世界平和はどうでもよい

 

 

 

『死を告げられた女』という小説を読了した。

 

最近、本を最後まで読めた試しがないので、よいリハビリになった。そもそも途中で放棄した本たちは面白いと思えないから読めないだけやったのか、、それならいいけど。

 

この作品は、イスラム国に唆されて自殺と同義のジハードに向かおうとするフランスの少年少女らを改心させる活動をする女とそのボディーガードが主人公のお話なのだけれど。ラストの救われなさがすごかったわけなのだけれど。

映画ゼミに入って 映画が世界の物事をリアルに教えてくれるのを知ったけども、元々私に世界を教えてくれていた、今も 教えてくれているのは小説だ。あ、あと、世界史の先生。教科書でも資料でもなくて、世界史の先生のお話だ。

 

世界史の先生というのは歴史の語り部だなあと思う。本当に。喋るのが上手でなければできないだろうなあ。そしてさまざまなことに興味がなければできない仕事だとも思う。

だからわたしは世界史の先生が好きだ。話が面白いというのは何にも勝る長所だし、世界の歴史を語る姿というのは魅力的だ。何が正しいか何が正しくないか知っているのだと感じる。

 

さて、世界史において語るのを避けられない、むしろそれこそが世界の歴史だと言えるのが、宗教である。イスラム教、ユダヤ教キリスト教…etc

上記の3つは同じ神様を信仰している。なのに争いは絶えない。どれを信仰するかっていうのは生まれた家や地域に寄るのだろうか。

わたし達日本人には、宗教というのは本当にわからない。こんなにも常に常に常に世界中を悩ませている宗教問題の、日本は、蚊帳の外なのだ。

世界の人々は本当に宗教に基づいて、神に背かないために、戦う。命をかけてでも。わたしにしてみれば、目に見えないものを有り難がるがために死ぬなんて!と思うわけなのだけれど、神様が、教えが、自分という人間の根底にあるのだろうことを、わたしみたく全くと言っていいほど想像できない人間になにかを言う資格はないのだろう。

無神論者のアラブ人と、クリスマスを祝う日本人では「神を信じない」という点では共通していても、その実まったく違う。日本人には、周りにすら 宗教を信じる人がいないから、想像もつかない色々なことがある。

これは恐ろしいことだなあと思う。

宗教のために自爆テロをしたり、人を大勢殺す事件を起こしたり出来る人がいて、世界の人たちにはその気持ちがわかる、つまりイスラム原理主義者やキリスト原理主義者の考え方やそれに基づく行動などを想像できるというのに、日本人には どこまでいったら危険思想か、危険思想を持つ人がどんな行動に出る可能性があるのか、まったくわからないのである。

 

わたし自身、外国人と密に関わったことがない。今まで一度たりとも。それどころか日本人でさえ、自分とは違う世界の人だなあと思うと拒絶する。同じこと以外を許せはしない。

そう思えば、陽キャはいろんなことを受け入れられるだろうから、外国人とも仲良くなれるのだろうな。偏見か。何事も陽キャに任せておこう…。

わたしは本当に 怖くない人と関わるので精一杯なので、だから周りに困っている人がいても、それが自分の世界の外なら見て見ぬ振りをしてしまうと思う。余裕のある人がそういうのはやればいいのだ。わたしには余裕がない。みんなお願い。世界平和は、陽キャに託した。

 

宗教の話したかと思えば世界平和を祈る暇はないと逆ギレするブログ…やばいな。

情緒不安定な自分について行くので手一杯!

おやすみなさあい