ゼミの先生讃歌

 

 

 

「進路のこと相談したいんですけど、研究室に突然行ってもいいですか?」

 

わたしが出した勇気は、この一言のためだけでよかった。

授業後に、たったそれだけ、伝えただけで、ゼミの先生はサシ飲みをセッティングしてくれた。

もう正直、自分にとってそれだけで良かったのだと思う。そして、自分がそんなにすんなりと信用できる大人が、いるなんて思っていなかった。

こんなに疑り深く ねじ曲がった子どもにも、先生はわかるように、「受け入れ態勢が整っている」ということを発信し続けてくれていた大人だったのだ。本当に、すんなり、わかってしまえるほど強く。

そうしてわたしは進路について相談して、その後もいろいろと、ゼミ生の話や人生や恋の話、映画のゼミなので映画の話も少しだけ、した。

先生はわたしを「君はいいね」と言ってくれた。かっこいい関東弁で。

「言葉で伝えないと伝わらない」というわたしの熱弁にも大いに賛同してくれたし、

就活にどうしても抵抗があるわたしを「そう思うのは決して間違いじゃない」と肯定してくれた。

最後には、「いやあ今日はとてもいい日だった、ありがとう」と言って奢ってくださった。

 

先生は何一つ、本当に何一つ、正しくないことを言わなかった。

そしてわたしの言うことを一度たりとも否定しなかった。

あんな大人になれたら 人生成功やなあ。

 

だって先生は、生徒の 若い若い子どもの言うことでも 最後まできちんと聞いて、「そうそう、子どもがそう思うことは知ってる」というお決まりの反応をまったくしない。

母以外の大人は大概子どもの話を聞かないし、「世間一般」を押し付けてくるし、管理下に置こうとするし、思想統制しようとするし、ろくなもんじゃない。

なんなんやろうなほんまに。なんでみんな、馬鹿みたいにさ、「一般論」を信仰して、そんな簡単に 人生に指標が基準が、あると、信じてしまえるんやろうな。

…などと、やっぱりそういう反骨心が、常にわたしはあるから、先生が余計に素晴らしく見える。

 

なんかほんまに先生を讃えるブログになってしまった、先生を知らない人から見たらやばい奴やと思われるほどの狂信っぷりかもしれん…

今まで 恩師というものに出会ったことがなくて、「大人なんてクソ」と掲げて生きてきたので、ゼミの先生の存在がすげえ奇跡に思えるんですよ。

就活生に、「忙しいのはわかってるけど映画はちゃんと見なさい」と言ってくれる先生ですよ。それって、映画から大切なものを得た人間しか言わないセリフじゃないですか。映画から大切なものを得ることができる人って最高じゃないですか。

映画とか小説とか、人が本気で作った虚像で偽物で、心無い人にとっては「ただの娯楽」で片付けられてしまうようなものじゃないですか。

でもそれによって助けられる人がたくさんいて、それらが下らないものなんかじゃないって信じててそれに救いを求めてる人間、読書をする人って現実に少なからず満足していない人やと思ってるから、だから、そういう寂しいところのある人にとって、本気で作られた偽物は、この世の中で、本当に価値のある、なんて言ったらいいのかなあ、宝物で拠り所で生きる糧なんですよ。

そういうものを本気で大事にして なにかを教える材料にして 自分自信がちゃんと映画を大好きな、先生ってほんまに最強すぎる。

ああいう大人になりたい。回り道しても、最強になりたい。

たった2時間の映画に人生を見る。そんなことは、「世間一般」にはできない。わたしだってちゃんと、頑張れば見ることができるし、わたしの周りにはできる人がたくさんいる。

なんて恵まれた環境だろう、ああやっぱりこの大学このゼミを選んでよかったあ。

 

 

おやすみなさあい