未練があるってどういう状態のことを指すのだろう。
例えば、別れた恋人と写った楽しそうな写真をたびたび見返してセンチメンタルに浸る
それって 未練があるってことなんかな?
今、よりを戻しても上手くいかないことはわかりきってたり もしくは 別れ際に口汚く罵りあった末のさよならやったとしても?
未だに 2年前の音源を聴いたり 今更 youtubeでたくさんアカペラを聴くようになったり 前より アカペラを好きになったけど
これはじゃあ未練があるってことなのかな?
バンドメンバーって 友達ではなくて でも仲悪かったら成り立たへんわけで 絶妙な距離感ですよね、しかも、「仲良しすぎたらバンド長続きしないよ、」と言われているにも関わらずバンド内での恋愛(時々、肉体関係を含んだ友情…?)の多いこと多いこと。
たくさん一緒にいるから 仕方ないんでしょうね、男女がそういう仲になるのは。
最近 わたしは 思うんですけどね やっぱり恋愛というのは 錯覚やないのかと。
まあ、例によって例の如し一昨日手に入れた江國香織の長編小説『思いわずらうことなく愉しく生きよ』からなんですけど まだ読んでる途中なんですけどね。
長女は愛こそすべて思考、次女は股の緩い恋愛体質、三女は恋愛未経験の友情と肉体関係しか信じない女 という三姉妹が主役のお話で、恋愛が錯覚だと思ってるのは三女なんですけどね。
「長女みたいにほんとの愛に出会うまで恋愛という名の錯覚に騙されないようにしないといけない」って日記に書くんですね。
かくいう長女は 旦那にDVを受けていて 愛し合ってるのに八方塞がりなわけなんですが。
でもじゃあ 長女だって 一年付き合ってる彼氏がいる次女だって その恋愛が錯覚じゃないなんて言えないと思うんやけど、、、次女は「この人は今まで付き合った男の中で一番好きだ、でも今までもその時々の人が一番だと思って付き合っていた」って考えながら、今の彼氏をめちゃ愛してるんですよ。
やっぱりそういうもんでしょう、恋愛って。
ずっと一緒にいて 相手の素敵なところをたくさん見つけて相手も偶然わたしの素敵なところを見つけてくれて それで前より選択的に長い時間を共にしたら。情は移って離れられなくなって。それを何年も重ねて一緒にいて家族になって愛が生まれて。子どもができてずっと一緒にいて。最終的に 結果論として 「この人と一緒に生きて来てよかった」ってなれたら万々歳、なわけでしょう?
誰といたって多分、誰と付き合ったって「自分にはこの人しかいない」って錯覚しちゃうんですよ。そんなことはないのに。選択の果てに一緒にいてそれが重なって大事なものに見えてるだけでただの時間の堆積の結果の、二人の間の空気やのに。それが運命的にこの世で最上のものやと思い込んでしまう。
じゃあ 三女の言うように「ほんとの愛に出会うまで錯覚に騙されないように」できてる人はどんくらいいるんやろう、途中で離婚する夫婦は錯覚で結婚までしちゃったってこと?
逆に 恋愛はすべからく(すべてって意味じゃほんまはないらしいけど江國さんもその意味で使ってたからわたしも使う)錯覚やと思う方が楽というか…単純な結論?当たり前の結論?じゃない?
悲しいけど悲しいけどでも唯一無二なんてないでしょう?少しでも人生の選択が違えば出会う人もまっっったく変わってくるのに そしたら別の人を好きになるのに その人が唯一無二やと思い込むのに。
運命的なんてだって違うでしょ、たまたま選んだ道の先で近くにいた人を好きになったってだけやん。
〇〇という共通点、△△という共通点、ほらこんなに相性バッチリ運命だわ!って、、、そりゃあそうなりたいけどさ、例えば北海道に沖縄に東京に、行ってそういう人探せばたくさんいるでしょ分母がこんなに大きいんやから香港にサンフランシスコにリオデジャネイロに、もっと気の合う人がいるかもよ?
それらの可能性をかなぐり捨てて一人の人と付き合うけどさ そしたらその人しかあり得ないって思うけどさそんなことはあり得ないよな!
でも、それらの可能性をかなぐり捨てて一人の人と付き合ってる今現在もしくは過去、は、それはそれで大事というか有難い時間なわけで。
貴重な若い、恋愛と錯覚の違いを見極めるあるいは、できるだけ錯覚ではないと思える恋愛を見つけるための期間を、割いてくれて一緒にいてくれてるわけやしね。やからこそ合わへんってなったら情に引っ張られずに次を探した方がいいと思うねんわたしは。
どう思う?
むつかしいね。
わたしは今日もまた日が昇ると共におやすみすることになる。
みんなはおはようやのになあ、
おやすみなさあい