まっしろしろ

 

 

 

 

大切な人を亡くすってことは 自分のうちの一部も一緒に失くすってことやというのはわたしが常に提唱している説なんですけど

 

何かを知ったり、経験したりすれば 知る前や経験する前の状態には戻れないじゃないですか。

それって 知る前の自分を失うってことやと思うんですよね。

 

いろんなことを 悲しいことや楽しいことを 一度経験したら その前には戻れなくて 知らなかった頃には戻れなくて 少しであってもどこかが絶対に変わってしまう。

それが いいことである時ももちろんあるけど、悪いことでもあるかもしれないよね。

 

小説とかでよくある、「今まで一人で平気だったのに彼が私と居てくれた幸せを知ってしまったから もう一人になれない」とかもそれですよね。

ペットを飼うことも そうで、もう、新しい命と出会うことは その命の終わりまで引き受けるってことになる。ペットは 大抵 飼い主より先に死ぬから。

そしたらもう 新しくペットを飼う事は その生き物の死まで一緒に迎え入れるってことのしんどさを知ってしまうから、躊躇する、無邪気に子犬を家に連れて帰るときの自分には戻れない。

生まれた瞬間に、死ぬことは決まる。得るってことは同時にそれ以上を失うことだ

一緒に楽しい時間を過ごすことの、代償は、あまりに大きくないですか。

だからわたしは もう ペットはこの先できるだけ飼いたくないな。

 

大切なものは 増えれば増えるほど 失う時の悲しみを経験する数は増えるんですよ。

それなのにみんな、平気な顔をして生きてさ。

嫌んなっちゃうな〜ほんとに

 

でも 悲しいことに 妹を亡くしたわたしは、妹を失うことに怯えなくていいんですよ。

恐ろしいことは、起こる前より起こった後の方が安らかであることは、あるんですよね。

 

それなのにでも大事な人は絶対に死んで欲しくない。

死んで欲しくないけど、大事な人の死を目の当たりにしないためには当たり前やけど自分が先に死ぬしかない。

そしたら 自分の死を 家族に 大事な人に 味わわせなくてはならない。

どうやったって 生きてることは 悲しみに直結するんですよ、こんなん、おかしいやんか。

 

そしたらもうね、生まれた瞬間にね、一人にして家族だけじゃなく他人にも会わずずっとずっと一人で生きさせてくれたらいいって話ですよ。

でもそしたら大事な人を失う辛さを知らないから逆に孤独で死にそうになるわけでしょ!?

 

なんやな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜だからこんなにどうしたって生きることは苦痛なんやったら、もうね、常に泥酔状態やら薬でラリってる状態の人の方が、当たり前の生に対する反応をしてるでしょ!!

ってこれ前も書いてたよな。同じことばっかり言うてるやないか。

 

 

別の話をしましょうねしたことないやつね、あの〜〜わたしめっちゃH&M好きなんですよね。

誰が着んのこれ!?っていう意味不明な服置いてるとことか、安いけどそんな安く見えへん服置いてるとことか、サイズ展開が多いとことか。

服からチープな匂いがするとことか。

安くで色んなことができる世の中ですね。

昔の若者の貧乏旅行より 今の若者の貧乏旅行の方が同じ価格帯でも遥かに豊かですよね。

恵まれているなあ。

その代わり、自由ではないけどね。監視されている。しかも自ら望んで😩

世の中って世界って生き辛いんだよな〜どうにかならんかな

日本人向いてないんかな日本人らしい性格してるけど。

 

閉鎖的なのは開放的になっていろいろ舞い込んでくることが恐ろしいからなんです。

やっぱり得ること=失うことというのを知る前に戻りたいな、そうしたらまた失って悲しくなる繰り返し。

馬鹿みたいやけど馬鹿みたいな方が生きられるよね。

お鍋で火傷する嫌さを忘れないとお鍋に近づけなくて料理できなくなっちゃうし、、、

それはまた違うか。

 

はあ、、、

おやすみなさあい