源泉をみつけなきゃ

 

 

 

いま、村上龍の『愛と幻想のファシズム』を読んでるんですけど。まだ100ページ弱しか読んでないけど面白いです。

人を魅惑する力を持った狩猟者が主人公の話で、社会の奴隷はクソ!弱いくせに快楽を求めるなんてまじ死んだ方がいい俺たち強者が弱者の面倒見るとかクソ!みたいなことを いま 社会に向けて言ってはる最中で。

そうですねえ〜うーん やっぱり 「百姓や奴隷は 辛いみたいなことを歴史では習うけど毎日偉い人の言うことを聞いとけばいい奴が辛いわけがない」って 書いてて そうやんなあ〜と思いました。

別の 課題をやるために今日読んだ本でも 「宗教を信仰してる人はしてない人より子どもの死から立ち直るのが早い」って書いてて

神や教訓や指導者、(人生を捧げるタイプの)主人や契約主とか 自分より圧倒的に上の人を据えてる人はやっぱり 生きやすいんですよね

でもたぶん そういう言いなりに甘えてる人が 何かの権利を主張したらだめなんでしょうね。

けど今は弱者向けの社会だから その権利がやすやすと認められるんやろなあ。

 

わたしは弱者でも強者でもない 社会からあぶれているので。

社会の仕組みやアメリカの動向 中国の陰謀も何もかも まったく興味ないなあ〜

知っていた方がなにかと楽しそうやし 賢くなれるやろうけど うーん

知ってるより知らない方が圧倒的に幸せということは知ってるのでわたしはいつまでも無知でいたい……

 

それこそ また 課題の本で読んだんですけど

1度目に何かを見た時の感覚はやっぱり二度と得られないらしいんです。

2度目は 1度目の追体験で 自分の中にある経験を反芻してるだけなんだって。

じゃあ 世界のすべてを知ってしまった人は もう自分の中でしか生きられないんですよ。

自分の作った自分の内側の幻の中でしかなにも感じられないんだって。

絶望的…!

わたしはわりとなんにでも絶望的になるのですが今回もやっぱり絶望的です。

 

嫌だったんです、何かを見て 「あーこれはあの時のあれに似てる」なんて言ってしまう自分。

目の前のことから逃げて自分の中にある過去の何かに勝手に分類して 納得して。

馬鹿みたいって どうして新鮮なままでいられないんやろうなあって 思ってたけど

わたしの狭い世界の中で もう新しく経験することなんて 残ってなくて だから常にある既視感は もうこれは 仕方のないことで

わたしはこのままだったら 自分の内側から出られないんですよねえ

ずっと 昔の記憶を追体験してる なんて ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あのわたし 景品とかでもらったお皿とか嫌い

キャラクターの毛布も 置物もスリッパも 嫌い

シールのたくさんこびりついたちゃぶ台も プラスチックのチープなコップ カトラリー

全部嫌い

所帯染みてるじゃないですか

もう、もうね、"家族"が、透けて見える。

わたしの家のリビングダイニングには いっさいそういうものはなくて。

キャラクターものなんて ディズニーランドに行った時に浮かれて買ったパーカーと 妹のために買ったカモノハシペリーのぬいぐるみくらい

生活感はあるし ぬくもりもこだわりもあるんやけど まったく所帯染みてないんですよまあよく考えれば当たり前で、

父がこの家にいる時からシングルマザーみたいなもんでしたし。

だから 所帯染みたものに対してわたしは半ばアレルギーのようなものを持ってて。

 

でも それって心の底では 所帯染みたものに対して憧れているから それを認めたくなくて こうなってるんやと思うんですよね。

 

だってわたし 大好きだったんです

徳島の田舎(実家的な意味で使ってる言葉です)で ご飯を食べる時 家族全員7人くらいが食卓について みんな 一つのコップにぶっ刺されたお箸を ランダムに取って 使ってたんです。

そりゃ 柄はちゃんと合わせてたけど。

なんかその、せーので お箸を しかも毎日違うお箸を 使う感じが すごくよくて。

卵かけご飯も 徳島の親戚に教えてもらったなあ、、

わたしにとって 異世界で。

そんなにみんなで ねえ。食卓を囲むなんて、柄物のお皿も確か並んでたような気もするし…

まさに所帯染みた環境だった。

それを当時のわたしは むしろ愉快に 眺めて参加してたのに。

 

大人になると いや正確に言うとなってないしまだまだ子どもですけど まあ なると

今の自分の持つ 拒否反応とか嫌悪とか はたまた逆の 愛着とか親近感とか それらの源流がわかんなくなって困りますね。

ちいちゃい時に立ち帰らないと なんでもなかった頃に戻んないと わかんなくなっちゃう。

 

でも 今のわたしだって ほんとはなんでもないんですけどね。

わたしは 恵まれているので 精神はいつでも 自由になれるし、あ、宗教的な話じゃないよ!

帰って来られるから たぶんどこにでも いける。

それは本当に 自由だなあ〜

 

課題も山積みテストもあったりするやろうに こんなにのんびり読書ができるのだから そりゃあ自由にもなれるでしょう、という感じですね。

わたしは満ち足りてる、完結してるからもう未来はいらないよ

 

では おやすみなさあい