帰る場所がない。
どこに行っても安心することがない。
ただいま と口にしても 心から思うことがない。
枕も ソファも 絨毯も お布団も
慣れるだけで 決してわたしに馴染まない
すべてがわたしの外側を
それは 世界の出来事に留まらず 自分の内側の奔流もわたしとは無関係に ずんずん通過していく。
感情。郷愁 虚無 怒り 悲しみ
全部が 今にしかない ので ほんとうに自分が何を考えているか なんて 考えた瞬間に 後ろへ後ろへ 流れていく ので わかりっこない
いつだって自分は、周りだけでなく 自分からも取り残されてい る
やっぱり間違いだったな、と思う決定的な過去がある。
すべてにおいて なくてもよく、あってもよい 何がどうでも、誰がどうでも、いい今において どうこう言えるあれでもないのだが
なにしろただいまを言える場所は 過去にしかないのだから
ところで、わたしの宗教は母だ。
母以外の何に、誰に否定をされても拒絶されても自分を変える気はまったくない。それらは体の輪郭の少し外側をつるつる滑り落ちて地面にしか染み込まない。
母だけは違う。世界で唯一の家族だからだし、わたし達を守り続けてきてくれたからだし、わたしより何倍も世界に疲弊しているからだ。
そういうことでしょう宗教って。そういうことだと思う。
今日、世界を憎んでも 明日はそれを忘れて眼を覚ます。
今、誰かを欲しても 1時間後には一人で笑う。
すべてが 今一瞬にしかない、だから
今なにかを思うことに 一切の価値も保証もなにもなにもなにもない。
感情なんて重視されるべきではない。なんてことない 0.01秒の瞬きでしかないのだから。
なにかを強く思っても そんなことは自分にとって毒にも薬にもならない、ほんとに一切、一切ならない。
右か左か、決めるのは直感だけだ。
ポエトリーでした。
おやすみなさあい