よその女

 

 

 

わたし、エッセイって苦手で だから読んでこなかったんですけど

今回、江國香織さんの『いくつもの週末』という本を手にとってみて 素晴らしかったんですよね。

まだ 途中までしか読んでないんだけど、

特に「よその女」という章が、よくて。

 

江國さんの旦那さんは サラリーマンで

毎朝 ぴしっ!とスーツを着て髪を整えて家から出て行くんです おはよう も言わずに。

江國さんは 「用があったのにな。」って思うんです、旦那さんを見送りながら。

どんな用かは わからないけど、用があったのに、って。

ぴしっとスーツを着た旦那さんは、会社の女の子とかに にこやかに「おはよう」を言ったりして、それで女の子たちは 「感じのいい人だな」と思ったりするのだろうな、と考えるわけです。

でも 疲れて帰って来た旦那さんには もう用はないんです。

旦那さんは、江國さんの作ったご飯を食べてお風呂に入って寝るだけ。1日は終わり。

 

「結婚なんて財産目当てにするものだ、恋愛の果てにしたらこんなにも辛い」

って 書いてて うわっと思って。わたし。

旦那さんと江國さんは、家族なんですよね。

江國さんは たぶん 恋愛の果てに、ずっと一緒にいたさの果てに、取り替えの効かない二人であるために結婚したのだろうけど

旦那さんにとって 結婚したらもう、あんなに好きだった 一人の独立した女の人だった江國さんは 家族という内輪の人間でしかなくて。

 

"ぴしっとスーツを着た旦那さんに用があった"江國さんは、よその女になりたい、って言うんです

よその女なら その旦那さんに おはようって目を見て笑顔で、言ってもらえるから。

 

切ないですよね、だって、江國さんが、というより世間の妻はみんなそうなのかもしれないけれど、

妻が恋をした人は 疲れて"帰って来る"旦那さんじゃないんやもん。

外向きの顔で、自分を見向きもせずに"外へ出かける"旦那さんなんやもん。

 

でも これって 結婚だけじゃないと思うんですよね。

友達だって、そうじゃないですか?

 

内輪に入って初めて見える相手のいい面嫌な面あって

"仲良くなる"っていうのは一歩踏み出すことで、それまでの自分と相手との関係を捨てることじゃないですか。

もう戻れない。

知ってしまえば、知らなかったことには できないもん。

好もしい距離で いつまでも話せていればいいんだけれど そうはいかないから

相手だって 自分と話してて楽しい、と思ってくれれば 自然と自分に対して距離を詰めるだろうし

自分だって 意識しててもしてなくても 一緒にいて楽しいと思う人間と一緒にいるし

 

近づいてから 「あ、近づきすぎた」と思ったってもう 近づく前には戻れない、、、

それは本当に悲しい。

 

 

わたしは、これはほんとにプライベートな話なんですけど

森山くんのお友達が羨ましい。

わたしも 絶対的な立ち位置として そこにいたと一年前までは思っていた場所。

近づいたことに後悔はしてないけど、「よその女」であるみんなが本当の本当に羨ましいな。

江國さんの旦那さんみたいでは、まったくないけどね。

 

 

 

 

話戻るけど

人と人との距離ってじゃあ どうしたらいいんでしょうね

わたしは、もう 必要以上に近づかないようにしてるのですけど

そんなんじゃやっぱ勿体無いし寂しいし だめだなっとは思うんだけど…。

 

気があう人はこんにちは そうじゃない人はさようなら

って いう風には割り切れなくて

気が合わない人とだって 楽しくしてたいから だから うーん

 

だから 楽しい話の中に噛み合わない異物があっても 少しくらいあっても 指摘せずに

表面を撫でくり回すような関係でいたい、のかな?

 

難しいなあ

近づきすぎて後悔した関係なんて、でも、たくさんありますね。

たくさん…うーん

 

とりあえず、わたしはもう一回 よその女を体験したいですね、無理な話やし

よその女であった頃から わたしと他とじゃ態度が違ったみたいやけど。

 

 

 

おやすみなさあい