芸能人は人間ではない

 

 

 

アイドルの熱愛は ファンから叩かれるけど、わたし俳優女優の熱愛も離婚も不倫も、嫌悪感でもって 知りたくないんですよね。

だって エンターテイナーじゃないですか、それらの人たちって。

俳優女優は 物語を 文字から映像にするときの 依り代…って言葉が正しいんかわからんけど、最近日本語が正しく使えなくて困ってるんやけど、まあ…言うなれば偶像なわけじゃないですか。

映画に登場するのは、例えば斎藤工その人ではないし藤原竜也その人ではなくて、北野先生でありカイジであって。

だから、嫌なんですよつまり、その俳優の生活が透けて見えるのって。

性癖とか 不倫とか そういうマイナスイメージって例えば「この俳優は猫が好きってバラエティで言ってたな」とか「この女優はメガネをめちゃ持ってるらしいな」とかいう 小さな特徴より遥かに上回ってその人のイメージになって、だから、CMとかも すぐ降ろされちゃうんでしょうね、なんか何言ってるかよくわかんなくなってきたけど…

 

だから 自分と同じ日本人である俳優が 自分と同じように恋愛をして 同じようにコンビニに行って とかの姿は 例えば週刊誌に撮られたりしたら特に、想像したくないけどできるじゃないですか

でも、できる時点で その人ってだめじゃない?って思うんやけど…

庶民派女優とか庶民派アイドルって、いやいやいや、それじゃあかんやん!って思うんですよ。

親しみを感じられたら 芸能人て だめやん、だって、じゃあその人が出演する映画はその人の人となりを通してみてしまって、そんなん映画に失礼やん。

なんか言いたいことがイマイチまとまらない日です今日は…

 

つまりだから キャラクターでいてほしいんですよ。

キティちゃんに、トイレの描写要らないでしょ?ミッキーマウスとミニーマウスのセックスシーンを想像する人はいないじゃないですか。いや、いるのか?いたら多分めちゃめちゃ少数派やと思うんやけど。

映画にドラマに出る人に、人間を求めてないんですつまり。

だから、ゴシップとか、なんのためにあるん?って思うんやけど…

どうして 芸能人に人間としての背景をつけてしまうのか。

 

その点で言えば ハリウッド俳優とかは いいんですよわたしにとって、顔のつくりも人種も違うし住む世界があまりにも違いすぎるし、よほどのビッグカップルでなければ知ろうとしないとゴシップなんて知らずに済むし。

わたしにとって 彼らは 人間ではないと もはや言い切れる人たちで。

だから 洋画は 安心してみられるというか 邦画より キラキラしてみえるんですよね〜

 

とは言え日本にも素晴らしい俳優女優はいて、だからそういう人たちの 映画はたくさんみたいですね。

思想も宗教も性生活も関係のないところで、純粋に映画の登場人物という虚構として二次元に現れる人たち。

そんなもの、生身の人間に求める方がおかしいって言われたらそれまでなんですけどね、でもそういう職業ではないの?と思ってまいます。

 

では 新しく手に入れた江國香織を読みます。

わたし最近 江國香織の本しか読破できない病気にかかって 読みかけの本が溢れてます。やばいんやけど。

おつかれさまあ