お昼ごはんは ぎゃらんどぅー

映画と本とお肉をたくさんたべる

頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ!

 

 

頑張ってるかどうかって完全に主観ですよね。

人って見た目がすごく同じなので人同士がすごく同じだと思いがちだけど隣の人とその隣の人では好きなものも好きな人も好きな食べ物も面白いと感じることもまったく違うじゃないですか。

笑いのツボが違うことに文句を言う人はいないのに 頑張った基準には 文句を言うよね、人は。

やっぱり「自分はこんなに頑張ってるのにそんなんで頑張った感出してるのは納得いかない」とか「私の方が明らかに頑張ってるのにお前がそんなに褒められるのはおかしい」とか、"頑張った"と言える基準みたいなものをみんな持ってて、それが高い人ほど 実際にとても頑張ってるんやと思う、けど 頑張ってなく見える人、基準が低い人を許せないというか認められないんかな。

理屈はわかるけど…

頑張った基準が低い側から言えば、常に基準が高い人々を羨ましく思うし、そんなに頑張れたならなあって思うけど 頑張れないのが常で、そしたら頑張れない自分をどんどん嫌いになってしんどくなるので 頑張ったの基準を低く設けて自分が頑張ったことにしないとちょっとも頑張れないんですよ。

低い人は低い人なりに自分を見限ってる部分もあるんじゃないかなあ。。

 

それでまあ、頑張ったなあって人に言って欲しいけど ちゃんと自分を見てくれてる人しか自分が頑張ったことなんてわかんないじゃないですか。

ほんまに 誰の目から見ても頑張ったと言えることをしたって、自分に興味のない人からすれば「うぃ〜」「お疲れ〜」じゃないですか。

人と人は違うけど 違うから〜って完全に見限ってしまうのは悲しい。

「違うから、違うあなたをわかろうとしてくれる」人が一番最高ですよね。

基準は高い低いあるけど、基準が高い人にだって低い人を褒められるじゃないですか、それはちゃんと その人個人を見てるからできることで 世間の基準は曖昧で、だから自分の基準で測りがちなところを 基準さえ人それぞれ違うことをちゃんとわかった上で 頑張ったねという言葉をかけたい。

「○○にしては頑張ったね」なんてちょっと蔑み言葉みたいやけど 嫌味なく言えるならその言葉はよいし、他の方面で尊敬できる関係にこそ使われるべき言葉やと思うんですよー。ねー。

 

もっと頑張れ、とか 自分をよく知らない奴が言ったって 音でしかないですよ。

無責任な外野の声なんて言葉じゃないです、

だから聞きませんしわたし今日ちゃんと授業来れたから褒めて。

 

おつかれさまあ