バスが完全に停止した。ここからは歩いてゆかなければならないらしい。

乗客らはそれぞれの相手と囁きあっている。どよめきあっている。手段が断たれたときの対処が、楽だというのはひとり旅の良い点だ。

香梨は大きなリュックを背負って、通路を縫い歩く。眠っている人もいて可笑しいと思う。このバスは止まってしまって、それでもうほとんど永久といえるほど動かないのに。

短いステップを降りると、高速道路にはなにもなかった。アスファルトだけが先へ伸びているし、後ろへ続いている。少しだけ熱気の上がる人工的な地面とは相反して、空気は土の匂いがする。風の一陣通り過ぎる音。車内のどよめきは聞こえない。

香梨は、小さめの身体に不似合いなほど大きな荷物を背負い直した。歩かなければならない。とりあえず次のサービスエリアまでは。そこから地上へ降りて、そのあとはまた考えよう。

車内を仰ぎ見ると、窓際の髪の短い女の人がパンを食べていた。頬張っている。味を想像してみるけれど上手くいかなかった。美味しそうな顔をしていないからかもしれないし、匂いがしないからかもしれない、でも少なくともお腹が空いていないからではないだろう。

サービスエリアに行ったって食料が手に入るわけではないけれど、とりあえず香梨は出発することにした。ここへ留まっていてもどうしようもない。砂琶にはどよめき合う相手がいない。

 

 

 

 

つづく

 

 

ぜんぶぜんぶ忘れていくしかないのかな

 

 

キスをするので憤慨した。

恋に落ちる代わりに、寝る代わりに、特別にする代わりに、キスをひとつされたものだから。

 

深夜3時8分、それはかいた胡座のしっくりこなさと専門外の作業の進度といろいろ、あいまってしきりに眺めた時計へ最後の一瞥をくれた時間だった。

二台のパソコンと図書館で借りてきた本の山積み、空の青いエナジー缶、本当はもっと吸いたかったであろう煙草のそれでも控えめに集った灰皿。

「終わった!終わったよありがとう!」

それは隣に胡座をかいていた男が卒業論文を書き上げた時間だった。こっちを感極まった表情で見つめて、え? まさか、ぢくりと動いた心臓、タコの吸盤みたいにした唇で熱烈なキスをされた時間だった。

3時8分。一生覚えているんだろうな、と思ってからはて、覚えているんだろうかと思った。一生覚えているだろうとその瞬間に感じたことはたいてい忘れてしまっているような気がする。

それでも、少なくとも今は、まだ覚えている。

俺の顔は熱くなった。あっつくなった。熱く熱くなった。まさかこんなふうに俺の気持ちを、お前への気持ちを、乱暴に扱われるなんてな。

顔を離して気まずそうなそんな顔をするならどうして寄付みたいなキスをしたんだ。

「俺はなんもしてへんよできたならよかった帰るわ」

そうか今度お礼にゼニ屋で奢 バタン

ドアの閉まる音。深夜なのに安全に配慮して点いている常夜灯。に照らされた廊下。肌寒かった。夜明けのまだ遠いこの時間がいちばん深く寂しい。

 

チャリンコを漕ぎながら思ったことは、豊富なトピック取り揃えておりましたはずなのにほらやっぱりな、ゼニ屋やと? あんな大学通り最安値の店で奢られたって嬉しくないわな、とかそんなくだらない、感情ですらないような財布のなかのいらないレシートくらいの、感想しか覚えていない。

ほらな。いろいろ強い感情が渦巻いて、後悔や怒り、おっきい悲しみとかたくさん、大事なのがあったはずなのに今はもう忘れた。

 

悲しいのかもしれないな。悲しいのかもしれない。

こんなかたちで日の目を、深夜だったけど、見てしまった俺にだけ大事な気持ちに。

呼べばどんな時間でも駆けつけて課題の手伝いも喜んでやる俺に、せめてもの恩返しとしてキスをしたあいつに。応えられない代わりに。好きになってあげる代わりに。

残酷だな、とぽつりと思うのは、日が昇りかけの桃色の空へ煙を吐き出す3時8分から数時間後の俺。

ほんとは俺もお前の真似して煙草始めたんだよ、なんて言えるわけもなくて煙草は苦手なふりをしている、俺もじゅうぶん残酷なのか。

 

これからのことは考えられなかった。ゼニ屋にだって行くかもしれないし行かないかもしれない。

俺たちは卒業するしそこで終わるのかもしれない。

 

 

 

 

おわり

 

 

鋸で切ったその断面

 

 

 

弟は覚えているだろうか。

 

私が17のとしのころ、夏はこんなに暑くはなかった。つまり人を殺してしまうほどには。蚊さえも狩りに行けないほどには。

本家はすこし田舎にあって、探検していない道は山ほどある。田んぼのあぜ道は急に終わり迷路になりうる。大きな家々の隙間に隠れた細い道は私を魅了する。

弟は私に手を引かれて、素直に手を引かれて、静かにしていた。5歳の男の子にしては言葉少なで、アクティブでない弟は、私の視線と関係のないところで つと指を突き出す、「あれ。ねこ。」「ほんとや、ねこやね。」

どこかで焚いている蚊取り線香の匂い、夏の終わり、姿の見えない風鈴、道端にツユクサの群れ、麦わら帽子に青いハーフパンツの弟の顔は高身長を持て余している私からは見えなかったろうに、どうして覚えているんだろうか、じっと猫を見つめる真剣な表情。黒目がちな目。柔らかいのが触らないでわかる、柔らかいほっぺた。ぎうと大きな私の手を強く握りしめた弟のふくふくした指、そのじっとりとした手のひら。はっと息を飲む。

ここはだめだよ

猫が言った。それは素人の英語通訳のように輪郭不確か、夕方の雲の色ほど概念的な言葉だった。言葉だったのかもわからない、でも猫が伝えようとすることは不思議なほど強くわかった。どこかの器官が呼応したのかもしれなかった。弟が私を見ていた。「戻ろう」、大人びて決然とした四文字。

振り返ると突然に日が暮れた。もしかしたら、気づいていないだけですでに暮れていたのかもしれなかった。どちらでもいい、そのことに、よかった、と私は思った。

怖くなかったのは弟の、熱の塊みたいな存在そのものが、私の手を握っていたからだろう。

 

 

 

すだち

 

 

 

部屋は静かだ、音はある。

家のすぐそばに国道が通っていて、深夜でも車通りは多く、とくに今ごろの時間帯であればたまに頭の悪い爆音カーも過ぎ去っていったりするのだった。

でもこの部屋のなかは静かだ。俺からは音を発さない。俺たちからは音を発さない。外からの音をただ聴いている。夕方のいちぶ。

すぐそばのゴミ箱にはコンドームが3個捨ててある。2つは精液を湛えているが、1つはいない。行為中に大事な電話がかかってきたのだ。

ぱちん、空のコンドームを外したときのふとした虚しさ、あれを感じたときに覚えておこうと思った。情熱と情熱のあいだの すきまを。

 

クーラーをつけていても どうしても開けてしまう窓に、俺というのはほんとうに閉塞感が嫌いなのだなと思う。そうして寂しがりやだ、他の男がそうであるように。

社会がきちんと動いている音を聞いて、ただ聞いているだけなのに自分が社会と繋がっているような感じを感じてしまうのを許してくれ。

 

夏の夕方が流れ込む。こんなときだけ子どものころに戻れるような感じがしてな、金鳥の夏、日本の夏。昨日みた花火は淡かった。思いだそうとしてみても初めてみたやつをなぞる感じでしかできないんだ、くそ。それでやめた。思いだすのを。

そうかも、同じなのかも。 戻られるとおもうほど鮮烈だった夏と、俺がいま漂っていると思っている夏と。だから戻られる気がするんだな。

 

でもあのときの俺はコンドームなんか知らなかったんだ。なんだかごめんな。そう思うのは本能を、無駄撃ちしているからかねえ。

 

しらね。

 

彼女は俺の肩甲骨のあたりを好きだと言ったな、夕方と部屋とクーラーの匂いをひとつ吸い込んで眠った。

 

 

おわり

 

ほんだな

 

 

単純明快 わかりやすいということはいいことだ。少なくともわかりやすいということは、わかりやすいという長所を持っているからだ。

深いだとか 難解だとか ひとことでは表せないだとか そういう 複雑なのは悪いことだ。少なくともわかりにくいという目に見える単純明快な短所を持っているからだ。

 

たくさんの内臓がいっぱいに人体には詰まっていて 薄皮に包まれたそれぞれの機能をそれぞれに果たしているぐちゃぐちゃの血みどろが澄ました顔をして椅子に座っているのはおもしろい。何十か何百か知らないけれども内臓たちはみなそれぞれ違う働きを働いているわけであるから、ひとつやふたつ みっつやよっつ とおからごじゅうの矛盾くらいあって然るべきである。

 

死にたいと思うことがそのまま生きたいということに繋がってしまうのが私なのだった。

遠くへ行きたいの行き着く先が ふるさとなのが人間なのだった。

排尿を極限まで我慢して我慢して我慢してからトイレに行くのが好きな人がいる。全身が腹の虫になるほどお腹を空かせてからご飯を食べるのが好きな人がいる。

わかりにくいということはそのまま気持ち悪いということだ。そうして気持ち悪いと断言することはあまりにも簡単だ。

気持ち悪い、頭がおかしい、理解できない、そうしてさようなら。

 

気持ち悪いことも気持ち悪がることもほんとうに気持ち悪いのだった。

 

 

おきゃくさま

 

 

 

するすると流れていく こぼれ落ちていく 消えていく ほどけていく毎日をなんとか手元へ残しておこうとつける日記は未練たらしい。

消費している自覚はあるけど 1日いちにちに手をかけ 体重を乗せて 明日へ明日へその明日へ進んでいくしかやり方を知らないのだ。

なんて 言い訳 いいわけないな 消費されることを許さないくせに 自分自身を消費するなんて

 

 

あれもしようこれもしよう

 

 

 

花柄のワンピースで街に出たい、とつねづね、考えていたのでそうした。

赤の地に白の小花の散ったワンピース、赤いリボンの麦わら帽子、そばかすのメイク、ヒールのあるサンダル。

見てもらう人を設定せずにするおしゃれは清潔。しゅらりと、立てる気のする、菖蒲の花のように。

清潔なことは少なくともいいことだ。私は清潔が好き。でも不健康も好き。そういうものものの積み重なったのが人間をつくるのだから困る。

湖に出た。自分の街ではやらないことをやってみる。砂浜にお尻をつけて座る、周りに小さな子どもが、ビキニガールが、肥った老人たちがたくさんいるなかでぽつんと座る、胡座をかく、一張羅のワンピースを着ているのに。

子どもは私を見つめる。見つめ返して微笑めば、微笑み返してくるのもいるが、こないのもいる。

若者は私を気にしない。それぞれの弾けるお尻をぷりぷりと揺らしているので、私はそれを見つめる。

老人は私に笑いかける。大人じみて私は笑いかえし、たいていはそれで終わる。

私はここに存在しているだけなのだった。そうしてひとりでしか、私はそれをできないのだった。

みんなそれぞれ違うということは、当たり前で、でもおそろしい。私の嫌いなだれかだって、こんなふうに予定のない日におしゃれをして、自分のためだけに出かけているかもしれないのだ。

その人のなかには、私の嫌いな面と 私と奇妙なほど似ている面が 同居している。しているから厄介だ。

ひとりひとりに真剣に向き合わないといけないのだから、友情に、恋愛に、教科書のないのは当たり前だろう。

水面がキラキラ光っていてまぶしい。帽子にかけたサングラスを、目元にかけ直した。

あたたかそうに打ち寄せる波にふれれば びっくりするほど冷たいことを私は知っている。知っているということはいいことだ。

浜辺の店でアイスでも買うことにした。