言葉を持たないことに甘んじている。
難しい言葉に直面するたび「ほえ〜」と思うけれど、それを使うよりもヤサシイ言葉に言い換える作業の方が楽しい。
しかし 語彙を増やしたいとも表層ではたしかに思っているので、矛盾が生じてきてそこにしんどくなったりして。
知識を持たないことに甘んじている。
馬鹿であることは 楽やし 楽しい。知識を持ってなかったら、持っている人が教えてくれる。「はえ〜」と言って聞いていることの方が、説明するより断然楽しい。
だって説明するには 順序立てた筋書きが必要で、そういうの考えるのん苦手やし。
自分がカシコになったらどういう風やったかな。
昔は、勉強できたんですけど、中学生のころは。でも途中からなんか知らんけど怠けだして、ぜんぜん勉強せえへんくなって……
たぶんついていかれへんようになったから高校受験したんですかね。もう忘れてしもたなあ。
だから根はたぶん馬鹿ではないんやと思うんですけどね。勉強しないだけで。それこそ馬鹿であることに甘んじてるんです。
てかまあ周りから求められるわたしというのがカシコなわたしではないんかなみたいなとこもあったんですかね。今の自分がどう形成されたのか、あんまり覚えてないなあ……。
でもたぶん周りの印象が第一やったんやろうなあ、中学生のときとか高校生のときとか、だって世界は学内にしかないと思ってたもんね。
思わされてたんかな。世界が広いことなんて誰も教えてくれへんかった。自分が自分のままでいいなんて誰も教えてくれへんかった。
そんなん、自分で見つけ出すしかないんやろうけど。それで見つけたころには ありのままの自分がどこから生まれてきたのかなんて わからなくなっている。
環境に合わせて 都合のいいように受け取ったものごとに合わせて 感じることや考え方を変えてきたけど 変わる前にどうやったかなんていちいち覚えてられねー
今のわたしで出会った人たちが多くわたしの周りにいてくれてるから 今のわたしをゼンコーテーするわけですよ。するわけでしょう。みんなも。
みんな変わるじゃないですか。置いてかれた気分になるわ。みんな社会に順応していく。びっくりするわほんまに。
好き嫌いで判断せんのやね。やりたくないこともしやなあかんのやね。やりたいことも我慢すんのやね。すごすぎる。みんな大人っぽすぎるわ。
わたしなんて子どもみたいな白いTシャツを着て突っ立って駄々こねてるだけ。みんなちゃんと戦闘服着てる。わたしは未だに歩道の縁石に上ってしまうのにみんなまっすぐ歩けるんやもん。
『カメラを止めるな!』、えらい話題になってますね。すごいね。興味あったんやけどテレビとかでえらく持ち上げるから観に行くの億劫になってしまった。胡散臭いやん、そういう選りすぐられた大きな意見って。
結局は マジョリティの流れを伺ってわざとそれに背くしかやり方がないんか?わたしは
しょーもない人間になりましたよほんまに。
観に行くか。みんなは行く?どう?感想言うたらあかんらしいね。わたしはまだ決めあぐねております。
おやすみなさあい