お風呂あがりのギャランドゥ

映画と本とお肉をたくさんたべる

うめのはなさいた

 

 

 

わたしも言葉について書きたいと思ってたんだ〜。

 

わたしにとって言葉は絶対。

だから、わたしにとって嬉しい、大切な言葉をくれた人は わたしにとって大事な人。

わたしは言葉に依存している。それはもう、まったく。

 

だからときどき 人の言う冗談が冗談に聞こえない。

冗談通じないな と言われるほどカタイわけではないけど 十分冗談通じてないと 自分では思うんよなあ〜

 

言葉ほど不確かなものはないのにね。

でも、腹の底の見えない気持ちより 口からこぼれた言葉を信じる方が いろいろと手っ取り早いじゃないですか。

本物が どっちか なんて うん…それは明白やけど

目に見えないものよりは 耳に聞こえる言葉の方が 現実味があって 心の支えに しやすい。

 

だから わかりやすい人が好き

表情が雄弁で 言葉は思考に直結

わたしがそうやからかなあ

 

タテマエは苦手…

性善説で生きてるから、大学に入って 裏切られたことが実はある。

 

わたしは信じてしまった…

仲良くなって1ヶ月ぽっちで吐かれた 彼の「俺はなにがあっても絶対に君の友だちだから!」という力強い言葉を。

そんなわけなかったことは 後になって知る。

一度は 完全に信じちゃった人間を 嫌いになるのはいやなことだなあ

 

そもそもが 中学生の時分も高校生の時分も 男性とお話ししてなくて。

だから 男性との距離感を掴めないまま大学生になり、男友達を得たわけなんですけど

難しいですね。

やっぱり 性別間の壁は大きいのか。

ものを考える場所から違うもんなあ

 

わたしは未だに 自分がうまく女をやれてるかどうかわからない

男という反対側の種別がいてこそ 自分が女であると 認識できるんやろうしねえ

 

悪口を書くつもりはまったくないし、そう聞こえて嫌な気持ちにならせてしまったらほんとに申し訳ないのですけど

わたしは 大学に来て初めて あんなにわがままというか 自分さえ良ければ思考で生きる人たちがいることを知ったんです。

あ、すごいな こんなに いろんな気持ちって 自己中な人には踏みにじることができるのかあって 思ったんですけど

そうなると 恐ろしいのが 自分のことですよね。

今までそんな自己中な人間、見たことなかったから 知らなかったから

「自分がめちゃくちゃ規格外の自己中である可能性」についてなんて考えたこともなかったわけで

ここにきて そうである可能性が現れて 恐ろしくなりましたね。

だって 人を傷つけた経験は とてもたくさんあるから 自分だって あっち側かもしれない なんてまったくもって否定できない。

 

自分ルールで生きてたら よくわかんなくなるねえ

とか わたし 自由なふりしてるけど まったくもって人の目にびくびくして生きてますんですが

 

 

 

言葉、、そうやね

言葉という便利な手段があるから それに依拠しすぎて 自分の気持ちがほんとに伝わってるかなんて 考えの外だったな

言葉と意味が直結してればよいけど そんなの環境や教育やいろいろーな要素によって 全部微妙に違ってくるし

だからこそ伝えることを放棄せず 自分の精一杯でもって伝える努力をしなくちゃならない

大事な人に 自分の気持ちを伝えるときには 妥協はしてはいけませんね。

 

明日はまだテスト期間です

わたしはレポート全部終わらせたから 明日もテストないし わーいって感じなので

映画を観て寝ます おやすみなさあい