こんなに感情の吐露

 

 

 

夏の夜の何が好きって

半袖半ズボンで外に出られる手軽さと

どっか異国めいた空気の質感ですよ

 

オリエンタルな空気が好きなんですよねたぶん。

それで、だから香港はすごく良くて 沖縄も大好きなんですよ

 

今行きたい外国はね、イスラム系の国なんですよね

モスクが好きで。

目の覚めるような青、という表現がぴったりな色をした建物がものすごく見たい。

なんやっけ、あの モスクによく描かれてる模様…

アラベスクって言うんですかね

あれを見に行きたいね。

 

 

 

あの〜、昨日ものごっつい飲んで。

日文の子たちと、嬉しいことに飲んだんですけど

まあ〜、酔っ払って。

っていうのも お料理が全然出てこなくて お酒ばっかりハイペースで(めちゃ飲む友達に触発されて)飲んだから、めちゃくちゃ酔いが回ったんですよね

それで もうみんなにセクハラしまくったのを一人一人に謝りたい。

飲んだら女の子にセクハラする癖が抜けない。

だから飲んだら駄目だと思うんですけど わたしから飲みにケーションを奪ったらそれこそノーコミュニケーションですよ、、

あれなんですよね飲みすぎない、というのが大事なのはわかってるんですよ。

でもねこちとら中学生から飲酒して(しかも一人晩酌)脳みそがドロドロに溶けてしまってるので そこらへんの抑制が効かないんですよねえ

 

言い訳なんですけどね。

 

そんなもんわたしの人生なんて全部言い訳つきですから。

イベント全てにもれなく「〇〇やから仕方なかった!」が付いて来ますからね

 

女の子にセクハラしまくるだけに留まらず森山くんとサークルの友達にも迷惑をかけるという…

後輩に たぶん 泣いてむくれてるとこ見られたな〜

後輩とかいって わたし先輩らしいこと全くしてないので後輩じゃないのか

サークルも、すべきこと終わったら辞めるしなあたぶん

アカペラに情熱がなくて。こないだの日記ではあんなに燃えてたのに。

それで、情熱の復活という不確かなものに5000円も投資できへんし 新歓にもゼロ参加なのでもう復帰はできないやろーなーと。

 

 

 

最近自分にうんざりすることばっかりで

もう病的に。

レトルト食品を作る手順を少し間違えて指摘されただけで動けなくなってしまうレベルなんですよ

わたしにできることが、圧倒的に、ね、なくて。

それでもう、泣くんですけど。

レトルト食品を上手い手順で作られないだけで。

その事実にもまた打ちのめされるんですよね。

こんなこともできない、どころか、できないことを指摘されるだけで泣く、という事実のコンボにどうしようもなく、パンチキックされるんですよ〜

もう、ほんとに 食べることだけが幸せな毎日です。

自分の満足する手順で(非効率的な場合はめちゃくちゃあるのやけど)料理するときだけ 心が休まります。

 

最近と言えば だんだん自分がどんな人間か忘れて来たんですよ。

ゼミの紹介?の楽しそうな映像を見て、見た時にね、楽しそうやないいなあ〜って、素直に思うのがわたしなのか

こんなんわたしには、無理無理ぷーやわ、はあ。って思うのがわたしなのか。

というか、自分がどっちを好きなのか。

どうとっていいのか、わかんなくて。目の前の事象を。

どういう風やったかな と はたと止まって考えて、でもわからんくて 混乱ですよね。

 

桜を見てもそうでした。

桜、綺麗。

でも感動はせんくて、そういえばわたしは桜を見て感動する人間やったっけ、とか。

葉桜になりつつある桜を見て、あれ わたしはこういうの寂しいなとか思う人間やなかったっけとか。

あれ、あれ、あれ…?わかんない……

 

それでまた、意識が混濁したままに生きるわけなんですけど。

毎日ほんとに意識が混濁してます最近は、ほんと。

なにも考えずに 生きた方が 楽で

それでそのせいで なにもできなくて 駄目になるんですけど

そんなんはわかってるんですけど。

 

すごいですよわたし、中学の時から 関ジャニ∞のコンサートの時だけ会う(連絡してくれる)友達がいるのですけどね

その子は ズバズバものを言うのでわたしにわりとよく 「わかってるわかってる、あやほんは自分のこと以外興味ないもんな」ってね、言うんですよ。

あ、そうそう!それそれ!わたしってそれや!と思って。

その子のことをより一層好きになりました。

だって 「自分のこと以外興味ない」ことを認めてくれてるわけですよ、これ以上ないよね。関ジャニのコンサートの時しか会わへんけど。

それでなにがすごいですよなのかと言うと わたしは自分のこと以外興味ないということです。

ブログを見たらわかる通り、なのにわたしは友達に言われなきゃ気づいてなかった…。

 

 

 

やっぱり舞台に出るっていうのは、注目されるポジションではなくとも 自尊心を満たしてくれるのやろうな、と少し、思います。

出てしまったら 出なくなってしんどいわけですが。

 

 

わたしはなんでこんなに、個人的なことをめちゃめちゃ晒してるんやろうな

びっくりするなこれは。

恥ずかしいな〜

見ないで見ないで!

 

よくもこう、自分のネガティヴな感情を、二千字もかけて書けるものだな。

天晴れですよね、そういうことでお金とか稼げないかな、働きたくないので。

 

ではみなさん

おやすみなさあい

 

乙カレー

 

 

 

最近ね、カレーにハマってるんですよね。

始まりは、チキンカレーで

半日、スパイス+ヨーグルトに鶏肉を漬けて、それで作ったカレーだったんですけど

美味しさがやっぱり、違うくって。

 

ちゃんとスパイスを自分で、調合して?というのかな、スパイスから自分でやるやつなんですけど

分量通りにやったら、後は舌が頼りじゃないですか。

なんかいいですよねそういう、ね。

 

スパイシーで美味しいんですよねまたこれが。

半日漬けたやつは まあそこまで?美味しかったけど そこまでバースト!するほどではなかったんやけど

先週に作ったキーマカレーがねえもう、めちゃめちゃ美味しくって!

 

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 もう〜、めちゃめちゃ!

お店行かなくてもいいってくらい!!

まあ、でもやっぱりお店のやつを食べたら そりゃあお店のすごさっていうのはわかっちゃうんですけど 敵わないですけどそりゃ

でも 家庭レベルでは すごくものすごい!

これを 彼女の家に初めてお招きされて「じゃあ、カレー作るね!♡」って言われてわくわくしながら 当然にんじんじゃがいも牛肉の家庭カレーやと思って待ってたら 「できたよ〜美味しいかなあ♡」って出されたら 一生ついていきたくなるレベル……

 

ちょっとだけお酒を飲んだので オーバーになってしまってるんやけど……

 

まあほんまに美味しい!

でもレシピのサイトのURL貼るのが大変 面倒臭いので いつか貼ります。

 

で、今日は キーマのレシピを応用して チキンを入れて そんで牛乳を加えたわけなんですけど

もう〜美味しい!!

2人分を1人で食べてしまいました。

本当に美味しかったなあ〜

 

カレー。

 妹は まじでカレーが好きで 前日のカレーを朝ごはんと夜ごはんで食べるような奴なんですが(朝に隣でカレーを食べられるのは低血圧としてはウザかった)家庭カレーが好きなんですよね

わたしは 断然!スパイスカレーが好きですねナンやサフランライスターメリックライスで食べるような。

 

妹は、家庭カレーの、しかもお肉という一番美味しいところをわたしのお皿にのせ、スープのように食べていましたけども

これもね〜 理解できないですよね。

ココイチのカレーも、彼女は関西人やというのにポークカレーを頼んで 微々たる豚肉ならギリギリ食べますみたいな 奴なんですけど

 

どっちが好きですかみんなは

家庭カレーの じゃがいもやにんじんやが溶け込んだ もったりした感じがわたしはあまり好きやないんですよね

でも2日目のカレーうどんは わりと好き!

 

前まで パンブームやったんですよ 週に一回はパンを焼いてて

でも下宿とともに パンブームは 認めたくないけど 去り……

今 新たに来たのがスパイスカレーブームなんじゃないかと、そう思います。

 

あ、お腹痛い。

それではみなさん おやすみなさあい

 

 

 

 

 

 

春という季節は多分大好きなんですけど

行事めいた春が嫌いなので 春は嫌い、と思ってしまうんですよね〜

 

「出会い別れの季節」が嫌いなんであって むんむんと流れてくる植物の匂いは好きで

「何かが始まる予感」が嫌いなんであって 花の白さと幹の黒さが美しい桜は好きなんですよ

 

行事としての春。

わたしはいつも置いてけぼりな気がしてしまうのですよ。

今で言えば新歓イベントに全然関わってないし

通年で言えば 入学式 なんてワクワクより不安の方が遥かに遥かに大きいし。

別れの面で言えば 卒業式なんて わたし基本学校とか先生とかが大嫌いやから せいせいしたし

友達とは 卒業しても望めば会えるし。

 

だからなんか ね〜

春は 置いてけぼり。

1人でお散歩するなら、好きな季節やけど

 

やっぱり空気の匂いがね、いいなあ〜

ロフトなので窓を開けて寝たのですけど昨日、もう今もお布団から動けないなあ、流れ込む空気の匂いが良くて。

 

春。

ようやく来ましたね。

みんな今か今かと待ってたけど、やっと春だ。

 

もうすぐ妹の誕生日なんだけど、何歳になるのかとか考えたら悲しくなるから考えないでおきましょうね。

妹はわたしと同じくらいの背なのに痩せていて卵型の顔で眠たげな目をしてて、ママの選んだオシャレな服を着てるのでオシャレなんですよね〜

やっぱり痩せなきゃ ああスラっと服を 着れないよなあ〜

むっちゃ仲良かったんですよほんと みんなみたいにどこへでも一緒に行ってたんですけどね

 

 

そろそろ起きてお散歩行くかぁ〜〜〜〜

じゃあねおつかれさまあ

 

 

キャッチーな言葉

 

 

 

就職ってやっぱりしなくちゃだめなんですかねえ

バイトさえできないわたしに 就職なんてできるはずがないんですが…。

なんとか 就職せずにうまく いかないもんかこれはほんと…。

 

わたしは、人よりこんなに劣っていることには大学生になるまでは気づいていなくて

だから ものすごく痛かったんですけどね高校生までは、今も痛いなら、今よりもっと。

だから高校生までは なんとなく このままみんなと同じように生きていくのやと思ってた、

自分の恋愛する様はどうしても思い浮かべることはできなかったけど でもそれ以外に関しては人並みに、できると思ってた。

 

でも 今 自分を客観視して。

自分にできることが余りにもないことに気づいたのですよね。

人並みどころか みんなが当たり前にできることさえわたしにはできなくて

そんなわたしに一体、何が為せるというのか…

 

 

 

 

女の子同士に友情はあるのかという話って結構あるじゃないですか〜。

それで男女間の友情の有無も 議題に常になりがちじゃないですか〜。

男同士の友情の素晴らしさというのはいつの世も語られていて

友情ってじゃあ男の人にしか持ち得ないものなんですかね。

 

そもそも友情ってなにっていう話でさあ。

ツイッターかなんかで見たことある、「友情とはセックスのない恋愛である」みたいな格言、あれはでもどうなんですか?

わたしは 女友達にべたべたしがちなんですよね。

腕も絡めがちだし ほっぺにチュウしがちだし 匂い嗅ぎがちやし

女友達を 可愛い!♡と思うことは多々あるし 久しぶりに会いたいなだとか思うことだってあるわけで

 

でも うーん 決定的な違いがあるよねえ恋愛と友情には。

感情なんて 主観的やし 恋愛やら友情やらなんて内的な 一 感情でしかないわけやから 難しい話やけど

わりと本を読んだりして思考回路がポエティックなわたしとしては 「友情とはセックスのない恋愛である」なんて言葉は無粋!だと思うよ〜。

そうでなきゃいられない!のが恋愛じゃないですか?知らんけど。

 

なんの話がしたかったのかというと 女の子における友情の話ですよ。

あのね〜難しいじゃないですか。女の子って。

わたしが思う 上手いこと続く女同士の友情における一番大事な構成要素っていうのは、「属する場所の違うこと」なんですけど

 

どうなんでしょうこれは、今一番仲良い友達が 高校の時一年だけ同じクラスになっただけの子やし

高校の時 塾での仲良し3人組が わたしだけ高校が違くて、残りの2人はコースが違うから普段会わないって感じやったし

っていうのとかに基づいてるんですけど。

 

どんな形であれある程度距離ある方が女同士の友情って成立する、っていうのは一理ありませんか?どうですか?ないですか?

 

まあいいや。女同士の友情の話でした。

ちなみにわたしは 男女間も女同士も男同士も異種間も 友情はどこにだって成立すると思います。

だって世の中にはほんとにいろいろあるだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

話変わるんですけどあの〜、テレビのニュースでね

「大学生で"一ヶ月の読書時間がゼロ"という人が50%もいる」とやってたんですよ。

それに対しては まぁ〜そうやろうなあこの世の中スマホばっかりで。と思うにとどまったんですけど 次にね

大学生と中学生の 新聞への寄稿で

「大人たちは子どもに読書を強制するけど、それはなぜなのか、どんなメリットがあるのか。スポーツとかと並んで、趣味の範疇である読書なんてしなくたっていいのだから押し付けはやめてもらいたい。」

みたいなことが書いてあって、まあ案の定スタジオの大人たちはお怒りですよ。

「読書による想像力を培ってこなかったからこんな想像力のないことが言えるんだ」とか

「読書をしないのは勝手だしそれによってくだらない人生をおくればいい。」とか言ってたわけですよ。

 

まあでも読書なんて娯楽じゃないですか。

映画鑑賞、音楽鑑賞、スポーツ、読書…

趣味の一環ですよねえ。

そやのにわざわざ"読書時間"とか設けられて読書の嫌いな子どもにも読書をさせるのはなぜなのか。

 

番組でも触れてはった通り、やっぱり「語彙力」と「想像力」を培うには読書が一番やと思うのですよ〜

だって読書する以外に、素敵な文章表現ってどこから見つけるの?

Twitterの140字の中に、youtubeの動画の中に、そんなものってほんとに転がってるんかな

想像力はちゃんと絵で情報を伝えてくれる漫画やテレビではつけれないし 文章を通して頭の中にその世界をつくる、っていうのは楽しいことやと思うんやけどなあ〜

 

どうなんでしょうねえ〜

読書をした方がいいのかそうでないのかって やっぱりそりゃあなんでもした方がいいやろうけど

わたしたちは義務教育で教科書を読み、読書時間で持参した本を読み、していたのである程度は想像力を持ってるとしたら

やっぱりうーん 気軽な追体験の手段であったり語彙を増やす手軽な辞書であったり っていうのが読書を"すべき"と大人が言う理由なのかな?

 

Twitterやインターネットには キャッチーで口当たりの軽い文章、単語しかないですもんねえ

とか、わたし自身が読書が好きだからこんなこと言うわけなんですけどね。

読書を趣味にするよりスポーツを趣味にする方が健康的やしね。

 

じゃあ飽きたので終わります

おやすみなさあい

 

 

音楽について最近気づいたこと

 

 

 

最近になってねわたし、気づいたことがあって。

めちゃめちゃ、音楽が好きなんですよね。わたしというのは。

そんなに意識したことがなくて、歌うのが好きだからアカペラサークルに入ったのだとばかり、思っていたわけですから。

でも違くて、音楽が好きなんですよね。

わたしの狭い視野でいう素敵なベースラインとか、力強いドラムとか、メロディックなギターとか、なんかそういうのもちゃんとひっくるめてわたし、音楽が好きだったんだと思って

そしたら俄然、ほぼお喋りみたいなラップも、ピッチの狂った歌も、キーなんて概念ないですよというような合唱も、好きになれたというか 今まで聴けなかったのが、聴けるようになりましたんですよ。

最近熱心に「楽しそうにやってるのこそ音楽だ!」とか書いてるんですけどブログに、つまるところそういうことなんですよね。

わたしの中での音楽に対しての見方について今、喋ってるわけなんですけど。はい。

 

それでだから、「なんの意味があるんやろう。」っていうのが常にわたしの中にはあったんです今まで。

例えば高校の時に、その時に一緒にやってくれてた子にはちょっと申し訳ないんやけど ふと「あれ、人の歌をそのまま人前で歌って、なんの意味があるんかな。」って思うことがあったんですね。

もしかしたらわたしが楽器をする側だったらもうちょっと変わってたのかもしれないんやけど。

だってまあ言ってしまえばそうじゃないですか。プロの歌い手が歌う、オリジナルが一番なわけで それをなぞることに何の意味があるのって、そういう風なのはずっと消えへんくて。

 

大学生でアカペラを始めたら、でもアカペラってちょっとなんというか、演奏側にも作り上げて行く感があるじゃないですか。楽譜だってバンドメンバーに作ってもらってとかって、そういう創造的な面が。

そしたらじゃあ今度は、「アカペラやったって、もしくはサークル活動したって、将来に繋がるわけでも何かが形になるわけでもないのに、なんの意味があるんかな。」という方に変わって、疑問の形が。

例えばバンドでいろいろあって、頑張らなくちゃいけないときに、頑張るけどそれってどうして頑張るんやろうとか。

例えばバンドがなくて、じゃあ自分でバンド作ろう!ってなった時にどうして自分はバンドを作るのかとか。

理由が全然、わかってなくて、でもさっきというか最近というか、わたしはやっと気づいたんですよ。

音楽が好きで歌が好きで、それで

そういうことに関わってないといられないんやなあ と。

 

だってまあバンドなんてなくたっていいわけで。バンドなくても就職できる、寝れる食べれる、歩ける立ってられる、全然必要不可欠!ではない、なのにわたしはバンドのない現状を嘆いていた。

それがなんでかって、単純にアカペラが楽しくてアカペラをやりたいからなんです、わたし全然気づいてなくて、なんか自己顕示欲とかそういう類のものやと思ってたんですよ。

そんなねそんな大それたもんじゃないんですほんとに。歌で食ってく!とかでもまったくないし誰よりも上手くなってみせる!とかもまったくないし。

わたしは根っからの文科系なので、そういう競争意識とかまったくなくて。

好きなんですよね。なんか涙出てきた。これは何の涙や。先輩の卒業イヤの涙かしら。

 

好きとか楽しいとかは、競いようがないから無敵じゃないですか?

笑顔で歌っている、演奏している人には誰も勝てないと思うんですよ、ヘタクソでもきっとそういう演奏は人を楽しくさせる力を持ってる時点で 上手いだけの音楽とは違う時点で勝ちやん!

 

って 競争意識ないとか言いながら勝ち負けの話をするのはおかしな話なんですけど。

 

昔やってたバンドでわたしがリードボーカルで歌ってた歌が一つだけあって、その歌は見事にピッチが、歌が終盤に向かううちにまあ、狂っていってコーラスと上手くいかんくなって「ああああ...」状態になった歌なんですけど、

それでも友達に「あの歌楽しそうやから好きやで。」って言ってもらったことがあって、それでわたしは馬鹿みたいにずっとそう言ってもらったことを、覚えてて大事にさせてもらってるんですよ。

今思えばね、わたしずっとコーラスだったから、その曲でリードをやることがめちゃめちゃ幸せだったんです。

だって私のために(厳密にはためではないけど、適切な言葉がわかんない...わたしの歌を主軸として?わたしがメインで...?)ベースを歌ってくれるパーカスを打ってくれるコーラスが歌ってくれる ってそんな、今まで羨ましいな楽しそうやなと思ってたことが実際に!わたしに起こっている!となったらそりゃあ嬉しいですよ。

楽しさ百パーセントで歌ってましたから、だからそういうので、伝わったんかなとか言うとなんかちょっとクサいのかもしれへんけど、そうなんかな!と。ね!

 

でもそういう音楽は多分、サークルでは通用しないのかなあともちょっと、思うし

多分、うーん自分もそうやったし、ある程度(聴いている側が不快にならないくらい)はもっていることはアカペラにおいて前提や!とは わたしも思いはするので...。

それだけじゃない!とは大見得切って言いきれるけど そんなもん二の次!とは言いきれないところもありますねえ〜

 

とかいろいろ言ってわたしなんて舞台の上に立てばかちこちで 隣の人と目を合わせることもできないので出直せよ...という感じなんですけどね。

 

 

 

まあ!

目標ですよね!!!!

 

 

だんだんね!!舞台降りた時に「あそこ失敗した...」より「楽しかった!」と言えることが増えて来たしね!!

 

そうですよでも「自分が楽しい」だけじゃあ破綻する!それだけじゃ確実にね!!!!!!

自分が楽しい場であるバンドを維持するために皆が楽しいことが絶対条件であるし、そのためにはいろいろ頑張んなくちゃだめで!

それができてた時がちょっとだけどあったのでああいうのもっかい!ということでまたわたし頑張っちゃおうかなあああああああああわかんないけどそういう気持ちでは今、あります。

 

なぜか卒業しちゃった先輩に、楽しい自分たちを見て楽しくなって欲しいし...。

一緒に楽しめる人を見つけなきゃだな。頑張るぞ〜(たぶん)

 

 

 

じゃあ ながながかいてしもたけど

おやすみなさあい

 

 

 

わたし

 

 

 

わたしというのは 夏より冬が好きで でも夏の好きなところだってあります。

暑くて自然に汗をかくのが 時に気持ちのいいところ

夜、車の窓を開けるとびゅんびゅんと、風が、よくて、虫の声がうるさいところ

太陽が元気なところ

サンダルでのお出かけが気軽なところ

 

わたしというのは 春も秋も気候だけだと好きだけれど 春、秋と言葉にするとあまり好きではない。

春は 出会いと別れ 楽しめる子達 楽しめないわたし 桜が咲くのは嬉しいけれど 満開になると少し悲しくなる

桜の満開は 観覧車の頂上と同じ

秋は 植物が沈黙に向かう感じがして寂しい 夏より冬が好きなはずなのに 夏から冬に向かうのはとても寂しい

人肌恋しいなんて普段思わないのに 秋になると思ってしまう自分もなんか嫌やよね〜

 

わたしというのは 大きめサイズの服が好き

大きなお尻が隠れるし 上半身のシルエットの大きいことが好きだから。

最近履かないけれどサルエルパンツも好き。お尻がだぶっとしてて くるぶしで閉まってる逆三角の形が好き

だばっとしたセーターやトレーナーの中にシャツを着るのが好き 男も女もそれをしてればまず間違いないよねっと思う。

セーター スキニー コンバース で大体みんな大丈夫じゃんと思う。

 

わたしというのは 赤が好き。

鏡を見た時 自分の中のどこか1つか2つか3つ、赤が入ってると 嬉しくなれる。

紺色も好き。紺色と赤の対比がおりなす調和が好き。

黒も好き。黒はすごく好き、一時期はオールブラックにはまっていた。

黒は 赤に似てる。毅然とした態度が。

他のどの色より圧倒的だと思う。

だから生活空間に 身につけるものに 黒と赤があることは わたしにとって絶対だという気がしている。

 

わたしというのは これは変な話だけれど腹痛が好き。

お腹いたぁーい!となるとほんとに苦しいし痛いのだけどなぜか好き。どうしてやろう。これは一種の性癖なのだろうか。

しばかれるのも好きやから ドMなんやろう。

いや、違うか。

しばかれるというか どつかれるのが好きなんですよね。

自分が 馬鹿なことをしたり ふざけたりした時に どついてくれる人と一緒にいることは安心なことじゃないですか。

どつき どつかれる関係というのは わたしにとって不可欠だ。

 

わたしというのは 食事をしている時に喋るのが少しだけだけれど苦手。

お酒を飲み、食べ物をつまむ時に喋るのは楽しいしまったく苦ではないけれど

ラーメンを食べたり、定食をワンプレートを丼を食べたりする時に 相手が面白いことを言うと、食べながらうまく笑えなくて 申し訳ない気持ちになるからだ。

だけれども 食事をしながらの無言が大丈夫な人と大丈夫でない人がいるのも難点である。

あと、自分の食べているものを差し出し、相手の食べているものを一口もらうというのがすごく好き。

「美味しい!」「こっちにすればよかった…」「もうちょっと食べてもいいよ」「美味しいけどわたしのやつの方が美味しい」

1つの味に対する複数の意見が聞けるのは面白い。

友達の梅木は、それぞれ違うものを食べている時にわたしが「美味しいなあ〜」と言うと「いや、美味しいは共有できひんからそんなこと言われても うんたらかんたら…」とつべこべ言うのだけれどわたしはそれがとても好きだ。

そこで 「うん、美味しいなあ」と返されることももちろん好きやけど、梅木独特の屁理屈がとても良いと思うのだ。

そりゃあ、食べてるもの違うもんね。うふふ。

 

わたしというのは 夕方の住宅地が 1人で歩く時は時々苦手、誰かと歩く時は好きだ。

焼き魚の匂い 青椒肉絲の匂い、お味噌汁の匂いカレーの匂い

「今日の晩御飯は〇〇ですか!」と大きな声で言って、一緒に歩く人にうるさいと言われるのも楽しくて好き。

何のお料理の匂いかを当てるゲームが好き。

結局答えはわかんないけど、自分が断固として導き出した答えを覆されたりするのが面白い。

家の庭然としたお花の匂いのするのも、住宅地のよいところだと思う。

その匂いがなんの匂いかを知っているときは、わたしはとてもよい母に育てられたなっと思う瞬間の1つだ。

 

わたしというのは、喉が渇いたときに果物が食べたくなると、わらしべ長者を思い出す。

どうしてお馬に乗ったお嬢さんは、喉が渇いたからお水、ではなくて蜜柑を欲しがったのかなといつも思う。

蜜柑、、確かに水分が豊富やけれど。

そこらへんの井戸から井戸水をくめばいいのに。

でもわたしだって喉が渇いたから苺が食べたいな、と思うことがあるのだし わらしべ長者だってお嬢さんが蜜柑を欲しがったから億万長者になったのやから よいのやけれども。

 

わたしというのは 自分のものが好き。

例えば 全種類匂い比べて 買ったオーデコロン

例えば 自分でびびっと来て 買ったジージャン

例えば 雑貨屋さんで目が釘付けになって買ってもらったマグカップ、キウイバードの置物

好きなものはずっと好き。

人は 環境によって変わったり 仲良くなっていろいろ知ってしまったりして 好きじゃなくなってしまうことがあるけど

ものにおいては そういうことがない。

お店で見て 匂いで 確認したまま わたしの世界に来てくれて 馴染んだり色褪せたり古めかしくなったりはしても そのものは変わらないから。

 

 

 

 

 

今日はわたしのことをとことんかいてみたけれど、意外にどんどんでてくるものだ。

まだまだきっとかけるだろうな。

でも寝なきゃ、眠たいしな。

もうすぐ桜だ、と思いながら桜の木を見上げるのだけど、全然蕾がピンクに染まらないな。

そして先輩が卒業したの、嫌だな、本当に嫌だな。

わたしは馬鹿なことをして先輩に見守られたりどつかれたりつっこまれたりするのがすごく好きなのに。

 

おやすみなさあい

 

 

 

濃い春の花の匂い

 

 

最近ブログも私生活もなんかネガティヴに。

なってたんですけどすごく

こんなネガティヴだとは思わなかった自分。

 

沈丁花の盛りですね。

すごくいい匂いが町中に、しております。

姿は ちゃんと見たことないんですけどわたし。でも母が「もうすぐ沈丁花やね〜、あの匂い大好き」と言っていたので この匂いかな〜と思って それということにしています。

 

見守られている安心感というのは本当に心地よいですね。

自分たちが はしゃいでいるのを 見て笑顔で、時にクスッとして 一緒に笑ってたまにはしゃいでしてくれる人たち。

それが心地よいことを わたしずっと忘れてました。

大学生になって大好きな先輩が何人か出来てから思い出しました。

わたしと妹のはしゃぐのを見守ってくれた周りの大人たち。そういうの忘れていたよな〜

 

4回生って 2つしか歳は変わらないのに 大人ですよね〜。

うんと 自分たちよりものを知っていて 経験もたくさんあって 懐も深いような そんな気がします。

先輩というのは いつまでも先輩ですよね。

年の差が縮まらないし。当たり前ポエムやな。

 

卒業ですって、今週の日曜で、もう、卒業ライブですって。

びっくりするよな〜

 

魅力を獲得するのってすごく難しいですよね。

なんかね、オーラめいたもののあるというか

いるだけで存在感のある人になるのは。

小ささであったり大きさであったり 高さ低さ おしゃれさだったり顔の綺麗さだったり

人それぞれセールスポイントとか目立つ力となるものは違うわけですけど

ただ 大きくても ただ 顔が綺麗でも ピカピカ、しんしん爛々と発する 魅力って手に入らないと思うんですよ。

やっぱり 存在することへの自信、確信、周囲からの容認が1つの要素として大事かなってわたし思います。

 

そういう、ピカピカの魅力のある人が ね、4回生の先輩には何人もいて

やっぱり舞台に立たはるからかなあ、と。

舞台に立つ4人5人6人のうちの、1人として確実に存在してきたことが その人の魅力になるんやと思う。

舞台に立って 俺はここや!私はここや!という気概のない人は(わたしも含めて)かっこ悪いですからね〜、、はい。

なんの話してるんかわからんくなってきた。

 

まあ、あれですよ

そんなピカピカ爛々しんしんな絶対的先輩たちが卒業しちゃったら 寂しすぎるなあって話で。

まだ全然実感がわかないから 寂しさにもリアリティがなくて、あれなんですけど

恐ろしいです日曜日。卒業の儀式が行われるわけですよ

去年は前日練習の時点で泣いていたのになあ

今年はほんとに実感がわかないや〜

 

存在することに自信のある人は、すごく強いよ、ぜったい。

 

母も、昔の(大嫌いな)祖母も、背筋をしゃんと伸ばして 存在することに自信を持って、毅然とした態度で存在しはる、しはってたんですよ外出の際。

ものすごく目立つんですよね、人がたくさんいたってすぐに見つけられる。

別に振り返られるほど異彩を放つわけじゃないんですけど、ただ、目立つんです。紛れない、馴染まない人たち。悪目立ちもたまにしてしまうんですけど。

順当に行けばわたしもそうなるはずやのになあと思いつつ…

 

女の人も 男の人も

女であること 男であること 捨てたら終わりやと思うんですがどうでしょうか。

別にあれですよ女たるもの!みたいなジェンダー論ではなくて。

突き詰めれば 性別だって自分らしさでもあるわけで 女でなければ自分ではありえない私が今女として、生きているわけですよ、ね?

だから、うん

自分らしく 自分として いられなきゃ終わりですよ。

 

それは 若い頃には 比較的簡単にできて

年を取るほどむつかしいねんやろな〜。

でも 人としての味って 大人になんなきゃ しゅんでないわけで

濃い人生の濃い味がしっかりしゅんだ大人になりてえな〜

 

先輩の卒業嫌やの話から飛躍しまくりましたね。

寝ましょうね。

 

おやすみなさあい