くしゃみ、おだいじに

 

 

 

 

はっくしゅん

に対して アメリカ?では ぶれっしゅー。と言いますよね

 

breath you

神様が幸せを運びますように的な意味でしたっけ

 

日本では

はっくしゅん糞食らえ!

とかって自分で 言いますね

悪いものが寄って来ないように汚い言葉を使うとか。

 

あ、そうそう

さっきべろべろに酔っ払った状態でコーヒーを飲んだら ブラックでもいけたのが嬉しかったです

 

 

 

 

 

本当はわたしは 誰に対しても嫌悪感を持たず 仲良くお話したいんです

本当はわたしは 誰のことも嫌いたくないんです

本当は 誰も恐れたくない

 

そんなこと わたし自身 自分で わかってるんです

本当に 何を望んでいるかなんて。

 

こんなはずじゃなかった

じゃあどんなはずだったのかって話で

 

たとえばわたしは中学生のとき 誰に対しても親友のような心持ちで接していた

誰の悩みだって聞きたかった、一緒に解決したかった みんなと 笑っていたかった

家庭に問題があったって オモテでは笑ってみんなと過ごすわたしでいたかった。それが格好いいとさえ 思っていた

 

高校生のとき 知らない人種の人たちと出会った

クラスに、小さな共同体の中に男の人がいるということだけでいろんなことが変わった

分かり合える人と分かり合えない人がいることを学んで 自分のようなものにとっては分かり合えない人の数の方が多いことを学んだ。

妹が親友だった。

 

大学生のいま 親友を失った 中学のときの友達のところへ 帰ることもできなくなった 退路を断たれた

それでも前へ進めなくて

世の中には 自分と分かり合えないどころか話さえ通じず 自分に害をなす人間もいることを知った

異性と関わることを知った たった一人を大事にすることを知った その難しさも。

そして自分が本質的に独りぼっちだということも 知った、ようやく。

 

こんなはずじゃなかった

でも じゃあどんなはずだったんだろう

 

漠然と 未来は楽しいと思っていた

中学生の頃は高校生になりたかった

高校生の頃は大学生になりたかった

大学生のいま、なりたいものはない

 

いまわたしは 結果にいる

過去のわたしの結果に

 

今からどこへいこうか

足踏みしている

前までは足踏みしてたって よーいどん!のピストルが鳴る時が来たけれど

今はもう ピストル鳴らしてくれる人もいない

ゴールテープもない

 

でも 生きてるから生きるしかなくて

難しいけど 誰かを通して自分と向き合って 愛さなくちゃいけない

 

死という保護者が迎えに来てくれるまで。

死ぬのは怖い 怖いのは 母親を 少しの周りの人を悲しませるから

わたしが終わるとき 怖いのは終わることじゃなくて 周りに悲しみが残ってしまうこと

終わる前より終わった後の方が安らかに決まってる

 

『恐れていることが起こってしまった方が 起こる前より少なくとも安心だ。』

 

江國香織さんは いっつもわたしに真理を教えてくれる

 

 

 

なんか宗教みたいになっちゃった

寝なきゃ寝なきゃ寝なきゃ、明日は週に一度の朝から練習の日。

 

おやすみなさあい