すだち

 

 

 

部屋は静かだ、音はある。

家のすぐそばに国道が通っていて、深夜でも車通りは多く、とくに今ごろの時間帯であればたまに頭の悪い爆音カーも過ぎ去っていったりするのだった。

でもこの部屋のなかは静かだ。俺からは音を発さない。俺たちからは音を発さない。外からの音をただ聴いている。夕方のいちぶ。

すぐそばのゴミ箱にはコンドームが3個捨ててある。2つは精液を湛えているが、1つはいない。行為中に大事な電話がかかってきたのだ。

ぱちん、空のコンドームを外したときのふとした虚しさ、あれを感じたときに覚えておこうと思った。情熱と情熱のあいだの すきまを。

 

クーラーをつけていても どうしても開けてしまう窓に、俺というのはほんとうに閉塞感が嫌いなのだなと思う。そうして寂しがりやだ、他の男がそうであるように。

社会がきちんと動いている音を聞いて、ただ聞いているだけなのに自分が社会と繋がっているような感じを感じてしまうのを許してくれ。

 

夏の夕方が流れ込む。こんなときだけ子どものころに戻れるような感じがしてな、金鳥の夏、日本の夏。昨日みた花火は淡かった。思いだそうとしてみても初めてみたやつをなぞる感じでしかできないんだ、くそ。それでやめた。思いだすのを。

そうかも、同じなのかも。 戻られるとおもうほど鮮烈だった夏と、俺がいま漂っていると思っている夏と。だから戻られる気がするんだな。

 

でもあのときの俺はコンドームなんか知らなかったんだ。なんだかごめんな。そう思うのは本能を、無駄撃ちしているからかねえ。

 

しらね。

 

彼女は俺の肩甲骨のあたりを好きだと言ったな、夕方と部屋とクーラーの匂いをひとつ吸い込んで眠った。

 

 

おわり

 

ほんだな

 

 

単純明快 わかりやすいということはいいことだ。少なくともわかりやすいということは、わかりやすいという長所を持っているからだ。

深いだとか 難解だとか ひとことでは表せないだとか そういう 複雑なのは悪いことだ。少なくともわかりにくいという目に見える単純明快な短所を持っているからだ。

 

たくさんの内臓がいっぱいに人体には詰まっていて 薄皮に包まれたそれぞれの機能をそれぞれに果たしているぐちゃぐちゃの血みどろが澄ました顔をして椅子に座っているのはおもしろい。何十か何百か知らないけれども内臓たちはみなそれぞれ違う働きを働いているわけであるから、ひとつやふたつ みっつやよっつ とおからごじゅうの矛盾くらいあって然るべきである。

 

死にたいと思うことがそのまま生きたいということに繋がってしまうのが私なのだった。

遠くへ行きたいの行き着く先が ふるさとなのが人間なのだった。

排尿を極限まで我慢して我慢して我慢してからトイレに行くのが好きな人がいる。全身が腹の虫になるほどお腹を空かせてからご飯を食べるのが好きな人がいる。

わかりにくいということはそのまま気持ち悪いということだ。そうして気持ち悪いと断言することはあまりにも簡単だ。

気持ち悪い、頭がおかしい、理解できない、そうしてさようなら。

 

気持ち悪いことも気持ち悪がることもほんとうに気持ち悪いのだった。

 

 

おきゃくさま

 

 

 

するすると流れていく こぼれ落ちていく 消えていく ほどけていく毎日をなんとか手元へ残しておこうとつける日記は未練たらしい。

消費している自覚はあるけど 1日いちにちに手をかけ 体重を乗せて 明日へ明日へその明日へ進んでいくしかやり方を知らないのだ。

なんて 言い訳 いいわけないな 消費されることを許さないくせに 自分自身を消費するなんて

 

 

あれもしようこれもしよう

 

 

 

花柄のワンピースで街に出たい、とつねづね、考えていたのでそうした。

赤の地に白の小花の散ったワンピース、赤いリボンの麦わら帽子、そばかすのメイク、ヒールのあるサンダル。

見てもらう人を設定せずにするおしゃれは清潔。しゅらりと、立てる気のする、菖蒲の花のように。

清潔なことは少なくともいいことだ。私は清潔が好き。でも不健康も好き。そういうものものの積み重なったのが人間をつくるのだから困る。

湖に出た。自分の街ではやらないことをやってみる。砂浜にお尻をつけて座る、周りに小さな子どもが、ビキニガールが、肥った老人たちがたくさんいるなかでぽつんと座る、胡座をかく、一張羅のワンピースを着ているのに。

子どもは私を見つめる。見つめ返して微笑めば、微笑み返してくるのもいるが、こないのもいる。

若者は私を気にしない。それぞれの弾けるお尻をぷりぷりと揺らしているので、私はそれを見つめる。

老人は私に笑いかける。大人じみて私は笑いかえし、たいていはそれで終わる。

私はここに存在しているだけなのだった。そうしてひとりでしか、私はそれをできないのだった。

みんなそれぞれ違うということは、当たり前で、でもおそろしい。私の嫌いなだれかだって、こんなふうに予定のない日におしゃれをして、自分のためだけに出かけているかもしれないのだ。

その人のなかには、私の嫌いな面と 私と奇妙なほど似ている面が 同居している。しているから厄介だ。

ひとりひとりに真剣に向き合わないといけないのだから、友情に、恋愛に、教科書のないのは当たり前だろう。

水面がキラキラ光っていてまぶしい。帽子にかけたサングラスを、目元にかけ直した。

あたたかそうに打ち寄せる波にふれれば びっくりするほど冷たいことを私は知っている。知っているということはいいことだ。

浜辺の店でアイスでも買うことにした。

 

 

 

ビューティフル☆アドレサンス

 

 

 

ちょっとオカマ風味の18歳メキシカンボーイが、先週学校を卒業した

明るくて 冗談をたびたび言ってクラスを和ませてくれる子だった

学校最終日、70手前のおばあちゃん先生がみんなの前で彼にこう言った

「あなたは 強い心を持ってる素晴らしい子だから、誰かに変われと言われても 絶対に変わる必要はないよ。あなたらしく生きなさい。」

みたいなこと。

わたしは泣いた、メキシカンボーイは泣かなかったけれど若い彼の代わりにわたしが泣いた。

もしも、先生に 、親以外の大人に、「あなたは変わる必要ないよ」と 言われていたならどんなにか救われただろうか。18歳のわたし。

そんなことを言ってくれる人なんていなかった、今 認めてくれる人はたくさんいるしそれはほんとに幸せなことだが、わたしの眼前で18歳の男の子が、その言葉の真価を理解できていないとしても、受け取っている、きっといつか、あの言葉の意味をほんとうにわかるときがくるのだろう、それが、そんな 封を解かれるのを待つあたたかいなにかが、彼のなかにしまわれたのだ、なんて羨ましい、と思わざるを得ない、羨ましい。

 

ほんとうに完璧に頭からつま先まで変わらなくていいわけではない。

それでも自分のなかの、ティーンエイジャーの頃からあるなにか大切なひとつを、認めてもらって自分や肉親以外に大切に思ってもらえること。大切にしなさいと諭してもらえること。

なんて素晴らしいんだろうか。

 

何度も言うが、ほんとうに変わらなくていいわけじゃない、でも、わけじゃなくていいのだ。

「誰かが変われと言ってきても、変わる必要はない」ということ。自分の意思で変わることも変わらないこともできるということ。

今より若い自分にそのことがわかっていただろうか?

 

変わらないことの素晴らしさに賭けたい。

わたしは子どものままでいたい。すべてを新鮮にその物事の質量のまま噛み締めて楽しんで無茶をして笑って。

しかしいつか自分の意思の力の作用が、変化のほうへ傾くときがくるのかもしれない。

 

変わっていくということ。止まれないということ。どんどんすべてを消費しなければ死んでしまうということ。

本能にだけは従っていたい、ということがそのまま怠惰ということとイコールな時代、わたしはもはやヒッピーなのかもしれない

 

ビューティフル☆アドレサンス

きみは 今のままで素敵だよ

いつか誰かにそう言えたらいいな

 

せなか

 

 

 

ノールックで手を伸ばして青いペットボトルを掴む、薄く濁った明度の部屋のなかの空気を吸い込むとこんなに、しみったれているのにどうしてか新鮮な気持ちがした。

果てしなく遠いテレビ台の上の埃にまみれたデジタル時計がいうには8:06へんなの、このひとはケータイの時計だって24時間表示にしていない。シンプルなのが好きなのだそうだ。いちばんに。

男の一人暮らしにしては嫌に肉厚なカーテンが朝の日差しを遮断している。それでもひっそり分け入る光の筋が舞う埃を照らす。音がしない。住宅街、休日の朝。

日曜日に行くマクドナルドが好きだった、みんな13時くらいにようやくのそのそと起き出してきてお腹を満たしに家族で来る、みんなそう、だから店に漂う怠惰さというか人臭さを愛していた。14時になってもぜんぜん空かないプラスチッキーな店内。おもしろい。

裸の胸が丸見えになりながら炭酸の水を飲んだ。万年床だけが安全地帯に思えるこのいつまでも親しくしてくれない部屋で、隣の男の体温はとても高い。背中を向けて静かに眠っている。よく眠る男だ。健やかに。いつでもどこでも。

短く刈られた髪に指を差し入れて頰を背中にぴたりとつける。5分とこうしていられないだろう。もういちど眠る。

 

 

 

 

おわり☆

にっぽんのふけんこう欲望系だんじょ好きです

 

 

ロングタイムノーシー

 

 

ひさしぶり 元気にしてた?

君が元気にしていようといなかろうと わたしの眼前の君が元気ならそれでいいわけなんですけど

 

「好かれる」ということについては いくつかのノウハウがすでにあって、それやのに「好きになる」やり方を教えてくれるものって世の中には少ない、ほぼない

幸い愛してくれる母親に産んでもらい、愛してもらい方はわかるけれど愛し方についてはまったくわからずに生きてきた

だから超消費的に生きる。生きづらいと感じるしそうやろうなと言われるし、でも、自分に変わる気がなければ変われないのだ……

 

人を好きになるのには勇気がいる 力もいる 時間もいるし スペースもいる

省エネの現代、恋人なんて合理的じゃないんやよね

だからこそ 恋愛において 嫉妬という感情は 高尚になってると思うな〜

嫉妬はめちゃくちゃ強いエネルギーやし

独占したい なんて なんてエロチックなんでしょうね 嫌になるな もう

 

「写真を撮られる」ということについてわたしはめちゃくちゃ敏感です ひとりしか写ってない写真。

なぜなら 写真に撮られてしまえば、その人の個人的なデバイスに 閉じ込められいつでも見られる位置に、近い位置に引き込まれてしまうから。

じっさいに その人が写真を見るかどうかは関係なく、閉じ込められてしまったそのことに対して ある種のショックを受ける。

 

 

まあ考えすぎなんですけど。