shit...

 

 

 

 

ツイッターで めちゃくちゃにいい文章を見つけてしまって萎えた

なんだろうな、なんなんやろうめちゃくちゃいいんだよ

アタシの本垢のふぁぼ欄から見つけて欲しい

でもねきっと…その良さは…

眉毛を濃く描ける奴にはわからないだろうな

あと、肩を出しまくる奴にはわからないだろうな

あと…あと……

なんてこんなのは差別でしかないんだけど

きっと写真撮るときアロハの手の形にする人との間にも共通点はある。

 

 

なんだか今日洗濯物を干していてさ〜

「〇〇な妙子さん」という題名の小説を書こうと思い立ったんです

ちょうど多分ブラジャーを干しているときに…(こういうことは言うべきではない)

でも その 〇〇の部分を 完全に忘れてしまって

その小説は次元の狭間に吸い込まれて消えてしまいました………

 

悲しい

 

こういうことは多々あって、寝る前に あ、明日起きたらこういう小説を書こう!と思っても一億パーセント、起きたら忘れてる。

それやのに 完全に 完全な自信でもって 明日の自分が覚えてると 錯覚してしまうそれは毎回のこと………

どうして学ばないのか…

 

 

そうそう 今日なんか五分くらいのエクササイズのアプリをとって 五分くらいのエクササイズをしたんやけど

五分くらいしかエクササイズしてないのに 太ももが歩くと、わなわなすんだよな

なんだよこれ

むかつく

 

 

太っていることを魅力にしている人はこの世の中、一定数いるが

太っているということは 褒められたことではない…

でも 太っていても自分の存在に自信を持っている人は 可愛いし モテる

自分への肯定感が やっぱ 大事なんだろうな 大事マングローブ

 

 

 

その…未来図とかに 出てくる 空中に映像映せるやつ あれ憧れるね。

いいな〜あれいいな でも映す対象がなかったら映せへんやろうから実現は難しそうやな〜

でもあの〜 電子チップみたいなん郵送されてきて スイッチ押したら ボスのホログラムが現れて 司令とか言ってくるの、あれ憧れるな〜

ほんで 「数秒後に爆発します」とか言ってさ(笑)

慌てて放るっていう、これは完全にミスターインクレディブルの影響。

 

 

 

髪の毛とか 歯とか 気持ち悪いよ

リアルな描写って苦手なんだよな〜

村上龍の小説とか まじで吐き気するもんな

腐った果物ってさ〜ぐじゅぐじゅして嫌やのにそれを詳細に描写するって気が狂ってんのかと思うよな。

気が狂ってるから小説なんか書けるんかも知らんけどさ〜

 

 

 

なんかめちゃくちゃ雨降ってね?

うげ〜洗濯物外に置きっぱだよ〜

友達の助言で、夜通し洗濯物を外に置くことを始めたんです

だから 深夜0時でも 洗濯物が外にある

 

洗濯物って生活感の最たるものですよね

でもさっき 自分の首筋を見て(もうあったかいので半袖のだぼだぼのTシャツを着ている)生活感のあるうなじだな〜と思いました

シワとか ではなく どうしてだか 生活感、と確固たる意志で、思いましたねあれはなんでだ

 

あの〜、結婚とかしてない、する予定もない男女の 同棲する仮住まいのあのまったく清潔感のない すげー、人の匂いしそうな部屋。

いいな〜

全然、入りたくはないけど 写真とかで見ると クソ情緒あるよね〜

 

 

クソ情緒。

 

 

使用済みティッシュと天使ぐらい対極にありそうな言葉の組み合わせやな

 

「天使の使用済みティッシュ

ってなんならちょっと神聖な感じする

 

 

「使用済みティッシュの天使」

にしたら なんか 臭そう

 

 

 

 

 

………

 

 

 

嫌な気持ちになりました。

どうしてくれるんですか。酷いな。

 

ピーターパン 迎えにきてくれ

なんなら 窓の鍵開けとくし

雨やから タオルも用意しとくし

飛ぶとき寒くないように 裏起毛のパーカー着て待っとくわ

 

おやすみなさあい

 

 

クソ

 

 

 

 

人生つれぇ〜

昨日まで無敵期間だったんですけど、だめになりました〜辛いです人生まじで

みんなにも人生がこんなに辛くあってくれ〜

わたしだけなんて不公平やん!お願い〜

 

って感じで

昨日まで "みんな"のことなんてつゆほども考えてなかったのに。

わたしの人生がわたしだけのものであったことにあんなに充足した気持ちになっていたのに、

いまは 明日からの 残りの人生を一人のものとして生きるのがつれぇ。

 

でも 人生が 一人だけのものだと わかってるってこと、ある意味では幸せなんですかね。

誰かのために 生きざるを得ない人だっているかもしれへんし

 

うちのママン、常日頃から わたしには どんな男の人を「これが恋人です!」と連れてきてもいいと言ってるんですが、たったひとつだけ条件があって、それは、「女の人を連れてこないこと」なんですよ。

同性愛というのに どうも 抵抗があるらしくて

その理由が、生物学的におかしいから、らしい。子どもを産み、種を存続させる というのが恋愛の自然な形なのだから、子どもを産むことができないのに性愛を伴う愛の形は 不自然だという考えだそうだ。 

感情的な理由でなくて よかった〜とも 少し思うし、不自然という点においては わたしも同意せざるを得ないな〜とも思う。

子どもを産むということは 生きている人間の  ある種の責任でもある。子孫を残さずに、自分の代で それまで紡がれてきた生命の糸を途絶えさせてしまうのは、無責任であるとも思える。

 

しかしわたしは、もう、その責任を果たすべきな時代ではないのではないかな〜と思うのです。

少子高齢化社会じゃないですか。老人が若者や子どもを殺してる時代じゃないですか。

それになんの対策も打たれてないじゃないですか。

老人は 若者が子どもを生まないのが悪い、とわたし達に責任を押し付けるじゃないですか。

国を動かす人たちが 全員老人で、老人を守ることばかり考えて、子どもが育たない社会にしてるじゃないですか。

 

なんかね〜、ほんまはもう ほんまに終わってる社会なんじゃないかと思うんですよわたし。

未来なんてないと思う。

メディアを参考にして わたし達生きるじゃないですか。だから、メディアが 終わってますよまじで〜って言わない限り、まさかほんまに終わってるとは 思わない。

戦争してて、負けてても 勝ってますよ〜って報道したら 国民は 勝ってるんや〜って安心、いとも簡単に安心するじゃないですか。

性善説で生きてんですよみんな。まさか、誰かが嘘をつくなんて、思ってなくて、

国を動かす人間が甘い蜜を吸うために まさか管理されて操作されてるとは 考えへんし、考えたとしても一瞬でその考えは遠くに押しやる、だってそんなこと考えてる暇ないし。明日のこと、自分の人生の残りの時間のことを考えて なんとか生きしのぐのに必死で。

 

ここまで読んで、なんか政治的なことを言ってて恐ろしいなあこの人…ともしかしたら思ったかもしれないですけど、わたしが言いたいのは今から言うことだけです。

あのね、こんなクソッタレな世界やからね、わたし達に、義務なんてないんですよ。

人類としては お先真っ暗なんやから、種の存続が〜とか 生殖の義務が〜とか まっっっっったく考える必要ないんです。

自分さえ 自分の人生さえ 思う通りに生きられたなら、いいんですよ。

だから子どもを産む必要なんてないしさ、結婚する必要も誰かを愛する必要も、大嫌いな親の面倒を見る必要もない。

なにかをしなくちゃいけないことなんて ほんまにないと思う。

環境破壊は止まらへんし、空気はどんどん汚くなって 海面上昇してただでさえ人類多すぎるのに土地もどんどん狭くなって多分奪い合いになるやろうし

頭のおかしい老人は増えて これからもどんどん増えて 老人のための国になる。

 

だからほんとに、わたし達の人生って 個人のものになってんやと思いますよわたしは。

そーゆー時代なんちゃうかな〜と。

「女は子どもを産む機械だ!」とか老人が言ってさ、フェミニストどもはギャンギャン喚くけどさ、それがなんなん?って、ほっといたらいいやん。

「近頃の若者はやる気がなくてけしからん!」とか老人が言ってさ、若者は目くじら立てるけどさ、それもほっといたらいいねん。

誰がなにを言おうと自由やし、耳を塞ぐのも誰かを嫌いになるのも憎むのも好きになるのも距離を置くのも自由やぁん。

 

こんなクソみたいな時代に 社会とか世界とかおっきいもののためになんかをする必要なんてないと思う話でした。

クソ。ほんまにクソですよ。

 

なんか最近わたしやばい?

反社会勢力みたいな話ばっかりしてへん?反社会勢力ってヤクザのことか、えーっと…反政府的っていうの?

友達減るかな…やばいかも

わたし 宗教もやってへんし右翼でもないよ…

世の中をクソやなと思ってるだけ…自由でありたいだけなんです…そんでみんなも自由であってほしい。みんなにも平等にクソであると信じてやまない人生においてさ。

 

おやすみなさあい

 

 

延々と と 永遠と を間違えてる奴多すぎ

 

 

 

 

わたしと他の子、他の子の方が先にLINE送ってたとしても、わたしのLINEを先に見て、文字を打つ時間も惜しんで返してくれてたとしたら、ちょっと嬉しい。けどもそれは確認する術がないから、妄想の域を出ない。

ちょっと嬉しいことの話でした。

 

 

 

 

 

 

 

ところでマリファナとか セックスとか好む人たちのこと 、ヒッピーって言うじゃないですか。

電気製品、石油製品、化学製品使わない キリスト教の人たちのこと、アーミッシュって言うじゃないですか。

そういうの欲しいな、そういうの たぶんあると思うんやけど

「人生のある時点で一瞬の幸せがあれば残りの人生、生きがいゼロの余生でもいい」っていう考え方の 小説や映画や、演劇や、あるじゃないですか。わたし、それに属すると 思うんですけど

そういう考え方に、名前ないんかな。なんちゃら主義、みたいな

あれかな、いま、思い出したんやけど 浪漫主義とかかな。

浪漫主義とは、たぶん個人の独自性を重視する考え方の名前(たぶん!)で、授業では 独自のものは、この資本主義の時代においては、死しかない って習ったけど

独自のもの と 思われるものが、外から見たときには 死しかなくてもさ

個人を重視する考え方なんやったら、個人的に、一瞬のなにかを 自分一人だけのものやと、独自のものやと思ったんやったら、他の誰がなんと言おうと、そうなんじゃない?

だって 浪漫主義って 個人個人のものでしょ?

思想統制の進む現代で、干渉されないのは、恋愛と性欲だけ、では…?

 

とかゆーこーゆー考え方も

公的な出版物に依拠してるわけで〜

 

でも 何かを読んで それを正しいと 解釈したのは自分やし。

本当に価値のある本には、自分が正しいと知っていることしか書いてないらしいし、ってこれも、本を読んで書いてあったことなんやけど。

それも、もともとある考え方の たくさんのうちからなにかを、自分に合う1つを、選ぶって形でしかない、っちゃあない。

価値があるかどうか 決めるのは読み手で、価値があると思うということは、正しいことを書いてあると自分が思ってるからで、正しいと思うってことは、自分のぼんやりした考えに、適切と思える言葉を使って 形を与えているのがその本だからってだけで

つまり 自分一人がこう考えているってだけじゃ不安やから、似たような考え方をしてる人が書いた本を読む。そして、この本にこう書いてあったんだから、この考え方は 正しいんだって思い込む。

 

でも正しいと思えるならそれでいいやんね。現代社会は無秩序で、色んな感情が渦巻いてて、正解も不正解もなくて、どんな規範も誰かが決めたってだけでしかなくて

その中で自分が正しいと思えることがあるなら、それに従って生きればいい。

 

正しいと思えることを 生まれながらに 1つに決められてるのは どうかと思うけど、つまり、イスラム教の家に生まれた子どもはイスラム教、とか。

誰もが、正しいと思えることを探して 生きられればいいのに。

 

免許がないと運転してはいけません って決まりも、道端にゴミを捨ててはいけませんって決まりも、人を殺してはいけませんって決まりも

大なり小なり全部 数世代前の知らない誰かが決めたことってだけやもん、背いたら逮捕されるけど、逮捕歴があることを 悪いことって決めたのも 知らない誰かでしょ、じゃあ、言ってしまえば、自分個人には 関係ないよね。

 

社会的に死んだって 取り返しのつかないなにかをしでかしたって 自分が生きてるってことは変わらへんし

言ってしまえば誰かを不快にしても 傷つけても 何しても その人の自由ではあるんやと思って

してはいけないことなんて ほんとはないんじゃないかな、みたいな

 

自分が自分であるために邪魔なら 法律とかなんとなくの社会の暗黙の了解とか 守らなくてもいいと思うんだよな〜

社会に属する必要がないと思ってる人が 社会規範を守る必要はない!

社会に属さないってことは、家族も恋人も要らないってことだけど それでもいいなら いいやん。

 

わたしは 守った方がいいな〜と思う法律は守るけど、守る必要ないな〜と思う法律は守らない。

赤信号でも 車も自転車も来てなかったら 渡るし、お酒も煙草も、チャレンジしたかったから未成年でもチャレンジしたし、

そういうのって べつに守らなかったからといって どうなるわけでもない 社会から 殺されることも ないし

でも どんだけ憎い人がいても 人は殺さないし 無免許で運転しないし 物を得るときにはお金を払うし それは この社会に属してる人の中に大事な人がいるからで だから自分も社会に属しておく必要があるからで

 

なにが言いたいか みなさん わからないと 思うんですけど

いま、自分で 書いたことを読み返したんですけど 自分でも意味がわからないなと 思ったんですけど

なにが言いたいかっていうと

なにかの決まりを守るのも守らないのも 個人個人で決められるよな〜ってことと

大事なもののない人は 恐ろしいってこと

 

自由でありたいけど 自由であるのは 寂しいことだ

だからできる限りの自由 を 守りたい

 

はい。

おつかれさまあ

 

 

 

海は広いな大きいな、海のように広い心でいたいぜ

 

 

 

 

おはよう。

風邪をひいていました。だいぶしんどかったです。

自分と周囲に 「花粉症なんで 笑」と嘘をついて、ちゃんとバイトにも行きました。誰にも風邪、うつってませんように…

 

海にいきたいですね。

ていうか全人類、海にいきたくないということ、あるのか?

海にいきたくないよ〜 って人 ちょっと手を挙げてもらいたいんですけど

たぶんいないでしょう。

 

だって海やで?

海ってすごない?圧倒的やん、制御不可能やし、めっちゃ深いし、底になにがおるかまだわかってないんでしょ?

え?この時代に!?空も飛べるし宇宙にも行けるのに!?

海の底にはいけないなんて!

まず、地球のことどうこうしてから、そっから地球の外にいけばよくない!?

 

わたしね〜スポーツには縁がなくて、興味もはっきり言ってゼロなんですよね。

だから、マラソンとかする人への気持ちの理解がゼロなんですけど

理解がマイナスの競技、あの〜、海にどんだけ深く素潜りできるかってやつ。

あれは…なに?

なんで失神するまで潜るわけ?

脳みそに酸素がいかないってことの恐ろしさを、知識として知ってるだけで、ほんまにはきっとわかってないんでしょうね。ああいうことする人たちは。

そういうことに命をかけて、周りの、自分を愛する人たちが どんな気持ちになるか わかんないんですよ。いいよな〜、そういう人こそ幸せですよね。だってそんな悲しみを味わったことがないから、周りの人にそれを味わわせることになってしまうってことがどんだけ最悪なことなんかわかんないわけですからね。

 

なんか 怒ってるわけですけども

 

話変わるんですけど、twitterでバズってるツイートってのは、クソの役にも立たへん馬鹿みたいな自己顕示欲の産物であったり、自分のツボに入らなかったりするものが多いんですけど

最近 おお〜役に立った と思ったのが

@takinamiyukariって人の

娘「…(ムスッ)」
私「あのさ自分の機嫌は自分で直すんだよ。誰か私の機嫌直して!みたいな態度は人を嫌な気持ちにさせるよ。でも君はラッキーだ、なぜならこのことを今知ることができたから。お母さんは気付くまで時間かかった。死ぬまで自分の機嫌を直せない人もいるぞ」
娘「今知ってよかった…」

 

というツイートで、いやーわたしもそのことに気づけてなかったんやな!って思って。

機嫌をとってもらおうと、親しい人にね、してしまうときがあるわけですよ!

あかんことやってわかってても ムスッとしてまうしそのやり場もわからなかったわけですよ。

でも、ああ機嫌て自分で直すもんなんやー!って思って!明文化してもらわなきゃわかんなかった自分が恥ずかしい。

 

それでこのツイートを探してる際に、

「自分の機嫌は自分で直せって言うけど、機嫌悪いときに無理して機嫌良さそうに振る舞うのは精神衛生上よくない」

みたいなこと言ってる人を見かけたんですけど それは違うよね〜と思って、たぶん、わたしの、解釈があってたら

自分の機嫌を自分で直すっていうのは、イコール不機嫌になるなってことじゃないと思うんやけど…つまり、不機嫌になったところを始点とした話ですよね?

不機嫌になったとして、それに伴う不機嫌オーラが出たとして、そこからそれを他人に直させようとするなって話であって

自分で自分の機嫌を直す過程で、「ごめん今私機嫌悪くて でも直そうとしてるからちょっと待ってね」って相手に 自分の機嫌が悪いことを認識させても全然いい、というか相手に悟らせるよりは断然いいのでは、と思うわけですよ。

伝えれば相手は「そうなんや、じゃあそっとしておこう」と思うことができるし、勝手に機嫌悪くなって勝手に直す分には、害はないわけで

だからでもそれを伝えられる信頼関係の構築が大前提ですけどね。

大して仲良くない友達に「今機嫌悪くて〜」とか言っても、意味は理解したとしても「なんやこいつ」ってなるやろうし

 

昨今、親子関係も見直されてきてさ、毒親なら切り捨てた方がいいって考え方とかもあって、どんだけ血縁関係や信頼関係や、深い関係性を持った相手でも、その人の個人の性質が最低なら離れていってしまえるようになったじゃないですか。

だから、「常にご機嫌でいる」というのは みんなの課題でもあると思うんですよ。

それで、でも、それができない人というのはめちゃくちゃたくさんおって、そういう人と関わるのはみんな、避けたいじゃないですか。

そのために、そういうのを避けてご機嫌な人と出会うために、自分もご機嫌でいなきゃなと思うんですよ。

自分の機嫌は自分で直す。自分のご機嫌とりの上手い人間にならないといけない。

わたしは自分の感情をコントロールするのが上手いわけではまったくないんですが、それでもご機嫌とりくらいなら、できそうな気がするし。

好きな人を愛する人を居心地の悪い気持ちにさせない、不快にさせないために

好きな人に好かれるために 愛する人に愛されるために 自分の機嫌は自分でとりましょうという話ですよね。

 

わたしの解釈が正しければなんですけど。

とかいうと、思ってることを少ない文字数で思ってるままに伝えることって本当に難しいんですね。

そこがまた twitterの恐ろしさ。

 

 

ではみなさん今日もおつかれさまあ

 

 

 

 

ララランドについて多少深く喋る

 

 

 

 

 

 

ララランドという映画が好きで好きで仕方なくて、そればっかりに日常に取り込みたくなくて、映画館でしかみたくなくて、DVDを買わずにいたんですが

このたび、地元近くの映画館で復活上映してて(しかもIMAX!)、観にいったらもう、常に観てたいなと思ったので、DVDを買いました。

個人的に、素晴らしい映画なので もう皆さんが観たというていで書きます今日のブログ。

 

ララランドのなにがいいって、わたしは、世間の映画ファンの酷評する、「ありきたりな脚本」がいいと思ってるんですよね。

あんなに華やかで ビビットミュージカル映画という現実離れしたジャンル、まさに正統派の"映画"

あるにもかかわらず

ありきたりで わたし達の人生に寄り添った平凡な内容なんですよ。

もう、だって「一組の夢見る男女が出会って夢を追う過程で別れる」ってだけ、それだけの脚本ではあるわけじゃないですか。

それをさあ、最後の何分かの通称"ララランドタイム"が、やっぱりあんなに素晴らしいものに昇華している、一番の要素だとは思うんですが、でも他にもいろいろな要素があるんですよ!

 

昨日DVD届いて、4回目観たときに思ったのが これはセブの回してる物語なんやな、ということで

セブという超偏屈ロマンチスト野郎が、現実的で平凡な女の子ミアを映画の主人公にさせたんやな〜と、っていうのが、

女の子ってみんな、王子様に見つけてもらうのを待ってるじゃないですか。じゃないですかっていうか、まあ、そういう願望を少なからず持ってるじゃないですか。王子様っていうのは、まあちょっと過剰描写で、もっと言えば「誰か」に見つけてもらうのを待ってる。

ミアも例に漏れず完全にそうで、だから物語の始めでは、ララランドの象徴とも言える鮮やかなブルーやイエローやのドレスを着て、誰かに見つけてもらいやすいように着飾ってる。

それをセブが見つける。渋滞で鳴らすクラクション、警備員を巻いて無理くり入ったカフェ、ボールダーシティの図書館の前。セブに見つけてもらったから、物語の後半、ミアはもう地味な色の服を着て、普通の枠を抜け出して自分の夢に没頭できた。

 

ほんで、セブについては、劇中で「ロマンチストすぎる」「偏屈で頑固だ」とほかの登場人物(セブの姉やキースら)から言及されてるけど、ミアについてはそういうの一切ないじゃないですか。それは、たぶん、説明するに足りない女の子やからやと思って…彼女の個性は言わば「女優になりたい」という夢だけであって、割れたスマホの画面や退屈なパーティ、上っ面のいい彼氏(グレッグ)など、"今風の女の子"でしかないのがミアなんかなあと。

 

そんなミアがどうしてセブに見つけてもらえたかというと、冷めたことを言えばセブがロマンチストだったから。3回も偶然会ったら、そこに意味を見出さざるを得ないのがロマンチストというものでしょう。

でも、やっぱりほんとは、ミアが「少しの狂気」を持ってたからなんかなあと思ってて、「Audition」の曲中で、彼女の叔母が言ったように。真冬にセーヌ川に飛び込むような狂気が、キラッと光って見えたから、セブに、「Someone  In  The Crowd」に見つけてもらえたんかなあとも思います。

 

ほんでララランドタイムの解釈、ネットでみたのが「現実とは真反対の夢」というもの。

たしかに、子どもの性別まで逆にするんや〜(笑)とは思ってたけど、すべてが逆という解釈は、なるほどしっくりくるなと。

ミアの旦那さんが映画のプロデューサーというのは知らなかったんですが、そうそのサイトには書いてあって、ミアはあのAuditionに落ちて、プロデューサーと結婚することで有名女優になった、という解釈がされてたんですよ〜。

「ああ〜…」って感じ。

結局は、ロマンチストなセブと現実的なミアという始めの真反対に戻ったんか〜…みたいな。

いやわからんけどね!でも、やっぱり、子どもの性別がさあ、ほら…

 

「君は赤ちゃんだ!ピーピー泣いて!」とセブに怒鳴りつけられて「大人になるわ。」と言ったミアは、あのAuditionをきっかけとしてしたたかに夢を叶えたんですかね〜。

そしてセブは、"大人になって"曲げた夢を、またもう一度、お金儲けを捨ててまで元の夢に戻して。ロマンチスト街道を突っ走った。ミアが結婚してることは知ってても自分は一人で店を繁盛させてさ。ああーセブ。わたしがもらってやろうね。

 

どうなんですかね。

やっぱり、夢を持つ人間にとって、最愛の人のとなりにいることより夢を叶えることは大事なことなんかな?

ララランドタイムで、あんなにパリのライブハウスで楽しそうにピアノを弾いてたセブはさ。バンドでは、全然楽しくなさそーにさ。常に消化不良でさ。

きっとキースに誘われる直前までは、ライトハウスで黒人に混じってピアノを楽しそうに弾いてたセブは、「傍らで踊るミアとピアノとジャズがあれば俺の人生は最高!」と思ってたはずなんですよ。

それやのに。

夢が、そこに至る道筋が不透明な間は、二人を固く繋いだのに

叶いそうになって突っ走ると、愛する人が邪魔になるなんて。

 

わたしには夢がないから、全然たぶん、ロサンゼルスでくすぶるロマンチスト達の気持ちはわかんないんですが

夢を叶えるために生きている人にとって愛が最優先事項でないなら、あんなに愛する人を得られたというそれだけのことがもうセブのかけがえのないことだったんかな〜と思う。

たとえ離れ離れになって、たとえ愛する人が他の場所で別の愛する人を見つけても。

愛してた、そして愛してる、それだけでいいのかな。そして、それは、全然彼らだけに限ったことではないと思うからこそ、わたしはこの映画が好きなんです。

 

誰かと愛し合った時間が 完全に過ぎ去ったものであったとしても、別れた今でも愛してると言えるほどのものなら、全然まったく、それでいいんやということ。

うまく言えへんなあ〜、うーん、

二人でいたことが過去形になっても、愛は過去形にはならないということ!

うーん…

つまりだから、真昼のグリフィス天文台での「ずっと愛してる」、セブの笑顔とミアの呼応する笑顔、二人で最後に見た夢。

そういうこと!もうそういうことなの!許して!

 

そういうことが LALALANDを初めて観たあのときから、ずっとずーっとわたしの心を動かしてやまない。

 

エンドロールの出演者の名前のところが、

「セブ:ライアン・ゴズリング
   ミア:エマ・ストーン
のすぐ後が無名の登場人物(famous actressとかやったかな?)なんです。

たった二人の物語なんですよ。二人、その他周りの風景、要素、環境。

 

誰かに見つけてもらえたら、その人と生きれなくたって死ねなくたって、人生には価値がある。

あー、ララランド。最高。

だれか同じくらいの熱量で語ってくれへんかなあ。

 

 

 

風邪引いてるんで寝ます。

おやすみなさあい

 

 

 

気持ち悪いなあ、もう

 

 

 

エディブルフラワー食べても 排泄するときには綺麗じゃなくなってるの、ウケない?笑

 

 

 

こんばんは。月曜の夜、皆さまはどうお過ごしでしょうか。

どうお過ごしであろうと、別に興味はないんですが、もしおもしろいことがあったり、聞いてほしいことがあったら、聞かせて欲しいなあ

 

そもそもね、お酒の飲み方として、記憶がなくなり本能をさらけ出しゲロを吐くまで飲む、というのは、たぶん間違いだと思うんですよ。

ジャズやボサノバを聴きながら、誰かとたまに喋ったり、笑ったり、して、それで頭ぽわぽわになるくらいが、正解だと思うんですよ。

でもま、今は子どもなので わたしとしては記憶なくすくらいしないと楽しくないから、浴びるほど飲むわけなんですけど

 

今は子ども、って言ったんですが いつになったら大人なんでしょうね。

昔の自分を思い起こすと、知ってることが随分増えて、ずいぶん大人になったような気がするけど 自分のことを 大人か子どもかで表さなければならないとしたら 全然、大人とはまったく、断言できないわけで

自分のことを大人と言い張って、「大人の言うことを聞け!」というような人間に まともな人はいないとも思うんですが

そもそも周りに いい大人が少なすぎて 大人への親近感もいい印象もなく、嫌悪感が募るのみだったのがいかんのか

大人というのは 自分より年上の人間を指すのか

自分よりものを知っている人を指すのか

まあそんなもんクソどうでもいいんですよ。

だって 大人やら子どもやら、そんな相対評価どうでもいいんやから。

わたしはわたしであなたはあなた、わたしよりあなたが大人だとか子どもだとか そんなことより わたしの性格や好きなこと嫌いなことあなたの好きな食べ物嫌いな乗り物、そんなことの方が大事だ。

 

みんな似すぎてるから、比べざるを得ない世の中、クソクソクソ

 

生きづらい、生きづらいじゃないですか、世の中。

でも生きづらくない人って、いるのか?

この世の中が完全に生き良いと思える人、そんな人、いるのか?

いるとしたら、その人とは絶対に友達になれないな。

息がね、どうにもしづらい、だって見たらわかる、こんなに排気ガスが蔓延して 花粉も PM2.5も飛んでて、生きやすいなんてそんな、王蟲かっていう話ですよ。王蟲と友達になれる?なれないでしょ?だから無理なんですよ。こんな世の中 ガスマスクなしで平気に生きてる人間とは。

 

友達になれない人と無理に友達になる必要はないし、馴染めない職場に無理に馴染む必要はないし、通りたくない道を無理して通る必要はないと思うんですよ。

自分を曲げてまで、なにかをする必要は、絶対にないと思う。

我慢は必要で、適応も必要で、学習も必要だけど、それらのために、自分を抑え込んで 死んでしまう必要は絶対ない!

だって 自分と似たような人が集まる場所は絶対にあって、そこで学んで適度な我慢をして適応していけばいい。

何かが 耐えられない苦痛であったら その何かは、自分がすべきことではないってことやと思うんです。ほかに適役がいて、自分にはもっと、他の場所がある。

こんなことを言ってたらまた社会不適合者やとか会社員にはなれなさそうとか言われるんやろうけど…

社会ってなんなん?労働って必ずしも苦労の結果なん?自分を殺さないと社会人にはなられへんの?

どうして、入った会社のために自分を変えなくてはいけないのか。上司の言うことをきくために自分を曲げないといけないのか。

歳食ってるだけの馬鹿なんて掃いて捨てるほどいる。どうしてその人のためにしんどい思いせなあかんのか。

それが正しいことなんやったら正しいことなんてくそだ。

なんで唯一無二の存在として愛されて生まれてきて、ある時期になったらまったくみんなと同じにならないといけないの?謎。

 

とか言いつつ最近髪の毛の色を大幅にトーンダウンして 似合わなさに辟易しています。

そういうことじゃない。別にそういうことを言いたいわけじゃない。

 

わたしがわたしらしく、あなたがあなたらしくあるのに何の理由がいるのか。

人がいて成り立つ社会なのに どうして社会の言いなりになるの?

 

ああ、10年後のわたしがこのブログを見て、間違っても「あの頃は尖ってたなあ(笑)」なんて思わないように

もし、そんな風に思うならもう、何も言わずに死んでくれ。

 

悲しい。

死ねない老人と好きに生きられない若者たち

悲しいことしかない。

 

おやすみなさあい

 

 

 

そうそう、あの話

 

 

 

 

お湯を飲んだら すげー体ポカポカしてさあ、しゃーあせな気持ちで お布団に入れるよね

 

眠い目をこすりながら、普段なら絶対に起きない朝早くの時間に起きてさ、渡り廊下をぺたぺた歩いて ガラス張りのバイキング会場に行く幸せ

 

少し風のある寒い日に広い温泉を独り占めして、水面から立ち昇る湯気を見る

 

道端の蔦のつくる壁はなぜかふわふわしてそうと思ってしまう

 

心地よい声で喋る人の喋る話、内容はなんでもかまわない、聴いているだけで天にも昇る気持ち

 

チリドックのソーセージはパリッとしててジューシーであれだけで幸せになれるのに、量が少ないと感じてしまう それくらいがもしかしたらいいのかな

 

あたしは恋愛小説って断然、ミステリーより政治系小説に似ていると思う

 

授業のプリントが手に触れるのはものすごく不快、なのに文庫本の紙はいつでも手に馴染む

 

ああスーパーのサッカー台の指濡らすスポンジ触るときのあの決心あの勇気

 

友達の友達とうまく友達になれない狭量さ

 

次の日に予定がない夜の、眠ったら朝になってしまうという強迫観念から解き放たれた気持ちプライスレス

 

昔、田舎(それはひいばあちゃんら親族が住んでいる土地という意味での)で、親戚のおじさんがまな板を2つの包丁でパタパタパタパタ叩いて作っていたなめろうの得体の知れなさ

 

ぬいぐるみを愛せない

 

キャップが似合わないんだけれどどうして、ハットはこんなに似合うのに

 

これは絶対いると思って買ったものは大抵いらなくなる、素敵!好き!と思って買ったものはずっとのお気に入りだ

 

思い出すときがあるからといってあなたのことを忘れているわけではない

 

一瞬のためにすべてを捨てることのできる人はきっとそれをできない人より、食べたとしたら美味しい人生を送っているのだろうなあ

 

ああ育ちきったつくしの、千切って、また繋げて、繋ぎ目を探す遊び

 

あたしの食べたものをあなたも食べてそして同じ熱量で美味しいと思えることの幸せ幸せ幸せ

 

枕は、別に清潔じゃなくてもいいと思うんやけど そこらへんは、どう?

 

とっておき!はたまにしか引っ張り出さない方が良い

 

朝靄、朝靄の親しさ、制服と短い靴下と重い合成革の鞄、そして朝靄 もう二度と見られない

 

スキー場のカレー、その匂いと、スキー靴のホックをやっと外した足の開放感 分厚い靴下、銀色の大きなスプーン 豚肉

 

生姜焼きは、ママの作ってくれる、ロース肉のやつが好きだし、それ以外の、豚こまのやつとかは、全然、生姜焼きではなくて、生姜風味の豚肉炒め だと思っています、ごめんね

 

あたしから最も遠いもの、二度と交わらない人生を送っているもの、それはあの小豆の、あの紫色の、カンカンのおしるこ

 

マフラーを巻いてるのと巻いてないのとあったかさが段違いであれは本当に、驚くし首を温める方法としてあの、長い布を使い出したやつ、すごいし、少々の布の無駄では

 

なんでもこの足で蹴り飛ばして この口で汚い言葉で罵って 手で叩いて 全部拒絶してたくせに好かれたかった時期、あれは最悪だったクソ

 

まだ全然好きだよとか言って だからといってなにも変えられないんじゃあ、口にする意味もないしそれなのにあたしは 意味のないことや無駄を たぶん 文字の上でだけは 愛している

 

手紙を書くといつも本題に入るまでに紙の半分以上を使ってしまって、それから焦って本当に言いたいことを書くので、なんだかよくわからない内容になってしまう

 

違うことが悲しい。

 

 

 

おわり