ココットの中のカスタード

 

 

 

彼氏の、自分の一個前の彼女が五年とか十年モノやったら どう思いますか?

 

わたしは 嫌やなあ だって 絶対に何もかもで比べられるやろうし。

一年とか二年とかなら、すぐに忘れそうな小さな癖とか習慣や言い回しでも 五年とか十年とか積み重ねたものはそう簡単に失くしてしまえないもの。

 

でもそれは わたしに 五年とか十年も人と付き合った経験がないからなのだと思う。

2ちゃんねらー処女厨が多いのは まさしく2ちゃんねらーの童貞率が高いからだと考えられるのと同じように。

自分に過去があるからこそ、「彼にも過去があって、それは私達の間には関係がない」なんて言えるのだ。

 

人なんて狭量だ。自分に許せることしか相手に許せない。

苦労した人間は 相手にも自分と同じだけの苦労を求めるらしい。

身をもって納得できる。わたしは不幸だからみんな不幸になればよいと思う。

自分の経験した内でしか物事が測れないのは当たり前のことだ。幸せな人間には相手が幸せでないことなんて想像もつかない。やっぱり知らないことは、良いことだと思う。

 

 

 

 

 

 

わたしにとって ケータイ(ガラケー世代なのでスマホをケータイと呼ぶのは相応しくないとわかっててもこの端末をケータイと呼ばないと気が済まない!)は小銃。

汚い、攻撃的な、言葉をバンバンネット社会に、彼氏に、撃ち出す凶器だ。

こんなもの、ブルーライトは出しよるし、繋がりがかえって孤独を際立たせて寂しいし、害でしかない。

それやのにこの持ち重りのする大きいのか小さいのかわからない機械を手放すわけにはいかない。

とにかく現世に依存しなければ。思考の海で記憶も、大切なものもそうでないものも一緒くたに輪郭を失ってドロドロと漂っている。

見えないものは見えないままでいいのに。変に可視化されてしまって見るべきでないものまで見てしまう。それも気味の悪いことに自ら選択した形で。

 

何もかも隠して生きていけたならいいのに。

誰も何も晒さずに。

知る必要なんてないのに、なんで好奇心や知識欲や 無駄なものが備わってるんや。

一緒に時間を過ごすのに、相手の家族構成を知ることは必要ないし、内面の激しさも、理解を求める寂しさも、知る必要ない。

だからやっぱり、何にも依存せず健康ですよという顔をして平気で外を歩く方が異常やねん。

こんなにみんな 病んでるのに。

 

 

 

 

今日は二部制でお送りしました。

途中に行間を開けたからいつもより話題転換がわかりやすくなってる気がします。

また、朝です。五時半です。わたしは一睡もしていません。

眠るために流していた映画版シャーロックホームズに、もう五回くらい観たことがあるというのに見入っていたせいでしょうか。

はたまた人と会話しなかった(正確にはウォーキング中チャリンコを転倒させたお婆さんの散歩していた猫が逃げ出したのでそのリードを走って捕まえてお婆さんにお礼を言われていいえとかなんとか言った)からでしょうか。

どっちでもいいから 眠いし寝たいわ。

ブルーライト、この、クソが。

おやすみなさあい