芸能人は人間ではない

 

 

 

アイドルの熱愛は ファンから叩かれるけど、わたし俳優女優の熱愛も離婚も不倫も、嫌悪感でもって 知りたくないんですよね。

だって エンターテイナーじゃないですか、それらの人たちって。

俳優女優は 物語を 文字から映像にするときの 依り代…って言葉が正しいんかわからんけど、最近日本語が正しく使えなくて困ってるんやけど、まあ…言うなれば偶像なわけじゃないですか。

映画に登場するのは、例えば斎藤工その人ではないし藤原竜也その人ではなくて、北野先生でありカイジであって。

だから、嫌なんですよつまり、その俳優の生活が透けて見えるのって。

性癖とか 不倫とか そういうマイナスイメージって例えば「この俳優は猫が好きってバラエティで言ってたな」とか「この女優はメガネをめちゃ持ってるらしいな」とかいう 小さな特徴より遥かに上回ってその人のイメージになって、だから、CMとかも すぐ降ろされちゃうんでしょうね、なんか何言ってるかよくわかんなくなってきたけど…

 

だから 自分と同じ日本人である俳優が 自分と同じように恋愛をして 同じようにコンビニに行って とかの姿は 例えば週刊誌に撮られたりしたら特に、想像したくないけどできるじゃないですか

でも、できる時点で その人ってだめじゃない?って思うんやけど…

庶民派女優とか庶民派アイドルって、いやいやいや、それじゃあかんやん!って思うんですよ。

親しみを感じられたら 芸能人て だめやん、だって、じゃあその人が出演する映画はその人の人となりを通してみてしまって、そんなん映画に失礼やん。

なんか言いたいことがイマイチまとまらない日です今日は…

 

つまりだから キャラクターでいてほしいんですよ。

キティちゃんに、トイレの描写要らないでしょ?ミッキーマウスとミニーマウスのセックスシーンを想像する人はいないじゃないですか。いや、いるのか?いたら多分めちゃめちゃ少数派やと思うんやけど。

映画にドラマに出る人に、人間を求めてないんですつまり。

だから、ゴシップとか、なんのためにあるん?って思うんやけど…

どうして 芸能人に人間としての背景をつけてしまうのか。

 

その点で言えば ハリウッド俳優とかは いいんですよわたしにとって、顔のつくりも人種も違うし住む世界があまりにも違いすぎるし、よほどのビッグカップルでなければ知ろうとしないとゴシップなんて知らずに済むし。

わたしにとって 彼らは 人間ではないと もはや言い切れる人たちで。

だから 洋画は 安心してみられるというか 邦画より キラキラしてみえるんですよね〜

 

とは言え日本にも素晴らしい俳優女優はいて、だからそういう人たちの 映画はたくさんみたいですね。

思想も宗教も性生活も関係のないところで、純粋に映画の登場人物という虚構として二次元に現れる人たち。

そんなもの、生身の人間に求める方がおかしいって言われたらそれまでなんですけどね、でもそういう職業ではないの?と思ってまいます。

 

では 新しく手に入れた江國香織を読みます。

わたし最近 江國香織の本しか読破できない病気にかかって 読みかけの本が溢れてます。やばいんやけど。

おつかれさまあ

 

 

 

その業界の人にとっては人の死は商売であるということ

 

 

 

お通夜からなる一連の お葬式やら一周忌やら、が大嫌いだ。

亡くなった人を思い出すことは 儀式じゃない。

一年ごとに お偉いお坊さんがする 真面目くさった上から目線の(亡くなった方を思い出して笑顔で集まるのですよ、など)説教を聞くのはほんとうに反吐がでる。

こちとら 故人を忘れた日はない。どうして他人から「死というものはおしなべて…」などと聞かされなくてはならないのだ。

お経なんて 意味を持たない文字の羅列だ。素人のラップの方がまだ聞いてられる、なんて言ってるかところどころ理解できるから。

 

だいたいが 外面を良くするための儀式なんだろうなと思う。

伝統や格式、なんてものは。

そりゃあ 大事にした方がいいものはごまんとある、昔からの技術とか 工芸品とか 大切なものはたくさんある。

でも、昔人間の「世間様にどう見られるか」に第一義を置く考え方はほんとに ゲロを吐きかけてやろうかと思うな。

「どういう人間か」より「どういう人間に見られるか」が勝つ、その腐った常識は気持ちが悪いものだ。

 

東京ビッグサイトで、「エンディング産業展」なるものが開かれたらしい。

葬儀・埋葬・供養などの終活に関する設備・機器・サービスが一堂に会する専門展示会

であるという。

最近は、"個性的なお葬式"ができるそうだ。

ニュースでは、畳敷きの棺桶にリポーターが入って「あ、い草のいい香りがしますね」と、ご丁寧に蓋まで閉めて話していた。

カラフルで柄物の骨壷、スマートフォンをお墓にかざせば故人がこっちに手を振っている映像が見られる。

そうか、人の死は最早産業なのか。いや、そりゃ昔から 墓石屋や葬式屋など 産業としてあるけど、それとはまた違ってきている気がする。

死というのは 誰しもに訪れる当たり前の出来事だ、だから1つの流れが確立されて産業となるのも自然なことやろう。

 

でも、「個性的なお葬式」ってなに?

どうしてお葬式に インパクトを求めるのか。

そうでもしなくちゃ思い出してもらえないのか?

お葬式をカスタマイズできるのなんて、生き過ぎた老人だけだろう。

まだ生きてる友達に「〇〇さんとこのお葬式は すごかったね未だに覚えてるわ!」などと お葬式があるたびに思い出されるのを望んでるわけですか?

違うやん、「〇〇さんは楽しい人だった」とか「〇〇さんと行った旅行楽しかったな」とか 人柄や思い出で思い出されなきゃ意味ないやん。

 

それに、死っていうのは 絶対的に永遠にその人を失う出来事やのに それを偲ぶ会やったり石碑やのにそんな 馬鹿みたいな なんて言うんやろうコントロールできるもののように、楽しんでカスタマイズして、1つの 楽しいイベントみたいに、ハロウィンやクリスマスみたいに、しないでよ と 思うんですけど…

あらかじめ 死ぬ前に 老人にお金を使わせるには そういう 終活というのは いいのかもしれませんね。

いろいろ 周りが決めるのも あれですもんね。「安いやつにしといてください…」なんて言われへんし 全部当人が決めてお金払っといてくれたら楽ですし。

死でさえ備えられるほど生きるなんて生きすぎやとは思いますけどね、死ねないんやからしゃあない。

 

まあね、いろいろ言ったけどね、

若い人のお葬式と 老衰で死ぬ人のお葬式じゃ まったく違うんですもんね。

わたしはまだ 老衰で死ぬ人のお葬式に行ったことがないのでわからないけど。

 

周りにろくな老人がいなくて、だから「祖父母=優しい、お小遣いくれる、なんやかんや死んだら悲しい」みたいな世間の人々が本当に羨ましいんですよね〜。

老人が トラウマ的に嫌いなんですけどわたし、老人嫌いって多分男ウケも悪そうやないですか?女の子も いい気しないでしょうけど。てゆうか嫌いなのを表に出さなければいい話なんですけどね、無理なんですよね素直な人間なので。

理由があっても受け入れられ難い老人嫌い、やっぱり世間の老人は優しいんかなあ〜孫世代には。

 

わたしはねえ理解なんてされるわけないからしなくていいよ って ドンっと突き放すんですけどほんとのところは まじで理解されたがりなのでね。

「自分とは違うし受け入れはできないけど理解はできるよ、君はこうなんだね」と言ってくれたなら誰かが、言ってくれたならすごく嬉しいな〜と思いますね。

 

みんなは、死ぬのは怖いですか?

死に方が怖いんかな、やっぱり交通事故とか病気とか戦争とか そういう死の匂いのするものは痛そうやし悲しそうやし恐ろしいですね。

でもねえやっぱり、自分が死ぬのより周りの大事な人が死ぬことの方がよっぽど恐ろしいし、そういう恐ろしい悲しい気持ちに周りの人をさせないためにできるだけ死なないべきですね。

自分が世界から外れて、穴が空くのは自分じゃなくて世界なわけやからね。

単純に、苦しんでるその人を見たり、動かなく目を覚まさなくなったその人を見たり、その人に二度と会えないってことやったり、は、単純に、悲しいもんね。

 

恐ろしいなあ

必ずみんなが 大切な人たちも 例外なく 死に向かってるという事実。

それを味わわないには、自分が死ぬしかなくて、自分が死んだら 悲しい気持ちを代わりに自分の大切な人たちに味わわせることになる。

必ず誰かが絶対に悲しいって、ほんまに怖いなあ。

 

はあ………

今日も背徳の薔薇を聴いてから寝ます。このところ毎日です。

おやすみなさあい

 

 

ベーパが好きよっていう

 

 

わたしは、前述の通り アカペラをかじってたんですけど

特に やっぱり パーカスとベースっていうのは 花形ですよね。

なんやかや わたしは リードをまず見て、次にベース聴いて パーカスの構成にハッとしてうっとりする、みたいな 感じでアカペラを聴いてます、元コーラスやのに。

 

でもコーラスも やっぱり ハモってるのは 当たり前として うまいバンドは スキャットが かっこよかったりして 聞き応えがある。

今、急に猛烈にハマってる背徳の薔薇というビジュアル系アカペラバンドの スキャットがめちゃ好きだ。

「ダカダカ」とか「チャララ」とか なんか一見すると かっこよくなさそうなフレーズを バチっとハモって 自然に歌を構成する要素…伴奏…にしてしまえるのは まじですげえ。

あと うまい人々は 声量がすごい。つまり ハモれないことを怖がらない(ハモれるからであるが)ので 楽しそうに歌う。

ほんまに 常日頃から言ってるけど 楽しそうに歌えない、演奏できない人の音楽ってほんとに退屈ですからね、だから、楽しそうに歌う人たちは 最高!

 

はい!

では発表しますダカダカダカダカ好きなパーカス大選抜スリー!!

 

・ボイスプレイのパーカス

・サークルの先輩のパーカス

・背徳の薔薇のパーカス

 

このお三方は 音色もさることながら 構成がほんっまにかっこいい。

ボイスプレイは まじで なんやな〜そら テクいんやろけど わたしには わからへん、最早すごすぎて。でも、ここ!ってとこに打ちはるから聴いててゾクゾクするほど気持ちいい!特に好きなのが shooting starの入り方!

VoicePlay- Shooting Star (Acapella) - YouTube

ほんまに何回聴いたか知れん、狂おしいほど好き!!!

先輩のもそう、あーもうそれ、そこにしかありえへん!ってとこに打ってくれはって やばい。音色もめちゃ好き。音圧が最高。繊細さと大胆さを兼ね備えててめちゃかっこいい、でもわたしみたいなもんが語ったら申し訳ない。

そして背徳のパーカスは 音色はあんまり好きじゃないねんけど わたしのような素人でもわかるくらいテクい。ここ!気持ちいい!っていうんじゃなくてわたしには新鮮な打ち方で いつもびっくりする。しかもかっこいい。テンポもやばい。やのにクール。顔も服も好き。かっこいい。

 

あと、背徳のベース、テクい音突きすぎてわたしには最早音が外れてるのか合ってるのかわからん。かっこいい。

 

ベースも好きな音色があって 他大の もうわかんない人のベースがめちゃくちゃ好みやったのに どうしてあの時バンド名をメモしなかったんやろう。

どの大学かも忘れてしまった…

チェロとか コントラバスとか そういう系のベースを ぼぉんぼぉん刻む人で めちゃめちゃ耳に心地よくて好きやったんよなあ、、、

ベースラインってめちゃくちゃおしゃれな音程刻まはるときあるやないですか、その〜〜、弦楽器のベースでも!あれを発見したとき、ふおぉーー!かっけえええとなります。メロディーラインから離れてお散歩するとき。かっこいいよなあやっぱり縁の下の力持ちやないですか!ベースもパーカスも、人の声ってよりは 楽器寄りの 言うなれば職人芸でさ!それを追求してはるのがかっこいいよな〜〜〜〜

 

あ!あと これも好きなバンド、パンダクションの ベースも すっき〜〜!

なんかやっぱあれですね、立ち姿とかかっこいいやん のっぽですらっとしてさベースの人。

堂々と演奏してる人はやっぱかっこええな〜〜〜〜

また パンダクション聴きたいな〜〜

 

そうなんですよね、わたし まったく自分から働きかけてないのに 有名どころを ちょくちょく観に行かせてもらえてて、わけもわからんままついて行って聴いてかっこいい!ってなってたなあって感じで

パンダクションも BAKABA(仮)というめちゃおもろネタバンが好きな同期が 行こ! っつってチケットとってくれて 行ったライブで好きになったし、、、ガガまさしも聴けたし。

背徳の薔薇も 解散前に 奇跡的に わけもわからず整理券をゲットして 50フェスというアカペライベントで 生で聴いたし!ぜんっぜん覚えてないけど!!!ほんま!クソ!

∮とBROAD6が すげえかっけえうまいいってなって 音源ダウンロードしたり したんやけど…

背徳は 「みかんみかんみかん!」って言ったことと、解散情報をその場でRTさせられたことしか覚えてない…はあ………

 

でもなあなんかいろいろ ほんまに うまい人たちのアカペラを聴かせてもらえてたんやなあ、、、

音楽も小説も会話も遊ぶのも 受け身やからなあ〜 享受する側にしかなれないぜ〜

バチっとハモるときの楽しさは知ってるけど やっぱりなあ〜、なんか そっち側ではないんやろうな、やっぱり聴き専なんやなあ

せっかく先輩が色々 アカペラの楽しさとか 技術とか 教えてくれたりしたのになあ

不甲斐ないなあ〜……

 

でもあれやな

いっかいボイスプレイのパーカスを生で聴いてみたいな。

 

あ、あ、また朝!!!

おやすみなさあい

 

 

 

スベカラク

 

 

 

未練があるってどういう状態のことを指すのだろう。

例えば、別れた恋人と写った楽しそうな写真をたびたび見返してセンチメンタルに浸る

それって 未練があるってことなんかな?

今、よりを戻しても上手くいかないことはわかりきってたり もしくは 別れ際に口汚く罵りあった末のさよならやったとしても?

 

未だに 2年前の音源を聴いたり 今更 youtubeでたくさんアカペラを聴くようになったり 前より アカペラを好きになったけど

これはじゃあ未練があるってことなのかな?

 

 

バンドメンバーって 友達ではなくて でも仲悪かったら成り立たへんわけで 絶妙な距離感ですよね、しかも、「仲良しすぎたらバンド長続きしないよ、」と言われているにも関わらずバンド内での恋愛(時々、肉体関係を含んだ友情…?)の多いこと多いこと。

たくさん一緒にいるから 仕方ないんでしょうね、男女がそういう仲になるのは。

 

最近 わたしは 思うんですけどね やっぱり恋愛というのは 錯覚やないのかと。

まあ、例によって例の如し一昨日手に入れた江國香織の長編小説『思いわずらうことなく愉しく生きよ』からなんですけど まだ読んでる途中なんですけどね。

長女は愛こそすべて思考、次女は股の緩い恋愛体質、三女は恋愛未経験の友情と肉体関係しか信じない女 という三姉妹が主役のお話で、恋愛が錯覚だと思ってるのは三女なんですけどね。

「長女みたいにほんとの愛に出会うまで恋愛という名の錯覚に騙されないようにしないといけない」って日記に書くんですね。

かくいう長女は 旦那にDVを受けていて 愛し合ってるのに八方塞がりなわけなんですが。

でもじゃあ 長女だって 一年付き合ってる彼氏がいる次女だって その恋愛が錯覚じゃないなんて言えないと思うんやけど、、、次女は「この人は今まで付き合った男の中で一番好きだ、でも今までもその時々の人が一番だと思って付き合っていた」って考えながら、今の彼氏をめちゃ愛してるんですよ。

やっぱりそういうもんでしょう、恋愛って。

ずっと一緒にいて 相手の素敵なところをたくさん見つけて相手も偶然わたしの素敵なところを見つけてくれて それで前より選択的に長い時間を共にしたら。情は移って離れられなくなって。それを何年も重ねて一緒にいて家族になって愛が生まれて。子どもができてずっと一緒にいて。最終的に 結果論として 「この人と一緒に生きて来てよかった」ってなれたら万々歳、なわけでしょう?

誰といたって多分、誰と付き合ったって「自分にはこの人しかいない」って錯覚しちゃうんですよ。そんなことはないのに。選択の果てに一緒にいてそれが重なって大事なものに見えてるだけでただの時間の堆積の結果の、二人の間の空気やのに。それが運命的にこの世で最上のものやと思い込んでしまう。

じゃあ 三女の言うように「ほんとの愛に出会うまで錯覚に騙されないように」できてる人はどんくらいいるんやろう、途中で離婚する夫婦は錯覚で結婚までしちゃったってこと?

逆に 恋愛はすべからく(すべてって意味じゃほんまはないらしいけど江國さんもその意味で使ってたからわたしも使う)錯覚やと思う方が楽というか…単純な結論?当たり前の結論?じゃない?

悲しいけど悲しいけどでも唯一無二なんてないでしょう?少しでも人生の選択が違えば出会う人もまっっったく変わってくるのに そしたら別の人を好きになるのに その人が唯一無二やと思い込むのに。

運命的なんてだって違うでしょ、たまたま選んだ道の先で近くにいた人を好きになったってだけやん。

 

〇〇という共通点、△△という共通点、ほらこんなに相性バッチリ運命だわ!って、、、そりゃあそうなりたいけどさ、例えば北海道に沖縄に東京に、行ってそういう人探せばたくさんいるでしょ分母がこんなに大きいんやから香港にサンフランシスコにリオデジャネイロに、もっと気の合う人がいるかもよ?

それらの可能性をかなぐり捨てて一人の人と付き合うけどさ そしたらその人しかあり得ないって思うけどさそんなことはあり得ないよな!

でも、それらの可能性をかなぐり捨てて一人の人と付き合ってる今現在もしくは過去、は、それはそれで大事というか有難い時間なわけで。

貴重な若い、恋愛と錯覚の違いを見極めるあるいは、できるだけ錯覚ではないと思える恋愛を見つけるための期間を、割いてくれて一緒にいてくれてるわけやしね。やからこそ合わへんってなったら情に引っ張られずに次を探した方がいいと思うねんわたしは。

 

どう思う?

むつかしいね。

わたしは今日もまた日が昇ると共におやすみすることになる。

みんなはおはようやのになあ、

おやすみなさあい

 

 

アニメについてのカゲキシソウ

 

 

 

わたし思うんですけど気を悪くされたらごめんなさいね、あの〜〜、世間に萌え絵が蔓延り過ぎてませんか?

 

こないだびっくりしたんですよトイレに!行った時にね、清掃中の 置き型の看板ってあるじゃないですかあれがね、置いてあったんですけど そんなん 「清掃中 足元注意」みたいなことを、書いとけば済む話じゃないですか。

または、滑ったら危ないことを伝えたいなら、滑ってもうてる棒人間、とか を描けばいいのにさ わっざわざ デフォルメされた女の子の絵にね、笑顔で 「清掃中です!」って言わせてるんですよ。

いやいやいやと。

違うやん、何を伝えたいん?

その絵、いる?いらんやん。なんでなん?

 

って思って まあそれだけを見てこんなに逆上してたら ただの「萌え絵嫌い人」やと思われてしまうかもしれない。

何が嫌って 萌え絵って 女性が男性に媚びてる絵じゃないですか。

本来光ってるわけないところがテッカテカしてたり なんかおちょぼ口が半開きやったり おっぱいの質感を表現するためにありえへん服の構造さしてたり ヲタクが好きそうなキャラやったり、、、

そんなもんさ、検索したり わざわざ探したり しないと見えないところにしまっといてくれへん?って思うんですよ。

別にちょっと目につくだけやったらいいですよこっちもそれくらい、熱狂的なeighterやった過去を思えば オタク的コンテンツ同士多少のことは我慢しますけどさ

ちゃうやん、最早最近、「ヲタクが経済を回してる!ドヤ」みたいなとこあるやん。そういう層の人って。いや偏見かもしれんけどさすがにその ドヤ とかは捻くれた見方をしてるかもしれないですよでもね、あっきらかに前より萌え絵が 一般人の生活に 普通の顔して存在するようになったじゃないですか。

なんやったらスマホゲームの おっぱいたゆんたゆんさせるような CMでさえちょっと不快ですからね、こっちは。

前までそんな そこまで思わんかったけど 多いねんなんし、目につく頻度が。

 

萌え絵じゃなくても女性向けのアニメ系もちょっと苦手ですけどね、わたし。

なんて言うの「耳が孕む」みたいな言葉、昔あったじゃないですか。それを誘発させるような 男の声優さんの喋り方 とか 苦手やし

そこは個人のあれなんやけど そういうCMだって多いじゃないですか。

 

それとね、これはね、ほんまに オタクを否定してるわけじゃなくて なんかな〜なんていうんやろ

大学の 授業でね 二次元オタクの動物化?みたいな ことを 先生が言っててさ。

二次元ってことは 人間じゃないわけで 何に反応して好きになるって「ツインテール」とか「巨乳」とか「猫耳」とかそういう視覚的なことで。

そういう 萌え〜っていうのは見た目のフェチズムで つまり 本能的なものらしいんです、つまり理性的でなく動物的という。

これはだから 女性のオタクではなくて男性のそれに関して言えることやと思うんやけど。

そういう 萌え に従事する人口が増えて、マイノリティじゃなくなったら 堂々とみんな 二次元にそういうこと求めるじゃないですか。

ほんで、VRとか 出てきてるじゃないですか。

日本終わりやん って思うんですよお。

別に終わったっていいけどさあ、なんかさあ〜

悲しいやんねえそんな だってみんな 現実にいない 男性に媚びることに特化した 歳をとらず余計なこと言わず 男性側の都合の悪いところは一切言及しない 虚構に 発情してるんですよ…

 

発情といえば 女性はどうなんかな。

ヲタク的文化って やっぱり男性発祥ですよね?だってチェックシャツバンダナとかも男性のファッションやん、ほんで「〇〇たそ〜ぺろぺろ〜」とかも男の人の言葉でしょ?

女の人は そもそも 萌え は感じてないのかな二次元に。

かくいうわたしも 小・中学生の頃は漫画に夢中やった二次元ヲタだったわけなんですけども 性的な目でアニメキャラを見てませんでした。

なんやこの独白。こわっ

やっぱりこんな 朝5時まで起きてたらいけませんね、なんやこの独白、こわっ

 

そもそもなんでこんな話になったかと言うと萌え絵が多すぎて気分が悪いっていうことですよ、ええ。

目と鼻と口と四肢にオプションでアホ毛とかぺちゃぱいとかを付けた絵に発情してるだけで最早人間に発情してるのではないんとちゃうか?

そういう人でも 生身の人間のAVとかにも発情するんかやっぱり

やっぱわたしは女やからな〜そういうの考えるのには限界があるよな。

下ネタは好きなくせに性的なものが苦手やから過剰反応してんのかな。でも媚び媚びテカテカの萌え絵を見るのは萎えるんだよ〜

 

はあ、、、きっと日本はもっとアニメ大国になってくんやろな、、、嫌やな〜

おやすみなさあい

 

 

生駒山上遊園地

 

 

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空が広い、子どもの頃にはあった ふれあいコーナーがなくなったのはもう何年も前のことで、その存在さえもしらない人間が溢れていることは軽い衝撃を与える。

 

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無人の射的ゲームでは、人が弾をくれるのではなく隣に据え付けられたガチャガチャで弾を購入する仕組みだった。ぐるぐる回る景品たち。30発ほど打って ようやく2つのパイの実を手に入れる。誰かの忘れ物のペットボトル。

 

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こちらは 弾を自動販売機で購入すれば その裏の部屋で待機している店員さんが気配を察して景品の乗ったレールのスイッチを入れてくれる。無言かつあまり見えないところにいはるので少々ドキッとする。先ほどとは違い今度は景品は自転しながら右から左へゆっくり流れてゆく。クッピーラムネは縦に長いので狙い目。

 

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これは宇宙船。

 

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これは飛行機。

 

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これはネコ型戦闘機。

 

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9ホール七百円のパターゴルフ。カナカナカナとヒグラシが鳴く。夏の盛りに紫陽花が咲く。はしゃぐ小学生たちが後からやって来て順番待ちをするもので、譲ってやる。なんでも面白いことにしてしまえる彼女たちは笑いながらアイスホッケーのように球を打ちながら進んでゆく。同じような顔をした彼女らに、園内でもう一度会ったはずだけれどそれが本当に彼女らなのかわからない。他の小学生の団体も そのまた他の団体も みんな一様に似たような顔をしている。

 

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遊園地のくせに、廃業した喫茶店 おまけに遊園地のくせに、スナックがあったとは。今は従業員が使っているようで 荒れた様子もなく、きちんと椅子も机もあるべき顔をして並んでいた。先の林では一層ヒグラシが鳴く。

 

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同じような顔をした小学生であったとき、一番好きだったはずの遊具に乗る。数年ぶりだ。何度も何度も乗って慣れていたのに、今乗ると誰より悲鳴をあげるほどに怖かった。子どもの頃より遥かに恐ろしいことは増えてゆく。どんどん手狭になってゆく。

 

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日が暮れて、遊園地のレストランで

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瓶ビール。泡が少々たち過ぎである。依然として鳴き続けるヒグラシをBGMに 暮れ行く眼下の大阪を背景に 遊園地然とした安っぽいヒレカツ定食をアテに 飲むビールは美味しい。コップも冷えていて 山頂にある古い遊園地にしては大変優秀。

 

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とっぷりと日は暮れ、夜。雲は大阪を反射してうっすら明るい。

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遊園地は別の顔を見せる。

 

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昼は光らないネオンをギラギラさせて、こちらが本当の顔のようだ。山の上の風は寒いほどに吹き付ける。昼間の汗はとっくに肌に馴染んでいる。

 

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サイクル・モノレールという 文字通り自転車のペダルを漕いだら進む乗り物は夜景を見るのにも園内を見渡すのにも絶好だ。180度…240度くらい 眼前に広がる夜景は圧巻。このためだけに遊園地に来たって損はないだろうと思う。

 

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地上へのモノレールを降りて駅へ。名も知らぬ小学生たちの背中を追って現実へ戻る。最後にこんな風に親の元へ駈けたのはいつだったかしら。そのようなことをずっと求めながら与えられず与えられないまま与える側になって生きてゆくのだろうな。

 

 

特急券をお持ちのお客様…

 

わたしはね結構物事を比較して類似点を見つけたがるたちなんですけども

自分においてだけは 相対評価ではなく 絶対評価をくだしたいね

他人においても 悲しみや苦しみや幸せやについては 絶対評価をくだしたい

見た目はみんな似てるから 目と鼻と口と、頭には髪の毛、肩には腕がついてて だから比較するのも仕方ないかもしれんけど 中身においては比較したくないねえ

曖昧で誤差がありまくるのに絶対的やと思われてる世間の常識なんて 重視する人間でいたくないね

そんなんほんまはないのにさみんな何を信じてるんやろう

 

だから歳をとっても若者と自分を比べたりしたくない その歳その歳における自分を見てあげたい だって生きてる限り永遠に歳はとるもの

若い人は若さに甘えてる、若さが永遠のものやと思ってるって歳いった人は言うけど わたしはちゃんと心づもりをしておこう、歳とったときに唖然としてしまわないように。

就職とか結婚とか 不確かでほんまに自分に起こるかわからないことより はるかに現実的に当たり前に歳はとるもんやし そっちのスタンバイの方が確かやわね。

自分の好きな自分でいたいな 髪の毛の色も服も傘も好きなものを持ってさ

はあ〜〜

今日は遊ぶ日なので楽しみだな

ではみなさん、、、朝に更新することがないからなんて挨拶したらええんかわからんな

今日も生きましょう〜〜