生きると本当に難しいですよね

数が 2とか3ならまだしもね

3でもけっこう むつかしいとこあるしね

 

それが男女混合となればなおさら難しいんでしょうね

他の場所に恋人のいる人がいるときも難しいでしょうね

 

男女の友情ってなんだ?

 

同性愛の人が恐れられるのって、自分が相手のことを友達だと思っていたその 欲がまったく絡まないはずの真っ当な友情を汚されるのが気持ち悪いから、っていうのがたぶんあると思うんですけど

それって別に 同性間でなくてもそうですよね、つまり 異性間でも 「私はあなたを異性として=性的な目で、見てなかったからびっくり」っていうのはありありありありありまくりますよね

それが 「友情の裏切り」になり得るとしても、生理的な嫌悪にならないのは

あらかじめ、男と女ならそういうことになるのもありうると思ってるからじゃないですか

 

恋愛って 「性的なイベントだけがふたりを恋人たらしめるのではない」 ってことはなんとなく自分に、わからせようわからせようとしてたんですけどいまいちピンとこなくて、

だって性的なものでない!と言い切ったなら友達と恋人の違いがあまりないように思えるし。

 

そんで いま、この話をしながらだんだん見えてきた輪郭があるんですが

あの〜……「男性(女性)であるその人が男性(女性)である部分をめちゃくちゃ個人に落とし込んで好き」ってこと?

だからやっぱり恋愛って性やん!という…結論?

 

それはえ〜っと絶対的な異性愛者・同性愛者が存在するという話ではなく。

男性であるという個性 前提で 好き

みたいな?

性別は 種族でなく個性のうちのひとつ…みたいな?

 

言いたいことちゃんと伝えられてるかな…

 

 

 

 

恋愛ってめちゃくちゃ普遍的やのにめちゃくちゃ個人的で ひきますよね

ドンびきますわ

 

 

 

 

傷つけないように愛したいのにめちゃくちゃ傷つけたくなるのは致命傷を与えられるのは自分しかいないんだぜという驕りからなのだろう

女性といる彼を思い浮かべるだけで吐き気がするのは彼が下半身で恋愛をすると(未だに!)思っているからだ

憎む、いくら友情で彼に近づいても、近づくのが見えたらその女は憎む、理屈ではないよ

 

"恋愛たるもの"に雁字搦めなのだ、なんやかんや自由なふりをしておいてわたしの恋愛の仕方はいろいろなものに縛られていて、それでもまあ

 

わたしなしで幸せになるなら わたしの視界から完璧に死ぬまで永遠に、消えてくださいと思う

ことは

ぜんぜん、不幸になれと呪うこととはイコールではないのだ

わかるよね?

 

君がそばにいない今は君のすべてを愛おしいし大好き

無理解も 無関心も まるごとね、そばにいない今はね

 

 

 

 

恋愛の普遍性と個人的などろりの話

 

おやすみなさあい

 

 

すぎさる

 

 

 

 

小説を書いている。

同時進行で二本。でも、どうしても自宅で書けないので困っている。

茶店か、カフェか、図書館に行かなければならないので、出費がかさむ。

なぜなら、喫茶店かカフェでのみならず、外に出ると必ず、お茶かコーヒーを飲むからだ。

 

飲み物が好きで、このあいだ同時にオレンジジュースとコーヒーとお茶を購入して車に置いていたら、数時間で暑さに、お茶がダメになった。

もったいな、という見方もできるが、わたしはひとつ、違う見方をしたい。

したいというかしている。

 

あのな、コーラを飲みたいと思うやろ。

でも、カンカンの350mlも、要らんやろ、なぜなら、一気飲みレベルでいかないとコーラは美味しないし、暑い夏の日どんどんぬるくなるし、200いけたとしても、150残すやろ。

それを、もったいないと言ってしまえば言ってしまえるが、自分は満足してるわけやろ。

 

せやから、もったいなくはないやん。10手に入れても、10堪能しないとと気負うと、なんかしんどいやん。

10手に入れても、3しか堪能せんくても、満足したならそれでええやろ。

 

とか、こういう考え方を披露したら、

アフリカでは一分間に60秒経っているのですよ、とかいう類の反論が浮かびそうなもんだが……。

 

ブルジョアジーなのだろうな。考え方が。

基本的にブルジョアジーだ。これはもう育ってきた環境に完全に依るから仕方ない。

 

だから別に捨てなくてもまあ惰性で摂取したらええよね。

お腹がいっぱいになって食べられない最後の一口を食道にねじ込んでまるでソーセージのごとく………生々し!

 

すべてを消費する。おかしも、ウインナーも、ポテチもコーラも、小説も映画も、ほとんどの、人間も。

齧って味わって お腹いっぱいになったり味が変わったりして味わいきれない部分はポイする。

 

気楽に行こう。

おやすみなさあい

 

関ジャニ∞のコンサートをみてきたよ

 

 

 

関ジャニ∞ 15周年ツアー、GR8ESTに行ってきました

すばる君はやっぱりいなくて、途中で出てくるんじゃないか、ゲストです〜とか言って歌ってくれるんじゃないかと思いながら観ていましたが、最後まで出てきてくれませんでした

 

それで帰りの電車で、関ジャニのアルバムを聴いて、そこにはすばる君は当たり前のようにいて、もう何が何だかわからんくなりますよ

 

すばる君という 歌の中心を、核のエネルギーを失った彼らの歌は正直、ファンでなければ聴いてられないほど、下手くそやったんですよ

そもそも、アイドルに歌唱力を求めるのか?という原点に立ち返ることも考えるほど、まとまりのない歌声を各々、キーを外して出していてガタガタで、すばる君がいたときにはうまく歌えてたメンバーも、まあ下手くそで

 

すばる君は 熱くて、盛んに、観客をあおったり、歌詞にないシャウトを多用したり、したんで、それでまあ観客も燃えるというか イエーとなるわけなんですが

その 盛り上がりどころも きょうは関ジャニもファンも捉えきれなくて、ぬるっと曲が続いたりして

 

でも 伸びしろや!と思ったわけですよわたしは。

今まで 慢心してた関ジャニ∞、そりゃあ毎回のコンサートが楽しくて面白くて歌うまくて最強で、企画とかも新しいのしていって常にファンを飽きさせない努力は すげえしてて、だから百点!だったけども、

やっぱり売れてるわけで、個人個人仕事あるわけで、そういう環境での コンサートやったんですよこないだまでは、でも今は

 

嫌でもみんな 歌をもっとうまくならないといけない、すばる君のいない分を埋めるほど、

あの圧倒的な歌唱力と存在感を、カバーしないといけないんだ!!

それで、新しく生まれ変わった一年目、2018年時点で、彼らはまったくすばる君の不在から立ち直っていない!!

それなのにコンサートをして、笑顔を見せるわけですよ!!!!

 

伸びしろしかない。

平均年齢30代半ばやのに、伸びしろしかないねんで!

最強やんそれ……

 

それで わたしは一応 安田担当なんですが

彼は最近 身体の調子を崩していて、万全ではないくせにいちばんの笑顔を見せて、なんて健気、儚げやし、

シャウトもいちばん彼が すばる君の代わりにやっていて、ほんまに胸にくるものがありましたよ!!

 

すばる君のいる関ジャニ∞とはまったく別もん、とも言えるし 延長、とも言えるし

そりゃあ すばる君がいてくれたならもっと最強やったけど もしかしたらどん詰まりでもあったんかなと思って、やっぱり、うん、辞めた理由をちょっとだけ、残された彼らを目にして、わかったような気がした。

 

それでも すばる君のいないことを 受け入れられたわけではないけどさ。

 

歌のクオリティ的には8000円の価値はなかったけど、これから先への第一歩を目の当たりにできたという点では、よかったコンサートだったな。

あとは、すばる君のパートをすばる君の真似をしなくても歌える彼らになって、すばる君と別なところで歌唱力をあげて、もっと最強になってくれたら…

そのときが来ても、過ぎても、たぶん見守り続けるやろう

 

 

おやすみなさあい

 

 

ワンナイトタイムスリップ

 

 

 

先日、中学の同級生と9年ぶりに遊んだよ。

わたしの中学は特殊で、併学、といって、女子校と男子校が同じ敷地内にあるような、一切男女の交わらない仕組みの、意味不明の制度を採用しておりまして

だから わたしは女子校育ちって言っても差し支えないんですよ

みなさん 女子校出身者と話したことがあればわかると思うんですけれども 特殊なんですよね彼女たちって、まあわたし含めかもしれないが

中高一貫の学校だったんだけどもわたしは、高校受験をして 驚愕かつ共学の公立高校に進んで、そこでの苦悩というのはたびたび披露していると思うんですけども

 

中学を卒業して以来 ずっと会っていなかった彼女たちと、遊んだらまあ、変わってなくて。すっげーーー安心してしまったというお話なんですよ、今日のお話は。

 

ユニーク かつ 完璧な 個人として 彼女たちは生存しており、この世の中で、自己を失わずに、ほとんど奇跡と思われるほど、中学生の頃のままで、優しく、我が強く、陽気で、共学の女子よりも男性的で。

彼女たちは 高校も内部進学したから、高校の頃の思い出も共有しているはずやのに、わたしのために、中学の楽しかったことごとを喋り、笑い、大いに笑い、高校時代の話が出れば、わかりやすいように、ときには学校のHPを参照して説明してくれ、決して置いていこうとしないんです、わたしは、行く前はめちゃくちゃ気後れしていて、彼女たちのような陽キャに、混ぜてもらっていいのかと、ほんとうに今思うと馬鹿みたいなのだが、恐縮していて。

 

中学生の頃の わたしを含む彼女たちに、インキャも陽キャもないのに。

一緒に重要な時代を過ごしたのに、勝手に恐縮するなんてほんとうに馬鹿馬鹿しいよな、そういう自信みたいなものを、確固たる自分を、あの素晴らしくお堅い学園に、置いてきてしまったのだわたしは。

 

 

ネクタイをぐるぐる巻いて短くするのが流行りだった、馬鹿げた重さの皮カバンの持ち手の片方だけを肩にかけるのが流行りだったためみんな持ち手をダメにした、しかしその流行に逆らった彼女のカバンは綺麗なままで、途中から導入されたリュックはダサくて誰も使わなかった、買い食い禁止なので 駅前のスタバに行くには先生がいないか見張りを立てる必要があった、「挨拶」を執拗にテストに出してきたネチネチした国語の先生、グラグラ不安定なみんな同士の友情、股を広げて椅子に座るのが当たり前の女の子たち、ああ…

 

失ったものを一夜だけ取り戻した、9年の月日を一瞬で逆行した、あの夜のわたしは、タイムスリップができた。

 

わたしを構成したのはまぎれもない彼女たちだった。1年8組の、2年7組の、3年7組の彼女たちみんながつくる雰囲気だった。

9年でジリジリ削られてきたあの頃の自信満々なわたし、存在することになんの躊躇もなく、誰かに不要とされることなんて微塵も恐れない、強い強い強いわたし。

 

残りカスみたいな自分でも愛そう。

さっきまであんなに青かった空が雲に覆われてねずみ色に変わりつつある。

なんだって変わるのだ。また戻ってくる可能性もぜんぜんなきにしもあらずさ。

 

おつかれさまあ

 

 

みんながすごい

 

 

 

言葉を持たないことに甘んじている。

難しい言葉に直面するたび「ほえ〜」と思うけれど、それを使うよりもヤサシイ言葉に言い換える作業の方が楽しい。

しかし 語彙を増やしたいとも表層ではたしかに思っているので、矛盾が生じてきてそこにしんどくなったりして。

 

知識を持たないことに甘んじている。

馬鹿であることは 楽やし 楽しい。知識を持ってなかったら、持っている人が教えてくれる。「はえ〜」と言って聞いていることの方が、説明するより断然楽しい。

だって説明するには 順序立てた筋書きが必要で、そういうの考えるのん苦手やし。

 

自分がカシコになったらどういう風やったかな。

昔は、勉強できたんですけど、中学生のころは。でも途中からなんか知らんけど怠けだして、ぜんぜん勉強せえへんくなって……

たぶんついていかれへんようになったから高校受験したんですかね。もう忘れてしもたなあ。

だから根はたぶん馬鹿ではないんやと思うんですけどね。勉強しないだけで。それこそ馬鹿であることに甘んじてるんです。

てかまあ周りから求められるわたしというのがカシコなわたしではないんかなみたいなとこもあったんですかね。今の自分がどう形成されたのか、あんまり覚えてないなあ……。

でもたぶん周りの印象が第一やったんやろうなあ、中学生のときとか高校生のときとか、だって世界は学内にしかないと思ってたもんね。

思わされてたんかな。世界が広いことなんて誰も教えてくれへんかった。自分が自分のままでいいなんて誰も教えてくれへんかった。

そんなん、自分で見つけ出すしかないんやろうけど。それで見つけたころには ありのままの自分がどこから生まれてきたのかなんて わからなくなっている。

 

環境に合わせて 都合のいいように受け取ったものごとに合わせて 感じることや考え方を変えてきたけど 変わる前にどうやったかなんていちいち覚えてられねー

今のわたしで出会った人たちが多くわたしの周りにいてくれてるから 今のわたしをゼンコーテーするわけですよ。するわけでしょう。みんなも。

 

みんな変わるじゃないですか。置いてかれた気分になるわ。みんな社会に順応していく。びっくりするわほんまに。

好き嫌いで判断せんのやね。やりたくないこともしやなあかんのやね。やりたいことも我慢すんのやね。すごすぎる。みんな大人っぽすぎるわ。

わたしなんて子どもみたいな白いTシャツを着て突っ立って駄々こねてるだけ。みんなちゃんと戦闘服着てる。わたしは未だに歩道の縁石に上ってしまうのにみんなまっすぐ歩けるんやもん。

 

 

 

 

 

 

カメラを止めるな!』、えらい話題になってますね。すごいね。興味あったんやけどテレビとかでえらく持ち上げるから観に行くの億劫になってしまった。胡散臭いやん、そういう選りすぐられた大きな意見って。

結局は マジョリティの流れを伺ってわざとそれに背くしかやり方がないんか?わたしは

しょーもない人間になりましたよほんまに。

観に行くか。みんなは行く?どう?感想言うたらあかんらしいね。わたしはまだ決めあぐねております。

 

おやすみなさあい