お通夜からなる一連の お葬式やら一周忌やら、が大嫌いだ。
亡くなった人を思い出すことは 儀式じゃない。
一年ごとに お偉いお坊さんがする 真面目くさった上から目線の(亡くなった方を思い出して笑顔で集まるのですよ、など)説教を聞くのはほんとうに反吐がでる。
こちとら 故人を忘れた日はない。どうして他人から「死というものはおしなべて…」などと聞かされなくてはならないのだ。
お経なんて 意味を持たない文字の羅列だ。素人のラップの方がまだ聞いてられる、なんて言ってるかところどころ理解できるから。
だいたいが 外面を良くするための儀式なんだろうなと思う。
伝統や格式、なんてものは。
そりゃあ 大事にした方がいいものはごまんとある、昔からの技術とか 工芸品とか 大切なものはたくさんある。
でも、昔人間の「世間様にどう見られるか」に第一義を置く考え方はほんとに ゲロを吐きかけてやろうかと思うな。
「どういう人間か」より「どういう人間に見られるか」が勝つ、その腐った常識は気持ちが悪いものだ。
東京ビッグサイトで、「エンディング産業展」なるものが開かれたらしい。
葬儀・埋葬・供養などの終活に関する設備・機器・サービスが一堂に会する専門展示会
であるという。
最近は、"個性的なお葬式"ができるそうだ。
ニュースでは、畳敷きの棺桶にリポーターが入って「あ、い草のいい香りがしますね」と、ご丁寧に蓋まで閉めて話していた。
カラフルで柄物の骨壷、スマートフォンをお墓にかざせば故人がこっちに手を振っている映像が見られる。
そうか、人の死は最早産業なのか。いや、そりゃ昔から 墓石屋や葬式屋など 産業としてあるけど、それとはまた違ってきている気がする。
死というのは 誰しもに訪れる当たり前の出来事だ、だから1つの流れが確立されて産業となるのも自然なことやろう。
でも、「個性的なお葬式」ってなに?
どうしてお葬式に インパクトを求めるのか。
そうでもしなくちゃ思い出してもらえないのか?
お葬式をカスタマイズできるのなんて、生き過ぎた老人だけだろう。
まだ生きてる友達に「〇〇さんとこのお葬式は すごかったね未だに覚えてるわ!」などと お葬式があるたびに思い出されるのを望んでるわけですか?
違うやん、「〇〇さんは楽しい人だった」とか「〇〇さんと行った旅行楽しかったな」とか 人柄や思い出で思い出されなきゃ意味ないやん。
それに、死っていうのは 絶対的に永遠にその人を失う出来事やのに それを偲ぶ会やったり石碑やのにそんな 馬鹿みたいな なんて言うんやろうコントロールできるもののように、楽しんでカスタマイズして、1つの 楽しいイベントみたいに、ハロウィンやクリスマスみたいに、しないでよ と 思うんですけど…
あらかじめ 死ぬ前に 老人にお金を使わせるには そういう 終活というのは いいのかもしれませんね。
いろいろ 周りが決めるのも あれですもんね。「安いやつにしといてください…」なんて言われへんし 全部当人が決めてお金払っといてくれたら楽ですし。
死でさえ備えられるほど生きるなんて生きすぎやとは思いますけどね、死ねないんやからしゃあない。
まあね、いろいろ言ったけどね、
若い人のお葬式と 老衰で死ぬ人のお葬式じゃ まったく違うんですもんね。
わたしはまだ 老衰で死ぬ人のお葬式に行ったことがないのでわからないけど。
周りにろくな老人がいなくて、だから「祖父母=優しい、お小遣いくれる、なんやかんや死んだら悲しい」みたいな世間の人々が本当に羨ましいんですよね〜。
老人が トラウマ的に嫌いなんですけどわたし、老人嫌いって多分男ウケも悪そうやないですか?女の子も いい気しないでしょうけど。てゆうか嫌いなのを表に出さなければいい話なんですけどね、無理なんですよね素直な人間なので。
理由があっても受け入れられ難い老人嫌い、やっぱり世間の老人は優しいんかなあ〜孫世代には。
わたしはねえ理解なんてされるわけないからしなくていいよ って ドンっと突き放すんですけどほんとのところは まじで理解されたがりなのでね。
「自分とは違うし受け入れはできないけど理解はできるよ、君はこうなんだね」と言ってくれたなら誰かが、言ってくれたならすごく嬉しいな〜と思いますね。
みんなは、死ぬのは怖いですか?
死に方が怖いんかな、やっぱり交通事故とか病気とか戦争とか そういう死の匂いのするものは痛そうやし悲しそうやし恐ろしいですね。
でもねえやっぱり、自分が死ぬのより周りの大事な人が死ぬことの方がよっぽど恐ろしいし、そういう恐ろしい悲しい気持ちに周りの人をさせないためにできるだけ死なないべきですね。
自分が世界から外れて、穴が空くのは自分じゃなくて世界なわけやからね。
単純に、苦しんでるその人を見たり、動かなく目を覚まさなくなったその人を見たり、その人に二度と会えないってことやったり、は、単純に、悲しいもんね。
恐ろしいなあ
必ずみんなが 大切な人たちも 例外なく 死に向かってるという事実。
それを味わわないには、自分が死ぬしかなくて、自分が死んだら 悲しい気持ちを代わりに自分の大切な人たちに味わわせることになる。
必ず誰かが絶対に悲しいって、ほんまに怖いなあ。
はあ………
今日も背徳の薔薇を聴いてから寝ます。このところ毎日です。
おやすみなさあい