紅茶に添えられた角砂糖みたいに

 

 

 

この広い宇宙の中で、やりたいことが一つもないってやばくないですか?

にも関わらずそういう人ってたくさんいますよね?ね???

 

どうなんやろう わたしが 自分の未来に妹がいなくなったから なにもやりたくなくなったとこも十分あると思いはするんですけど

それにしても ほんとにやりたいことがなくて。

 

そもそも なにかやるとやらない だったら やらない方が圧倒的に楽やし やることによって努力や苦労をする それに見合うようなやりたいことが ないわけで

だから もう やばいですよねそれって

 

よく大人が言うじゃないですか

「学生時代は楽しかったな。人生で一番楽しかった。」って。

 

いやいやいや それってかなりやばいでしょ。

やばくないですか?

 

「今が一番楽しい」と言えない人でなおかつ「未来のために頑張ってる最中」と言えない人って かなりやばいですよね。

 

たぶん、なんのために生きてるかって

「日常になんらかの幸せや楽しいことを期待して」生きてるんじゃないですか?

だって 別になにかしたいわけではなく、今の状況は全然楽しくないけど打破する方法も気力もなく なんとなくただ生きてるんですもん。

そういう奇跡に縋って 生きてくしか ないんでしょ、、、?

 

もうどん詰まりですよね、

でも現代社会でそういう人はたくさん いますよね?

 

じゃあ 昔はどうやったんやろう。

みんなが お百姓さんやった時代は?

日が昇ると共に起き 朝ごはんを食べて 畑を耕して あるいは収穫して 家畜の世話をして 晩ごはんを食べて 日が沈むと共に眠る

恋をして結婚して子どもを産んで育てて

その子どもも一緒に畑を耕して……

そのサイクルに 昔の人は なにも感じひんかったんやろうか。

もしかしたら 感じる暇もなかったのかな。

生きていくっていうただそれだけのために毎日を過ごしていたのか。

楽しい環境が〜とか 幸せが〜とか 言ってる暇もなく純粋に生きるために生きてたのかなあ。

 

でも思うんですけどそれもまた幸せですよね

だって それ以外を知らないねんもん。

一度大金持ちになった人は中流階級に属するのだって苦痛に思うでしょう。

それに、今の時代生きるためには仕事をしなくてはならなくて なおかつ職業の自由が与えられていて 自分で選んで努力して職につかんといけない。

昔は、目の前にある仕事をしてれば生きられたのに。

 

だからねーーもうね〜農業しようかな、ね。

農家に その〜なんていうの 派遣か?

なんかそういうのしようかな。瀬戸内海でみかん農家とかね、虫嫌いやけど。

 

瀬戸内海ってすごくよくないですか

わたし瀬戸内海大好きなんですよ

急斜面で柑橘類を育てたいな〜 それで海に浮かぶたくさんの島を眺めたい。ああ爽やかな潮風。

瀬戸内海ってあれですしね、津波もこないですし 田舎やから人も少ないし。

母方の家が徳島なんですよ。瀬戸内海ではないけど 四国ってことで。

いいところです徳島って、まあとにかく田舎で。

たらいうどんは美味しいし、香川が近いから讃岐うどんも食べに行けるし。

 

徳島は 小学生の頃に年に一度、夏休みに必ず行ってたなあ、妹と一緒にバスに乗って。

3時間弱のバスの旅、途中のサービスエリアで二人で 自動販売機のカップラーメン買ったりしてね。

当時、わたしの家ではカップラーメンなんてご法度やったので もうわくわくして食べて。

それが めーちゃめちゃ美味しかったなあ、ただのカップラーメンやのに。

徳島に着いたら 親戚のおじちゃんが軽トラで迎えにきてくれてて それに乗り込んで元気してたかとかってお話してたら 見えてくる田舎特有の不必要なほどに大きな家。

迎えてくれる親戚の男の子たち。側溝にサワガニをとりにいったり、みんなでマリカー対戦したり 夜にはバーベキューをして。ゴキブリが出たら 大声でひいおばあちゃんを呼んで ぺしん!と一発退治してもらったなあ

 

ああ〜よかったなあ あの頃は。

 

言ってしまいました。よかったなああの頃は。

小さい頃は純粋に ただ存在するだけで 周りに肯定されてましたもんね。

それがだんだん、大人になっていくと そうはいかなくなって。

存在するにも意味がいる。役割がいる。

 

江國香織さんの小説の中で、主人公が幼少期のことを振り返るときに

私と妹は、ただそこにいた。傘立てみたいに。掛け軸みたいに。あるいは、紅茶に添えられた角砂糖みたいに。

という文章があって、わたしはその的確な表現にえらく感動したんです。

そういう風に、家具のようにお砂糖のように ただそこにいるだけで万事うまくいったんです、小さい頃は。

 

大人になると 今度は 自分が動かなくちゃならないし 周りにもそれを当然のごとく求められる。

木偶の坊みたいに突っ立ってても 邪魔なだけで ほんとうに存在してるだけでよい人間なんて 大人には いない。

そういうことにじわじわ気づかされて大人になっていく。

そういう意味での 「あの頃はよかったなあ」なら、使っても許してほしいな。

 

でもそうですね、あの頃から中身は変わっていないのに 世間からの目は変わって。

どぎまぎしながらもついていかなくちゃならない、大人にならなくちゃいけない。

そういう単純な、ほんとに奥底にある"生きることへの苦痛"というものに 相対するのが面倒くさいです。

 

そうです、もうほんとに ただただ 面倒くさいですね。

町の小さなお惣菜屋さんを開きたい。

そこで細々と生きていきたい。

 

寝ましょう、おやすみなさあい