はい、はわゆ
異国にいるとは思えへんほどリラックスしているなうです
レジデンスの共用スペースに陣取って窓辺でコーヒーを飲んでおります
お母さまに 関ジャニ∞のDVDをいくつか持ってきていただいたものの、プレーヤーを持ってきていないので観られておりません
こっちにきて ひとりでいるとき、たくさん歌を歌うようになりました
テレビないからかなあ
ゆってもレパートリーが異様に少ないので、関ジャニ∞かNICO Touches the Wallsかケツメイシかクリープハイプの四択なんですけどね
味わいながら歌っていると ふと 歌詞の意味に気づいたりして 言葉というのはやっぱり面白いなと思う次第です
風邪をひきまして先週学校にほとんど行かず寝ていました 二日酔いも重なり。
伏せっている際 あまりに暇なので こっちに来て初めて、日本語で書かれた本を読みました。何冊か持ってきている選りすぐりの江國香織作品から、短編集を一冊。
やはり目を滑らせて意味が理解できる、というのは素晴らしく心地よいことですね。相手の言ってることが、そこに書かれていることが、辞書なしでわかるということ。
そして思いました、語彙がないということは悲しく苦しく辛いことなのだろうなと。
英語の本を読むのはほんとうに億劫です。一、二行読むごとに知らない言葉が出てきて、言い回しの常識もわからないし、まったくスラスラと読めず、したがって内容もうまく入ってこず、漫画なら楽しんで読めますが小説を読むのは苦しい。
日本語で書かれたものなら、学術書や哲学書や、専門書でない限りは 難なく読めます。意味を知らない言葉が出てこないとは言いませんが、一作品に一、二度辞書を引けば解決する不自由さです。
しかし英語の本を読んで、日本人でも語彙のない人にとったら日本語で書かれた小説や本を読むことというのはほんとうに難儀なんだろうなと 気づきました。
言葉を知らないということは 言い換えができないということで、人は言い換えることでその言葉や物質、物事への理解を深めるわけで、じゃあ言葉のストックが少ないということは、いつまで経っても物事の表面を撫でているだけ、ということだ。
ああ、言葉を知らないということはなんて恐ろしいんだ。
わたしは今、カナダで生活していますが、英語の語彙は恐ろしく少ない。日本語の語彙だってべつに特別多くもない。
やばいこってすこれは。語彙を増やさなくてはならない。日本語のも 英語のも。
やっぱり言葉が好きだ。すべては言葉に依っている。すべてだ。すべて。
だから外国人の友達ができない。言葉を尽くさなければ友情はつくられないから…。
友達をつくられるほど、英語を話せる、理解できるようになるのが当面の目標だ。
浅い関係は結べなくとも深い人間になりたい。酒癖はカナダにきても治っていませんが。
おわりーーー