生駒山上遊園地

 

 

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空が広い、子どもの頃にはあった ふれあいコーナーがなくなったのはもう何年も前のことで、その存在さえもしらない人間が溢れていることは軽い衝撃を与える。

 

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無人の射的ゲームでは、人が弾をくれるのではなく隣に据え付けられたガチャガチャで弾を購入する仕組みだった。ぐるぐる回る景品たち。30発ほど打って ようやく2つのパイの実を手に入れる。誰かの忘れ物のペットボトル。

 

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こちらは 弾を自動販売機で購入すれば その裏の部屋で待機している店員さんが気配を察して景品の乗ったレールのスイッチを入れてくれる。無言かつあまり見えないところにいはるので少々ドキッとする。先ほどとは違い今度は景品は自転しながら右から左へゆっくり流れてゆく。クッピーラムネは縦に長いので狙い目。

 

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これは宇宙船。

 

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これは飛行機。

 

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これはネコ型戦闘機。

 

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9ホール七百円のパターゴルフ。カナカナカナとヒグラシが鳴く。夏の盛りに紫陽花が咲く。はしゃぐ小学生たちが後からやって来て順番待ちをするもので、譲ってやる。なんでも面白いことにしてしまえる彼女たちは笑いながらアイスホッケーのように球を打ちながら進んでゆく。同じような顔をした彼女らに、園内でもう一度会ったはずだけれどそれが本当に彼女らなのかわからない。他の小学生の団体も そのまた他の団体も みんな一様に似たような顔をしている。

 

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遊園地のくせに、廃業した喫茶店 おまけに遊園地のくせに、スナックがあったとは。今は従業員が使っているようで 荒れた様子もなく、きちんと椅子も机もあるべき顔をして並んでいた。先の林では一層ヒグラシが鳴く。

 

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同じような顔をした小学生であったとき、一番好きだったはずの遊具に乗る。数年ぶりだ。何度も何度も乗って慣れていたのに、今乗ると誰より悲鳴をあげるほどに怖かった。子どもの頃より遥かに恐ろしいことは増えてゆく。どんどん手狭になってゆく。

 

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日が暮れて、遊園地のレストランで

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瓶ビール。泡が少々たち過ぎである。依然として鳴き続けるヒグラシをBGMに 暮れ行く眼下の大阪を背景に 遊園地然とした安っぽいヒレカツ定食をアテに 飲むビールは美味しい。コップも冷えていて 山頂にある古い遊園地にしては大変優秀。

 

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とっぷりと日は暮れ、夜。雲は大阪を反射してうっすら明るい。

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遊園地は別の顔を見せる。

 

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昼は光らないネオンをギラギラさせて、こちらが本当の顔のようだ。山の上の風は寒いほどに吹き付ける。昼間の汗はとっくに肌に馴染んでいる。

 

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サイクル・モノレールという 文字通り自転車のペダルを漕いだら進む乗り物は夜景を見るのにも園内を見渡すのにも絶好だ。180度…240度くらい 眼前に広がる夜景は圧巻。このためだけに遊園地に来たって損はないだろうと思う。

 

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地上へのモノレールを降りて駅へ。名も知らぬ小学生たちの背中を追って現実へ戻る。最後にこんな風に親の元へ駈けたのはいつだったかしら。そのようなことをずっと求めながら与えられず与えられないまま与える側になって生きてゆくのだろうな。

 

 

特急券をお持ちのお客様…

 

わたしはね結構物事を比較して類似点を見つけたがるたちなんですけども

自分においてだけは 相対評価ではなく 絶対評価をくだしたいね

他人においても 悲しみや苦しみや幸せやについては 絶対評価をくだしたい

見た目はみんな似てるから 目と鼻と口と、頭には髪の毛、肩には腕がついてて だから比較するのも仕方ないかもしれんけど 中身においては比較したくないねえ

曖昧で誤差がありまくるのに絶対的やと思われてる世間の常識なんて 重視する人間でいたくないね

そんなんほんまはないのにさみんな何を信じてるんやろう

 

だから歳をとっても若者と自分を比べたりしたくない その歳その歳における自分を見てあげたい だって生きてる限り永遠に歳はとるもの

若い人は若さに甘えてる、若さが永遠のものやと思ってるって歳いった人は言うけど わたしはちゃんと心づもりをしておこう、歳とったときに唖然としてしまわないように。

就職とか結婚とか 不確かでほんまに自分に起こるかわからないことより はるかに現実的に当たり前に歳はとるもんやし そっちのスタンバイの方が確かやわね。

自分の好きな自分でいたいな 髪の毛の色も服も傘も好きなものを持ってさ

はあ〜〜

今日は遊ぶ日なので楽しみだな

ではみなさん、、、朝に更新することがないからなんて挨拶したらええんかわからんな

今日も生きましょう〜〜

 

 

あ〜…夏休み……

 

 

 

世界一忌々しいわたしの祖母は徳島の人間で、三年前に亡くなったひいばあちゃんは徳島に住んでたんですよ。

それで、小学生の頃 わたしは 妹共々よく徳島に高速バスで、夏休みなど遊びに行ってたんですけどね。

だから 小学校時代の夏休みの思い出、といえば 徳島のど田舎で 側溝で蟹取りして、お水がずっと足つけてられへんくらい冷たかったんよな〜とか

わたしと妹はゴキブリが大の苦手で でも徳島の家にはたくさんおったわけですよそりゃめちゃくちゃ開けっ放しのおうちでしたしね。それで、ゴキブリを発見した親戚の男の子のうちの弟の方が「なあ……おる………」ってお兄ちゃんの方に囁いたこととか そのゴキブリをひいばあちゃんがばしん!と殺してくれたこととか

みんなでたらいうどん(徳島の名物)を食べに行った時に たらいうどん屋さんやのに 謎にでかい滝があったり でかいスズメ蜂の巣の抜け殻があったり したな〜とか そのたらいうどん屋さんでスライムのガチャガチャしたな〜とか

なんですよね〜。

その中でも何故か鮮烈で独特な思い出というのが 早朝5時前に目覚めたわたしが雑魚寝してた親戚の男の子二人と妹を横目にドアを開けたんです、今やったら 絶対しいひんな、午前5時なんか寝付いて数時間ですよ。笑

まあそしたらひいばあちゃんが外で身支度してて 「どこ行くの?」って聞いたら「お寺へ行くんよ。」って言うから二人で四国八十八ヶ所のうちの最寄のお寺に 歩いて行ったことで。ひいばあちゃんと二人、なんてこと普通ないわけで、わたしの滞在期間は家には常に親戚の男の子二人と妹がいましたから、早朝5時のひいばあちゃんと二人での思い出、というのがものすごく…奇妙に覚えてるんですよ。

それで確か 何かを 帰りしなに 屋台かなんかで買うてもらったんやけど 前まで覚えてたのにな…忘れてしまったあ……

暑い夏の ちょっと涼しい朝やった、あの頃はまだ朝は涼しかったですよね、あの頃はっていうのはつまり、、、10年くらい前?10年…!?は、死ぬ……………もうそんな前……

 

こっちでの思い出は そうそうないのに、草ぼうぼうの空き地で包丁葉っぱを結んで罠を作るとか、したんやけどそんなに多くは覚えてなくて、

そやのに 年に一回か二回しか行ってない徳島での思い出がこんなにたくさん、鮮明で、わたしの「夏休み」の具現化みたいな存在で。

記憶って思い返してみたら面白いですよね、きっと「絶対に覚えとこう」って思ったことなんていっぱいあるはずやのに そういうことは全然覚えてなくて、せやのに徳島で親戚の子に唆されて空き缶をポイ捨てしちゃったこととか、そういうしょーーーっもないことをこんなにもずっと覚えてるなんてね。

覚えておける量は限られてるのに 覚えてられることは選べないなんてアホらしいことこの上ないわ!!

徳島の男の子たちとは今ではもうまったく接点がないけど、いつかまたね会えたらいいね。でもきっと会っても何も話せないんやろうなあ、わたし達は子どもの頃の記憶を共有してるだけで、わたしの知ってる彼らは子どもで、彼らの知ってるわたしは子どもでしかないし 大人になってまた干渉し合うのも、ねえ…?

まあ昔はイケメンやったから、挨拶くらいはしてみたいわな!なんの話やねん!

はい、おやさみなさあい

 

 

きつつき

 

 

 

わたし、たぶん大人になっていってるんやろなあ〜

知らなかったことを 知ってゆく

自分の中に こんな感情があったなんて!と思うような感情を 発見していっている

 

サークルを辞めて、なんか結構たぶん、頑張ってた方やないかなと思うんですけど、サークル、ね、そう…。

でも、辞めちゃって、糞食らえや サークルに必要とされてないし わたしもこんなんもう要らんわ、と思って辞めたんですけど 事実、もう今年度から必要とされなくなってしまったんですよ、だからなんですけどね。ちょうどぽっかり辞めるタイミング というのがほんまにぽっかり出現したので辞めたんですよ。

それがなぜかね、今となれば 「楽しかったなあ、ほんまに青春やったし サークルめちゃ好きやったなあ」って思えるんですよ!いやあびっくり!!

「もう絶対に戻らないし 戻れるよって言われても絶対に戻りたくないけどめちゃくちゃ楽しかった」なんてことが、そんな感情が、あると思ってなかったわけですよ。

楽しかったなら普通、戻りたいやないですか。戻れるよって言われたら戻りたいやないですか。

それを、いや、要らないです要らないです、って思うくせに 楽しかったって言えるんですよ。

だからたぶんね大人になって、というか単純に経験が増えて、そういうタイプの過去が自分の中に出現したんですかね。知らんけど。

 

サークルには 喧嘩してもう喋らんくなった人とか なんとなく気まずい人とか いるわけなんですが そゆのもさ なーんかいつか 一緒にお酒とか飲んでたら爆笑やない!?みたいな 嫌いな人とですよ!?おかしない!?

でも その 「嫌い」 ももう新鮮さを失って そうしたらもう麻痺しちゃってどうでもよくなんのかね。気まずい も 通り越してしもたら 昔話を楽しくできるく なるんかも知らん。

そういう 単純に時間を重ねた意味での 大人になってきたな、って 思いますね。

 

 

ちょっと愉快ですよね、ふふふ、あのグループ、あんなに罵りあったのに、大人になったら居酒屋さんでみんなが笑ってたらどうする?笑

まあ、ないとは思うんですけどね!!!!でも絶対なくはないじゃないですか、そうなった時に例えば誰が集まろって言いだすんかなあとか いやあのメンバーやったら絶対誰も言わんやん、とか その頃になってもわたしたちは、とか そうでなくてもまたおもろいな、とか…

さっき飲んだお酒がまだ残ってるんですかね、まだたぶん二人くらいにはしっかり嫌われてるんでしょうけどね、わたしも最悪なことしたし、でもみんなある程度最悪でしたけどね。笑

そういう 全部過去に押しやって ひとまず落ち着いたわたし達、冷静になって楽しかった時のこと喋ろうや〜なんて そゆのは大人の特権ですよね。

そうなれたらいいなあ、楽しかったな、わたしほんまにアカペラ大好きなんですよ、ほんまに!?って思われるかもしれんけど。

だから残念やけど、でももう戻りたくないけど楽しかった過去になったので、うふふって思って動画とか写真とか、みれちゃいますね。うふふ

いつかまたアカペラやりたいなあ〜

 

おやすみなさあい

 

 

 

 

ふ、と本が読みたくなって Aは突然住んでいるアパート(ロフトつき、だけど夏がきて暑くなり使えなくなった)を飛び出して自転車で駆けた。唐突に本を買いに走ることへの高揚感、そして夏の夕方の、何かの予感を孕んだような意味深な明るさ。

Aは常日頃から断固として冬好きを宣言しているが、今年の夏ようやく気づいたことによると、随分と夏が好きらしい。特に夕方。帰られるような気がする、という表現が一番近いのかもしれない。わりかし大声で歌を歌いながら自転車を漕ぐ。立ち寄ったコンビニの駐輪場所で、地面にあいた消火栓の穴から、突然ゴキブリが出てきたらすごく嫌だな、と思いながらしばし観察をする。自分について気づくことは、他人とは全く関係のない場所で、大事な何かを発見したような高潔な気持ちにさせる。

最寄りの本屋さんは、大型ショッピングモールの中にある。自転車で駆け抜けて15分。夏ともなるとまずまずな距離だ。今年の夏は本当の本当に暑いようで、連日連夜情報番組で暑いですから注意暑いですから注意と騒ぎ立てている。

…休日の大型ショッピングモールの馬鹿げた明るさとだだっ広さはなんと安心させてくれることだろう。それぞれに役割を持った人たちの群れ。収まるべきところにみなが収まっているという、紛れもなくこれは安心だ。喧騒、すぐ傍を走り去る葉っぱみたいに軽い少年、知らない顔の男女のカップル、目の前のことたちがこんなにも遠い。一人で歩くわたし。その周りの他人たち。

たどり着いた本屋さんで、海辺が舞台の本を探し歩きながら、Aはまたしても気づくことになる。ショッピングモールがそうさせるというよりも大きな割合で、夏がそうさせるのだと。人々は、夏、あるいはそれと同じ意味での夏休み、あるべきところに収まっているのではないか。父親は子どもの前で父親として。母親は子どもと父親の前で母親として。彼女は彼氏の前で彼女として。子どもは親の前で子どもとして。彼らは皆、それぞれから許されてそれぞれの役割を当たり前にこなしている。自分の役割の中で役割を忘れた気持ちになって全力で夏を楽しんでいる。そしてやっぱり私はそれから遠いので、そしてやっぱり役割の中で全力で夏を楽しめる勇気がないので、いつも夏に乗り遅れてしまうのだ。夏に焦がれたまま夏を手放す。たぶん、手の中に切符はあるのに。

そうしてAは帰路につく。行きしなに歌っていたのとは違う、夏の歌を歌いながら、カバンに二冊、夏の小説を詰めて。今年は夏に乗り切れるだろうか。たぶん無理だろうなあ。手放しで夏を楽しむことはAには少しこっぱずかしい。だから彼女なりに海に焦がれ、手持ち花火を手にぶら下げ、夏をなんとか自分のものにしようともがくのだろう。

 

 

重たい脳みそ

 

 

 

私というのはいつもこうである。教室の、前から三番目、出口から二列目の席に座ったAは、緑色の黒板を見るともなく見ながら思う。

私というのはいつもこうなのでこうなってしまったのだ。去る者を追う勇気もなければ来る者を拒む勇気もない、途方もないくらいに臆病者だから、なので、こうなっているのだ。

こうというのは具体的にどうかといえば まああれである。Aは単に寂しいのだった。物理的な寂しさではない。友達だって少ないけれどいるのだ。多くても息がつまるので、少ない方がかえってよろしい。大切な人間が多いほど人を大切にできないたちなのだ。そういう寂しさではない、ではなぜ寂しいのか。

楽しいことに飛び込めず、楽しいことを持続させる努力もできなくなってしまったことが寂しいのだ。これは成長(、あるいは老い?)と言えるのだろうか。

言えてしまえば 成長糞食らえ、と思えもするがそれができて何になろう。成長はとっくに高さのピークを超えて、あとは老人になるまで下がってゆく一方だ、私の鮮度は。

それとは別に(つまり下がりゆく鮮度とは別に)、そういう時期なのだろうか。世の中の女性の気性はだいたいがその言葉で片付けられがちであり、そして案外そのラベルは的を得ないわけでもないのだ。しかしAとしてはそのラベルもまた気に入らない。個人個人で別であれ、と思うのだ。百均のラベルにサインペンで走り書きしたような、そんなクソみたいに無個性なラベルを貼るな!自分に貼るラベルくらい、自分で、例えばパソコンで作って印刷したり色とりどりのペンやキラキラのストーンやでデコレーションしたりして、作らせてくれよ!「世の常識」とかいう幻想を誰か、誰かぶち壊してくれ!そんなものは存在しないというのに!…存在しないものを、では誰が、ぶち壊せるというのだろう。

「この教室は、窓が背後にあるので息苦しいな。」

己のどうしようもない主義主張に辟易してAは頭の中でしっかりと発音してみる。見えるのは扉と机と椅子と黒板、それから先生だけだ。テストというのは余った時間に外の景色や空の青を見て暇をつぶすものなのに。カラカラに乾いた咳がでる。数日前にひいた風邪をまだ引きずっている。頭も酷く痛む。奥歯で頭痛を噛み砕きながら黒板を睨むしかすることがない。寂しいことすら忘れてしまえるようになったことには、気づかないふりをする。

 

 

 

夕方、川べり、お祭り、夜店

 

 

最近、よくチャリンコを長時間漕ぐので、お尻が大変痛く、たまにできもんができる。

どこに何をしに行ってるのかと言うと、冒険だ!

今 もっとも興味があるのが コリアタウン

それでしょっちゅう、チャリンコで片道1時間くらいかけて、猪飼野まで ゆくのだ。

鶴橋って、在日コリアンの 文化が根付いた土地じゃないですか。ちょっとびっくりするほど。

なんか すごい キムチ屋さんと焼肉屋さんいっぱいあるし。道行く人の喋る言語は 日本語韓国語半々やし。

すごいとこやなっては 前から思ってたけど 自分が 縁あってその近くに住むようになってから、余計に 異質なものに思えて、思えばわたしは、異質なものが大好きなんですよ。

昭和のまま時を止めた建物やとか、崩れかけの住居とか、宗教色の強い強い建物やとか、在日コリアンめいたお店やとか、廃れていくがままになっているエロい施設とか、新地とか。

平成の世の中に 不似合いなもの、日本文化から浮き出たもの、わたしの日常から外れたもの、がめちゃめちゃに好きで。

だから コリアタウンも、何回も見に行っちゃうくらい好きで。

平野川沿いを チャリで走って 突然!現れる韓国語で溢れた商店街、お昼間に行くことはないので 夕方から夜の コリアタウンしか見たことがないんですが、その なんというか お尻がふわふわするような 自分が異物だ、と感じさせられるような 独特のふんいき。

道行く子どもたちの 喋る韓国語。

日本にいたはずやのに 日本ではない 異国に来てしまったような感じが すげえ よい。

嫌韓やとか 右翼やとか いろいろあって 世間的には どうなんか知らんが わたしも 母も 在日コリアンの友達がおるし、きっと北朝鮮拉致問題とか 鶴橋の昔の治安の悪さとか わたしは知らないから、母は知ってるやろうが わたしは知らないから、だから 「そういう文化」として見られるんですよ。

そしたら 別に 文化に好き嫌いとか ないやないですか、差別とかも 文化自体には 別に ないやないですか、知らんけど。

だから、「在日コリアンの人たちが築いて来た文化」として ある 鶴橋の風景が 好きで。

なんかこういう、デリケートなことを、ネットの世界に、ぶわあと 書いてはいけないんやろうな。

どうしよ、なんか怖い人からコメントきたりしたら。やめてね。

 

平成生まれの、歴史を文字でしか知らない、だから差別もしない、自分の世代やからこそ 持てる視点というか 感覚やと思うねんなあ

 

奈良県は部落差別の盛んな県で、結構 小学校で 被差別部落についての授業をしてたんですよ。実際に 部落での食べ物の お馬さんの干物?馬刺し?かなんか忘れたが、全校集会で 食べさせられたことがあるんです…けどあれは今思うと衛生的に大丈夫やったんかな……………燻製してたんやろか、生やったら あんな全校集会で………まあ今生きてるのでそのことについて考えるのはやめましょう。

それでね、そういう被差別部落の授業で「授業などで取り上げないことで若者が差別問題を知らなければ 差別を知らない若者は 部落差別しないだろう、だがそれでいいのか」という議題について クラスでディベートした記憶があるんです。

今思うと なんちゅう闇深な授業やねんと思わないでもないが、どうなんでしょうね実際。

わたしは、奈良県出身なわけで 被差別部落という存在は知ってるけど、部落出身者とはお近づきになりたくないわ!とかは全く思わへん。

そやって授業受けたけど、完全に「受けさせられた」授業で、記憶には残ってるけど 全くリアルでなかったわけで。

あのディベートは 「知らなかったらいいわけではない、忘れ去られるべきではない」的な結論になった気がするけど、差別する側の理不尽な主張も、差別される側の悲しみも、生の体験者がいなければ 記憶、記録として 文章として ただただ残って行くだけになるんやろうな。

でも、差別の歴史を刻んで行くことになんの意味があるんやろう。

先祖の悲しみは 深いし軽視すべきではないけど、子孫がそれに引っ張られて身動きできなくなるのは絶対にあかんやん。

今、生きてる人たちが 昔の負の歴史を 完全になかったことにしてはいけないやろうけど 生活の中では切り替えてなかったことにしていかにゃいかんくない?

今と昔は違うもん。

 

とか こういうシゲキテキなことを たまには 言ってみました。

でも今日、気づいて 自分が異質なものが好きやってこと。だから、異質なことは 悪ではないし そっから多分 治安の問題とか 色々な噛み合わなさの、問題が出てくるから 差別とかがあるのかもしらんけど。

わたしは 思うんですが、違うってことは 美徳ですよ。

自分とは、自分の生活とは、違うものに 惹かれる。

だから この場所に 下宿してる今のうちにしかできない冒険を たくさんしたいなあっと 思いましたあ

はい、今日もいっぱい漕いでつかりた。

おやすみなさあい