お風呂あがりのギャランドゥ

adidasに許可とってません

ウォーラー

 

 

 

 

…。。⚪︎◯ぶくぶくぶく……。◯。

 

 

 

 

水の中ぶくぶくぶく

音無し

と思ったらある

意味のない音がある

ああ普段は、音が全部意味を持っているもんな

ぶくぶくぶくぷはっはあ…

……音楽が流れている 人が話している…

水の中ぶくぶく

音の正体をめちゃくちゃ知りすぎてるんやな

音を聞いたら考えるまでもなく音源がわかるからな

音源がわかるということは どういう理由でその音が鳴ってるかわかるってことやもんな

ぶわぶわ〜……

つーん

鼻に水入った

足、地面につかない

腕、空気を掴まない

全部水…普段だって空気に包まれてるのに…水に包まれてるときは めちゃくちゃ「包まれてる」と思う……

ぽこぽこ……ぶわぶわ…

全部放棄している…重力なし……水が、重力を感じることを担ってくれてるんやな…

……ぷはっはあ

水の中ぶくぶくぶく……

腕も脚も体の一部であることを考えなくてよい…

全部位が役割を放棄している……

呼吸さえできない…ずっと息ができひんかったら脳みそもなにも考えられんくなるんやろなあ……

水は全部を奪う…全部やらんくていいよ〜ってめちゃくちゃ甘やかしてくる…

ぶくぶくぶく…

 

 

 

水難事故に見せかけた人のニュース見て考えました。

嘘です、いや嘘じゃないけど、最近プールに通ってるもので考えました。

水。

ぶくぶくぶく

シェイプオブウォーター、観る気がなかったけど観てみようかなと思う…

 

 

おやすみなさあい

 

 

今日よりいい日ある?ってくらいいい日やな今日は

 

 

 

この世では りんご と 自然 と 海 が同じ「名詞」として存在するのはやばい。りんごは所有できるし、なんなら体内に収めて栄養にできるのに 自然も海も到底支配できず私たちを殺しにくるし。りんごは牙を剥かない。毒に浸されてない限り。

 

いいよな、夜のダイナーはさ。ピカピカ光りやがって。白いビニールのソファは座る人がいるということをこれっぽっちも考えていない、毅然とした座り心地でさ。うっすいうっすいコーヒーは、不味いってことはなくてなぜなら味がわかるほど濃くないから、でもそういうのに嬉しくなっちゃうのは、どうやら脳みそと肝臓の疲弊だ。

 

恋人という枠にはめると辛く、友達にしては近すぎる距離であり、どう呼べば良いのかわからず、言葉至上主義の自分には非常に苦しい状態である男。そういうのが私には いる。その人がこの間、頼みもしないのに私の好きなソフトクッキーを買ってうちに訪れた。世の中には色んな素晴らしいことが存在するがこれより素晴らしいことはそうない。そうないだろ?だから私は「頼みもせんのにさあ、こういうの買ってこられるの、まじで嬉しい。」と伝えて、伝えることに基本的に余念がないので、言うと、「怒られんのかと思った。」と言って奴は笑う。

 

久しぶりに構内を歩くとびっくりする。銀杏の木が本当に発光しているので。キラキラチカチカピラピラチラチラ。イルミネーションなんかより激しく、盛んに、忙しなく。そして皆その下を、スマホを見ながら歩いたりして。勿体無いの〜。と、思いながら、上を見ながら歩いていると、人にぶつかりそうになるし、歩きスマホ反対、歩き銀杏見反対、どちらも立ち止まってやるべきだ。ぐるりを見たらケバブとクレープの屋台が見えた。

 

4回生になって本当に授業が面白い。色んな授業受けたいと思えるほどに楽しい。1回生の頃とはもちろんまったく違うように成長したし、でも3回生の頃とも、ほんのちっとしか時間は経っていないはずなのに、違う。違うわたし。違うくなった。変な日本語だけれども親しい言葉遣いだ。違うくなったねん。可愛い〜。

 

ぼろぼろのTシャツを私は、やっすいのを、着ているのだがそういうのは周りは気にしなくて、誰が気にするって自分で、きちゃない格好で人様の前に出るのは、何がダメって、自分が本来の強気を発揮できないから、そういうのがいけないんだよね。だからオリンピックにバッチバチの化粧をして出る女の、気持ちはわかるんだよな。それを非難するなんて、お門違いなので、非難する男は、是非チンコのところだけ穴の空いたパンツで、外を歩いて欲しい。代償が、同程度である必要はないので、そのチンコを蹴り上げてやろうと思う。

 

 

 

おわり

お腹が痛いので。

 

 

 

 

ゼミの先生讃歌

 

 

 

「進路のこと相談したいんですけど、研究室に突然行ってもいいですか?」

 

わたしが出した勇気は、この一言のためだけでよかった。

授業後に、たったそれだけ、伝えただけで、ゼミの先生はサシ飲みをセッティングしてくれた。

もう正直、自分にとってそれだけで良かったのだと思う。そして、自分がそんなにすんなりと信用できる大人が、いるなんて思っていなかった。

こんなに疑り深く ねじ曲がった子どもにも、先生はわかるように、「受け入れ態勢が整っている」ということを発信し続けてくれていた大人だったのだ。本当に、すんなり、わかってしまえるほど強く。

そうしてわたしは進路について相談して、その後もいろいろと、ゼミ生の話や人生や恋の話、映画のゼミなので映画の話も少しだけ、した。

先生はわたしを「君はいいね」と言ってくれた。かっこいい関東弁で。

「言葉で伝えないと伝わらない」というわたしの熱弁にも大いに賛同してくれたし、

就活にどうしても抵抗があるわたしを「そう思うのは決して間違いじゃない」と肯定してくれた。

最後には、「いやあ今日はとてもいい日だった、ありがとう」と言って奢ってくださった。

 

先生は何一つ、本当に何一つ、正しくないことを言わなかった。

そしてわたしの言うことを一度たりとも否定しなかった。

あんな大人になれたら 人生成功やなあ。

 

だって先生は、生徒の 若い若い子どもの言うことでも 最後まできちんと聞いて、「そうそう、子どもがそう思うことは知ってる」というお決まりの反応をまったくしない。

母以外の大人は大概子どもの話を聞かないし、「世間一般」を押し付けてくるし、管理下に置こうとするし、思想統制しようとするし、ろくなもんじゃない。

なんなんやろうなほんまに。なんでみんな、馬鹿みたいにさ、「一般論」を信仰して、そんな簡単に 人生に指標が基準が、あると、信じてしまえるんやろうな。

…などと、やっぱりそういう反骨心が、常にわたしはあるから、先生が余計に素晴らしく見える。

 

なんかほんまに先生を讃えるブログになってしまった、先生を知らない人から見たらやばい奴やと思われるほどの狂信っぷりかもしれん…

今まで 恩師というものに出会ったことがなくて、「大人なんてクソ」と掲げて生きてきたので、ゼミの先生の存在がすげえ奇跡に思えるんですよ。

就活生に、「忙しいのはわかってるけど映画はちゃんと見なさい」と言ってくれる先生ですよ。それって、映画から大切なものを得た人間しか言わないセリフじゃないですか。映画から大切なものを得ることができる人って最高じゃないですか。

映画とか小説とか、人が本気で作った虚像で偽物で、心無い人にとっては「ただの娯楽」で片付けられてしまうようなものじゃないですか。

でもそれによって助けられる人がたくさんいて、それらが下らないものなんかじゃないって信じててそれに救いを求めてる人間、読書をする人って現実に少なからず満足していない人やと思ってるから、だから、そういう寂しいところのある人にとって、本気で作られた偽物は、この世の中で、本当に価値のある、なんて言ったらいいのかなあ、宝物で拠り所で生きる糧なんですよ。

そういうものを本気で大事にして なにかを教える材料にして 自分自信がちゃんと映画を大好きな、先生ってほんまに最強すぎる。

ああいう大人になりたい。回り道しても、最強になりたい。

たった2時間の映画に人生を見る。そんなことは、「世間一般」にはできない。わたしだってちゃんと、頑張れば見ることができるし、わたしの周りにはできる人がたくさんいる。

なんて恵まれた環境だろう、ああやっぱりこの大学このゼミを選んでよかったあ。

 

 

おやすみなさあい

 

 

世界でもどこでも行きやがれ

 

 

 

 

渋谷すばる関ジャニ∞を脱退するそうです。

意思の強さや 思いの切実さを いろいろ彼は語りますが、安室奈美恵だって 辞めますって言ってからちゃんと猶予を設けて(ビジネスのためとも言えるけど)辞めたのに

突然、はい辞めますコンサートももう出ませんばいばーい!と言われて納得するファンがどこにいようか。

あんなに勇気付けられたのに。あんなに心酔したし、彼のようになりたいと思ったのに。

俺らがいると歌ったくせに。このグループは最高で最強と毎回繰り返したくせに。

裏切りでしかないんですよね結局。

なにを並べ立てられたって、「ばっさり辞める」というその行為だけが目に見える答えで、

不誠実だ、それが 今まで応援してきたファンに対する態度なのか。

という憤りしか生まれないです。

 

辞めるなら ちゃんと コンサートをこなして 全部の回で 説明してよ。そうして死ぬまで関ジャニ∞でいられないことを謝ってよ。

止められないほど圧倒的な夢があるなら、そのために舞台を途中退場するなら、ちゃんとけじめをつけるべきでしょうが。

 

ファンを信用できないだとかで ファンに笑顔を向けなかったり、自分でつけたeighterというファンの名称を呼ばなくなったり、

好き勝手したくせにそれを受け入れてくれたファンをこんな簡単に捨てるなんてね。

 

恨みつらみしか出てこないですよ。

渋谷すばるはファンを捨てたんだ。メンバーは必死に止めたのに。それでも嫌いになれなかったと言って隣にいてくれたのに。

メンバーにもファンにも感謝で、申し訳なさしかないなら、心の整理をできる猶予を与えてよ。おかしいやんそんなん。絶対おかしいわ。

 

なんかあるんでしょうね多分、裏に何か本当の理由が。

発表することなんて 100%ほんまなわけないもんな。

安田章大が家で転倒して病院におるっても絶対嘘やろ。記者会見なんか一緒に出たないわって言ったんでしょ。

 

なんかな〜。

全然誠実じゃないよな。全然。

結婚をまず第一にファンに伝えた先輩を見習って欲しいですね。

 

渋谷すばるのいない関ジャニ∞が、渋谷すばるのいた関ジャニ∞より上に行けるわけがない。

わけがないでしょうそりゃあ。わけがないよ。

それをわかってるくせに捨てるんだ。すばる君は。全部捨ててどっかへ行く。

 

くそったれ。結局大人になるんだね。ずっと子どもの近くにいてくれると思ってたのに。

 

あーあ、くそしょうもない。

しょーーーもないわ、ほんまに。しょうもない。

 

 

おやすみなさあい

 

 

映画の話から言葉の話にいつのまにか

 

 

 

 

今日、映画の授業で 先生が言ってて なるほどと思ったんやけど

「赤い液体がぶわっと流れるのを見て、赤い液体だとしか感じられない人は映画を観るのは向いてない。

そこから 血だ、あるいは 血みたいだ、と連想できる人にしか映画というのは観ることができない。だって全部偽物なんだから。」

って、当たり前のことやけど そうやなあって

映画なんて 事実を基にした内容やったとしても 虚構でしかなくて、嘘っぱちで、どこにも、本当のことなんて 何一つなくて。

全部が作られたもので わたし達は事実でもなんでもなく、人生において多分必要不可欠なんかではないものを、観ている、

じゃあ映画の何がすごいって、やっぱり、そんな虚構から 人生における教訓や 感動や 共感を 感じることができるわたし達がいる、というところじゃないかな。

恐ろしく長い時間をかけて作られた2時間程の映像に敬意を持って、観察して感じ入る。おまけにそれを一緒に観る誰かと共有できる。

そーゆーのは小説じゃそうはいかないし、映像作品ならではよね。

 

子どもが トミカを本物の車と見るみたいに

わたし達は 映画の中の人生を 生身の人間の人生みたく見る。

ミニカーをおもちゃとしか見れない人には ミニカーで遊ぶことはできひんしね。

映画を観終わって言う言葉で一番最悪なのは「でもまあ映画の中の話やん。」やね。

そりゃあただの映画、嘘っぱちのお話って言ってしまえば、そうやん。

でもそんなことを言う奴はいよいよ だめだね。

いつだって何かから何かを感じようとする努力はやめない方がいいと思う。

そしてそれについて考えること、考えたことを他人と共有すること、共有できない部分について検討すること。

それをさせてくれるのが映画じゃない?

 

とか、時計仕掛けのオレンジも サイコも シャイニングも ゴッドファーザーも 観てないわたしが言うことではないが。

小説についてだって、三島由紀夫太宰治夏目漱石も読んでいないわたしが語るべきでもない。

能動的にならないと何かを摂取できないのは難だなあ。受け入れるべきと思うものをすんなり受け入れられるようになりたい。

 

今言えることは 言葉は大事

それなのに 大事なことのなかには 言葉で伝えきれないこともある

ということだ。

そうしてそれでも言葉を尽くしていくこと。

 

映画も小説も 漫画もアニメも

全部 言葉で成り立っている。言葉は細胞で命だと思うのだ。

それなのに言葉について知らないことが多すぎるし、言葉に重きを置かない人が多すぎる。

もし ほんとうに大事なことが言葉では言い表せない場所にあったとしても それが言葉を尽くさない理由にはならない。

 

と、わたしの一番理解し合いたい人には これがわからないらしいので それはもう、仕方ないけど、わたしはとてもとっても残念だ。

言葉を尽くすことの中にある、適切な言葉を見つけた時の嬉しさ、痒いところに手の届かない時の歯がゆさ、二人で言葉を探す楽しさ、味わいたかったなあ。

 

 

 

あーあ、また隣人が騒いでいます…

最悪だ…

どうせ 彼らはろくな言葉を使わない人なんだろうな。頭悪そうな喋り方しやがって。

 

おやすみなさあい

 

 

ショートカット女の思想

 

 

 

 

ショートカットは思想か否か。

 

 

 

 

ショートカットは思想か否か!!!

 

 

 

先日チラッと見たツイートに書いてあった、「俺がショートカットの女を好きなのはそいつがショートカットの似合う顔だからではなく女なのに髪を短くするという行動に現れるその思想が好きだからなのだ。」

みたいなツイート。

 

しかし待てよわたし(達?)は男のそんな、そんなもののためにショートカットにしているのではない。

男には征服欲が半端なくあるらしいからな。ショートカット女の思想とやらを、上から覆いかぶさって全部丸ごと踏みにじり征服してやる、俺様、という感じか?オラ、ああ?

 

男のことは本当によくわからないので、想像でしかないけどさあ。

 

 

 

最近めちゃくちゃ好きなAマッソというお笑いのコンビがいるんだけど、バリバリの大阪弁、ショートカットでパンツしか履かない女芸人。

女であることを一切利用しない漫才をやってて、わたしには意味わからんネタもあるけど、めっちゃ笑うネタもある。

 

そのAマッソの、「進路相談」というネタが、切実で大好きだ。

巻き髪茶髪ロングのヅラを被った学校の先生役の加納が、ラーメン屋を開くのが夢だと打ち明ける生徒役の村上に 「女」に対する世論を喋りまくる。

 

・女の作ったラーメンは生理的に無理

・W杯観に行く言うていざ会場ついたらなでしこジャパンってなったら詐欺やと思うやろ?

・女を売りにしないAマッソとかいう女芸人はどういうスタンスで見たらええかわからん、ちゅーっとはんぱ!

・50代のおばはんの利便性重視のショートカットはわかるが、20代のショートカットは思想があってクソ

 

などと加納はその特徴的な高い声ときったない大阪弁で熱弁する。

時間が経つにつれ、観客はやっと 加納がヅラを被っている意味がわかる。

女らしい女を演じることで Aマッソであることから脱することで 自分たちの特異さを引き立たせて、それが受け入れられない世間を嘆く。

私たちが女で、それなのに女を武器にしないことが、そんなに気に入らへんのかクソがぁ!と言っている。気がする。

そして悲しいかな、ネタ全てを作っている加納が、めちゃくちゃ可愛い顔をしているのだ。完璧な顔なんじゃなくて可愛い顔。めっちゃ可愛い。いやほんまに可愛い。わたしが男やったら 土下座してでもやらせて欲しい。

たぶん、だから、男の征服欲を煽るのだろうと思う。可愛い顔を絶対に売りにしてたまるかと放たれる汚い大阪弁、コテコテの漫才、ジャケットとシャツとパンツのスタイル。

そういう、なんというか いじらしさに、きゅんとくるやん。

それが、きゅんとこられるのが、めっちゃくちゃ嫌なんやろうなあと 思う、そして、その、加納の、ショートカットには、思想があるのだろうと思う。

思いまくり。

 

だってでも真理なのだ、この国で女が満ち足りた気持ちになるには、大抵の場合男が要るのだということは。

 

女は 綺麗な髪を伸ばして サラサラと揺らして ふわふわと高い声で笑う。強い男に愛されるために。

そんなん 古い考えやん って 思うかもしれへんし そんな風に生きてる人だけでは絶対ない。

でも、でも、でも笑ってばっさり切り捨てられる 概念ではないやろ?なあ。

 

最近 自分が女であることによって滲み出る女の匂いが嫌になって ショートボブっぽかった髪の毛を ショートにした。

滲み出る女の匂いが 出なくなったのかそもそも元からあったのか わからへんけど 自分的にはなんとなく マシになったんちゃん?と思う。

この首筋を見よ、オラァ!と。

 

ショートカットは やはり思想なのか。

女のシルエットに収まってたまるかという。シャンプーの匂いさせてたまるかという。柔らかな手触りを感じさせてたまるかという。一人でなんとかしたるわという。

でもだからといってロングヘアの女の子をどうこう言う気はゼロだ、というか、勘違いして欲しくないのが、わたしが語っているのがショートカットの女について、のみであるということで、ショートカットの女と ロングヘアの女が対極にいるなんて まったく思わないということだ。

別に髪の毛なんてなんでもない。校則で禁じられれば茶髪になんて染めないし、自分を表現するのに七色なんかじゃ足りるはずがない。

ただ、ショートカットに思想はあるか。わたしが問いたい語りたいのはその一点においてのみだ。

髪を切っても胸の膨らみがデコルテが体の丸いラインが、すべてが自分が女だということを世の中に叫ぶ。それなのに、髪を短くするということの意味。

 

ほんまにそんな深い意味あんのか?

ないやろ、と言えないのは、男の人の前で、自分がロングヘアの女の子に比べて、女として見られていないんだろうと、思ったことが、ある、から、   だ……。

 

はあ。

ショートカット女の思想についてはまた書きたいと思う。

 

おやすみなさあい

 

 

 

大学生活ってエモいの一言で表せる

 

 

 

酔っ払ったら表現が過激になって、相手のことを考えられなくなるのが嫌だ。

でも酔っ払ってする議論は楽しい。ごめんねみんなと、次の日になって思う。

 

ああ、おい、情熱はよ。

情熱はどこだ。

アルコールがなくたって なれるはずだよ馬鹿に。頭に血がのぼって見られる世界があるはずだ。

なんでもいいよ、なんでもいいから みんな ジンジャークッキーマンみたいに ばつんと型に 切り取られてしまわないでくれよ、なあ…

そんなこと 言う方がたぶん 馬鹿なんやろうけどさ。

 

でも こんな自分でも 丸ごと肯定してくれる場所ってのが、あるんよな。

みんな、ちゃんと社会に足並み揃えてるのに、揃えられないわたしのことも 受け入れてくれるんやあ。

しょせん うわべしか見ずに わたしは 「みんなよお…」とか思ってんだろうな。

心の中ではちゃんと みんな ちゃんと あるんやよなんか、なんかがさあ。

それにしても わたしは 今の大学、高校を選んでよかったなあと 思う、思えて、よかったよほんまに、なあ。

 

劇的に世界って 変わらないけれども

高校からの友達に いろいろ話して 泣きながら話して 大泣きして べろべろになってから なんだか世界で息がしやすくなったよ。

最近ほんとに みんなが 肯定してくれるんや。いや違うな、肯定してくれてることを 教えてくれる。

ほんとは 存在の肯定なんてたぶん、友達である時点で されてるはず、無言のうちに、されてるはずやのに それを 言葉至上主義のわたしは 信じることができない…。

 

しかし こうも思う、言葉を尽くして伝えることを、諦めてしまえるような思いなら、ないのと同じじゃないか。

四捨五入されずに 切り捨てされるんじゃないか。

相手のために 言葉を探して 思いを伝える勇気って…

素敵だ、うん、いま、必要不可欠!と断じてしまおうと思ったけれど、違うな、それを求めるのだって見当違いに図々しい、

コミュニケーションにおいて、なにかが絶対条件であることなんて、きっとない、それをしてあげるしてもらう、なんて、あってはならないのだ、すべきなんて、ない、ないぜ。

 

息がしづらいことが 前提条件である世の中で、どんな風に 酸素の濃い、空気の綺麗な、場所を見つけるか、そういうことなのか、と今は思う

いやちょっと待てよ、違うか、自分が世界にどのように適していくか、か。

気管に空気清浄機を つけてそれを アップデートしていくんや。

 

今のわたし、基本的に世界なんてクソ!しょうもない全部しょーーーうもないほんまクソクソクソばっかりや!

とおもてるが

たまに 世界ってーのは素晴らしいな、花の匂いよ建築美よ、夕方の空よ夏の海よ、音楽と気温よ、とおもうときもあるし

上々なんや、今はな。

だからこれからよ。これからどうしていくかよ。

最高になりたいし最強になりたいな。

独り言で完結できるようにもなりたいし

寒いね、といえば寒いね、と返してもらえることが当たり前でもありたいよなあ。

どのような形を選んだとしても最終的に満ち足りたい。

やっぱり完全無欠になりたいのだ。

 

おやすみなさあい