わたしはマジのガチで子どもなので 物事や人々の裏の面というのがほんとのほんとに苦手なんですよね。
もちろん主観の話なので わたしに見えてる面が表の面なわけで 裏の面というのは わたしに見えてない面なわけで
例えばわたしには「Aさんっていい子やんね」と言ってるのにほんとは「Aさんていい子ぶってうざい」と思ってたり言ってたりするみたいなことです
例えば「Bくんと全然仲良くないよ」って言いながらBくんと付き合ったりすることです
それたちって わたしから見たらもう完全に不自然なことじゃないですか
その人たちはわたしを裏切ってるわけではないのに わたしは勝手に裏切られた気になってる
わたしだって 誰の目から見ても不自然なことをしてるかもしれないのに 他人の不自然はもう気持ち悪くて居心地悪くて吐き気がしてしまうんですよ
それなら、もう、ネタバレなしでお願いします!と土下座したい。
真相をわたしに見えないようにするなら 「実は…」なんて知らせてくれなくてもいい、恐ろしいのですあの時誰が何をそれぞれに考えていたかなんて知りたくもない。
それで多分、大人になったらそういう不自然にばかり会うんだろうな
恐ろしいことですよこれは、もう本当に人と喋るたびに吐き気、吐き気の連続で
話が変わるんですけど
自分が絶対にこの先食べないだろうなと思うような異国の食べ物とか この先絶対出会わないだろうなと思うような格好や生活習慣の人とか
そういうのをテレビやなんやで見ると ほんとに不思議な気持ちになりませんか?
途方も無いというか ほうけるような
いや特に絶対に食べないやろう食べ物を見たときの不思議に寂しい気待ちはなんなんやろう。
名前すら聞いたことのないお魚のフライ、グロテスクな昆虫の煮物、見たことない果物を鉈で割って出て来た実だとかそういう、自分とは本当に無関係なもの。
それは電車から見る知らない人の家のカーテンとか灯りとかと同じ種類のものを水で薄めたみたいな寂しさというかまあ系統で言えばそんな感じ。
あのね言わないじゃないですか、例えば小さい時に迷子になって寂しかったことを未だに覚えてることとか
例えば倒れた妹が目を覚ました時の嬉しさとかずっと帰りたいって繰り返してたこととか
例えば妹とはほんまに仲が良くてもっと写真とか撮りたかったのにとかそういう、そういうの言わないじゃないですか
だって言ったってもうほんとに意味のない、伝える意味もなくて だから心にしまっておくしかないことってそんなん 言わないじゃないですかどんだけ近くにいる人にだって。
でも心の中の一番どうしよーーーうもない、一番のほんとにやばいところに わたしを左右するやばいところに そういうことたちは居て それはもう厳然とというか、どっしりと揺るぎない事実として いるわけでそういうのが
そのおかげで生理やとか 嫌なことがあったりやとか精神がぐらっとなるとまじで そういうのが出てくるんですけど誰かに言いたいんですけどこういうのは 言えないわけで言葉に出した瞬間に言葉に出せないくらい泣けてきて
だからそういうの そういうのってほんとにどうしたらいいのかな。
どうしたらいいんやろう。もうほんとに。
どうしたらいいのか途方にくれるしかなくてもう、
はあ。
どんどんどんどん生きてくのが辛くなるなあ〜
おやすみなさあい