江國香織は

 

 

 

江國香織との出会いは『チーズと塩と豆と』という短編小説

人生で最大の悲しみを受けたわたしは しきりに食べ物に関する小説を読みまくった

高校を卒業するかしないかの時季である

創作こそがわたしを救った、それは今も変わらない

 

本を読むと 平らに戻る、自分が自分に帰ってくる、おかえり

ひとりでいても寂しくない それどころか孤独を愛せるようになる

映画も救ってくれるけど ちょっと開けすぎてる、映画は本に比べて陽キャっぽい、それはみんなで楽しむことのできる媒体だからだ

読書をする人は孤独だ 本を読む間はだれも寄せ付けないし その場所とは違う場所に広がる世界にひとりで行ってしまう

あろうことか自分を抜け出して 他人になりきる

本を読むとき、現実の世界に自分はいなくなる、さよなら

 

もっと早くに江國香織の文章と出会っていれば、と わたしは悔しい

彼女は とても子どもじみた大人だ

心の一部がずっと子どものままなのだろう、だからこそ新鮮に子どもの心情を書けてしまう

そして、同時に 子どもの頃義務教育が苦痛だった という大人の登場人物を多く作り出している

わたしは 学校に馴染めなかった ぜんぶ嫌いだった そのことを駄目なことだと思っていたし 自分はなんて 社会的価値のない人間なんだと思っていた、小学校では友達がいなかったし中学校でも高校でも毎日不安のなかで過ごしていた、でも

江國香織は ぜんぜんいいと言う

大人になったらもっと自由で安らかよ、と平気の顔をして言ってくれる

大人になれば体育の授業なんてないんだから大丈夫、と言ってくれる

夢のない子どもでもいい、友達が少なくてもいい、好奇心にあふれていなくてもいい、と言ってくれる

こんなに理解のある優しい大人がいるか?子どもの気持ちをわかってくれる大人が

彼女のようになりたくて わたしは 大人になることに抗い続けている

大人になって、自分のなかの子どもだった自分に言ってあげるのだ、もう安らかよ、解放されているよ、安全になったよ、と

 

『チーズと塩と豆と』は、わたしの人生を変えた本だろう、それは江國香織を初めて読んだという点で、だけれど、同時にやっぱり、四人の女性作家のアンソロジーであるそれは、内容自体がいちいち心に沁みた

ヨーロッパを舞台とした食事に関する話を集めたこの本は、よくわからない食べ物も出てきたし、当時恋愛を知らなかったわたしにはまったくわからない(けれども今ではわかる!)恋人の無理解や 鬱屈した愛情や 愛への脱力や 無言の抱擁が描かれていてそのどれもがやっぱり架空の話で、あのとき食欲が湧かなかったことも思い出したりして、そう、食べることは生きることなのだ

だから 食べ物の話ばかり漁って読んでたのかなあ

生と愛のお話は いちばん大事な部分を失ったわたしの そのまま血肉になるようだった

 

わたしがいま、少なくとも健やかに大学生活を終えようとしているのは、あのときの熱心な読書によるものかもしれない

たしかに破滅的な性格であるし 未来は不確か、格好だけ自由で 頭でっかちな 対人スキルの低い 世界の狭い人間の出来上がり、が今、ではあるが 少なくとも健やかだ!大学を卒業できそうだ!あんなにもあんなにもあんなにも打ちひしがれていたのに、もぎ取られて疲弊して悲しくて苦しくて終わりだったのに 続けてる

すごい、わたしすごすぎるぞ!

でもたくさん人を傷つけたな〜自分が傷ついていることを大義名分にして。ごめんね。

精神的にひとりで生きていこう

物理的にはだれかに寄り添ってもらったとしても、精神的には完璧に清潔にひとりで

どんな風にしても生きていかれるわ

見とけ、わたしは 君たちがいなくても生きてけるんだ、べつに、仲間にいれてくれなくなってよかったぜ 仲間にいれてくれなくなったってよかったぜ

さみしい このさみしさを肯定できるんだぜ

なぜなら江國香織の小説がわたしにきちんと寄り添ってくれるから

創作こそが救いだ、わたしも誰かにぴったり寄り添って救ってあげられる小説が書きたいな

 

 

おわりでーーーーーーーーーす