駐車場の異様に明るい電灯

 

 

 

さて

 

 

心は あるいは脳みそは 知らずにダメージを負ってるから恐ろしい、マイナスな言葉を発すると自分まで傷ついてしまう、相手が不在なら傷つくのは自分だけ

なんちゅうこっちゃ。

 

 

団地を見るとき、あの光のひとつひとつの元に何人かずつ宿っていてそれはすごく寂しくないことだ、でももしそのなかに独り暮らしの人がいたならその人が寂しさを感じるときに実は寂しくないことが電車から見ればわかるよと言ってあげたい。

言ったってその人は寂しい。わたしは誰にも寄り添わない。

 

 

寂しさを蔑ろにする人は豊かになれない

しかし口を開かずとも空間を誰かと共有しているとき、数少ないそういう時間、"孤独でなさ"に驚く。

ひとりじゃない 寂しくない 自然にゆるりと繋がり離れず空間いっぱいに人の気配がふわりと充満していて 息苦しくなく緊密に。

寂しくなくなるために無理をするのは最悪やけど、個人の形を保ったままで孤独を打ち消してくれる瞬間は貴重だ、あれには言葉至上主義のわたしも言葉などいりませんね、と言ってしまいそうになる。

 

 

大人になっていく。

全身で体当たりをして 相手も傷つけ自分も存分に傷つき、ついた傷を知って自分の身体の一部として取り込んで。

いろんなことに対してそれをして つまり経験を積んで 人生にその都度対処していって、大人になっていく。

わたしたちは大人になっていくのだ、驚きと諦念と対抗心とその他。

 

 

家族の問題がそのまま、その人をつくるということは絶望的やな

傾向、パターン、星型ハート型スノーマン型のわたし達はクッキー。

どんなふうにだってなれるけど飛べない、家族は鉄でできた靴あるいは靴を地面に刺した杭につなぐ鎖あるいは杭そのもの

だから都会は必要なんやね

だから故郷を出なくてはならない

 

 

遠くから見たらよくわかる

でもそれにはひとりにならないといけない

なにかを感じる心を無視したらあかん、削れていってなくなってまうらしいから

 

 

おわり〜