ららら

 

 

 

アメリカはロサンゼルスに行ってきた。旅行で。

思ってた30倍、ホームレスが多かった。

街にはチープな匂いがしてた。

思ってたより黒人と白人の収入格差がありそうだった。

カリフォルニア州が昔、メキシコ領だったから los angelsとかsan Franciscoとか、街の名前がスペイン語なのだということを知った。

アメリカ人はみんな肩の力を抜いて自信をみなぎらせて歩いていると思った。日本人って、背中を見るだけでそれとわかるのんよな。

好意を態度で表すことのできる彼らが羨ましいと思った。

おデブちゃんも全然愛されていて、日本より見た目が重視されない国なんやなと思った。

街中にクスリやってそうな人がゴロゴロいた。

想定していたよりは、中国人に間違えられなかった。

 

感じたことはたくさん。

このタイミングで アメリカに行けてよかったなあ。

価値観は変わらないし 人生に対する意識も変わらないが 自由を より求めたいと思った。

LALALANDのおかげで、ロサンゼルスにいこうと思い立ったので、映画ってすげえ。

 

 

話変わるけど

人は人にまるごと愛されたままそれでも自由でいることってできるのだろうか。

愛は制約。

恋であるうちは自由なのかなと思う。主観だからだ。

無償の愛なんて。他人同士の間にあり得るのか?

どうしたって「裏切られた」と思う気持ちは拭えないだろう。

それを、それを受け止めきれずにわたし達、SNSで発散するけど。

誰かに見られている、ということはそれだけで救いで感情の消化なのだ。誰か が誰であってもならない、不特定多数でないと。

 

アメリカ人はわたしのような異国人にでも笑いかけてくれる。小さな子どもでさえ目を見てにっこりをくれる。

あれは小さなハート飛ばしだと思うのだ。

小さければハートをびしばし飛ばすことができる。小さな愛を数振りまいて、たまに返ってきたら嬉しい、

そんな感じに人々を愛して生きたい。

 

なにもかもに心を痛めるのはしんどい、それはなにもかもに期待をしているからだ。

世界が優しいという期待

世界が善意で溢れているという期待

わたしが愛されるという期待

わたしの大事な人が愛されるという期待

決して期待なんてせずに、小さなハートを飛ばし続けたい。

 

アメリカ人と結婚して永住権獲得し、ロサンゼルスに住みます。

頑張るぞ。

 

 

おやすみなさあい