人称というものに悩んでいます。
何気なく読んでる小説の 何気ないn人称が 何を効果的に表現しているのか
小説を好きなくせに大して考えていない
三人称の文章はやっぱり、俯瞰できるのが強みですよね
映像ぽくで、映画みたいな文章をつくることができる
でも、登場人物の誰かに肩入れしすぎることはできないから、この人がこう思ってることを書きたいな、と思っても、表情とか行動とか、目に見えることを中心に描写しないといけない
これが難しいわけですよ
だからやっぱり 事件が起こる物語がいいですよね 三人称小説は
出来事の描写じゃないですか 見えるものを中心に書くわけやから
一人称小説は、感情を描写しやすいですね
『ライ麦畑でつかまえて』とか、とくに主人公の内面のお話で使われますね
物語の始めと終わりで内面が変化したり なにかになんらかの感情を抱くことで人物を表現するから、やっぱり 内へのエネルギーが大きい
だから 動作とか 現実の世界とか 描写するのはむつかしい
視点人物を中心とした半径数メートルで世界が展開するからね〜
でも 間ってないんかな〜
三人称のくせに めちゃくちゃ視点人物に肩入れする小説
江國香織はやっぱりそれやと思うんやけどな〜
「小説 書き方」で調べることがないとはいえないんですけど、
そしたら「三人称小説では特定の人物に没入してはいけない」的なことを書いてあって、
あ、そうなんや、じゃあむりやん、と思ったわけですよ
だって人間がどう動いて全体がどうなっていくか書きたいわけじゃないから……
でも、敬愛する江國香織さんは けっこう視点人物に肩入れした三人称小説を書きはるから、だから彼女みたいにして書いてもいいなら、三人称も書けるかもなあと思ったんですけど、じっさい、してはいけないことなんてないはずなんです……
読ませるという前提がなければなにをしてもいいわけで 人間として小説家でいることはぜんぜん誰にだってできるわけです
それを ちゃんと読者を設定して 世間に迎合して 文章を書けるように、文章を商品に昇華してるのが 職業としての小説家なわけで
それになりたいなら、読者向けの、オナニーでない、文章を書かなきゃならないわけですよ
でも果たして
ギターを弾く人が 最初から人に聴かせるために弾くのか?
ある程度に達してから初めて、リスナーを意識するよね
スノーボーダーが 最初から審査の点を意識して滑るか?
でも、芸人さんは 始めから客を意識して練習しますよね たぶん……
わたしは 読者向けでないにも関わらず
読んで〜 と 世間へ文章を公開するけど、それは 歪なことなんでしょうかね
「わかってる!未熟なんはわかってんねん!まだおもろいもんが書けてるとは思ってへんねん!わかってんねん!」と言いながら人々に読んでもらうのは とても なんというか 図々しいですね、行いとして
でもだから決して 読め! とは言いたくないし、褒めろ!とも言いたくはないわけですよ
難しいな〜
文章ってどんなふうに上手くなっていけるんやろう
お友達と喋り、文章を読んでとても触発されております
人称とは。
きさまに寄り添うには何人称を使えばいいかね?
おわりでーーーす