社会の隙間

 

 

 

テレビで、旅人兼フォトグラファー兼ライター、みたいな女の人が出てて

全然 フォトグラファー!とかやってそうじゃなくて ほんまにふつーーーの女の子、ほんでふつーーーの女の子がその土地に住んでたらふつーーーにSNSにあげそうな写真をとらはる人で

でもその「自分もその土地に行ったらこんな写真が撮れそう」と思うことによって「自分もその土地に行ってこんな写真撮ってSNSにあげよう!」と思わせるってことはビジネスになる、から、本とか出してはって

理想の生き方やなあと思うよね、みんなの理想のというか、だって世界中を旅しながら綺麗な写真を撮ってとかって絶対、いいなと思う人が大多数じゃないですか

 

でもその人は 細やかというか きちんとしてはる人で やっぱり 何事に対してもきちんと、しなきゃ きちんとしてなそうな 旅人でかったりフォトグラファーであったりって 務まらないんやなあ〜〜と思いました。

 

将来、どうする?

わたしなんてものは なにもしたくないんですねいつも言うけど。

なにかしたいなら なにかに向けて頑張れるけど なにもしたくないのに 就職なんてしたくないしどんな分野においても興味がない、頑張れるのか?

「社会に出なくては」と思う気持ちだけを着火剤にして社会に出る努力をするのは わたしには無理…ぷ………

 

どうにもこうにも 将来が見えない

子どもは欲しいと思う 家庭は持ちたいと思う

でもそれは 最終目的地というか やっぱり家庭に憧れがあってさ それで楽しくあったかい家庭を、ね、築きたいんやけど

それまでの空白をどう埋めればいいのか…

 

学校の先生がね、「君たちは将来や社会やを悲観してしまう世代に生まれたわけだけど、ほんとはそんなに悲観するほど悪くないんだよ。」って言ってて

にわかに信じがたいけど でも確かにわたしが将来や社会やを悲観しているのはどうしてかと考えてみると どうしてだかわからない

将来かって もしかしたら別に悪い方にばかり転がらないかもしれないし(学歴が低すぎてまともなとこに就職なんてできひんとかはあれど)

社会や世の中だって そこまでわたしに風当たり強くないかもしれない もしかしたら 何かを許さない人と同じだけ 同じとは言わなくても少なくっても 許してくれる人だって一定数、いるんやないかとか

「日本の社会はクソ」という固定観念に縛られて日本で生きて うーん そりゃ他国を排斥するほど日本万歳になったら見苦しいけど だからね、「海外羨ましい日本は狭い苦しい」っていうほど 日本で居場所をくまなく、探したわけではないし

なんでもネットでわかってるような気になって 自分で見て感じることを 忘れてはいけないんかなあっと思いましたね。

思いましたねというか今思いました。

 

だからもしかしたらわたしみたく就職なんて無理無理無理っていう人間だって 許して受け入れてくれる場所というか隙間が もしかしたらもしかしたら、あるかもしんないなあなんて

いう感じ〜〜

 

おやすみなさあい