ちょっとオカマ風味の18歳メキシカンボーイが、先週学校を卒業した
明るくて 冗談をたびたび言ってクラスを和ませてくれる子だった
学校最終日、70手前のおばあちゃん先生がみんなの前で彼にこう言った
「あなたは 強い心を持ってる素晴らしい子だから、誰かに変われと言われても 絶対に変わる必要はないよ。あなたらしく生きなさい。」
みたいなこと。
わたしは泣いた、メキシカンボーイは泣かなかったけれど若い彼の代わりにわたしが泣いた。
もしも、先生に 、親以外の大人に、「あなたは変わる必要ないよ」と 言われていたならどんなにか救われただろうか。18歳のわたし。
そんなことを言ってくれる人なんていなかった、今 認めてくれる人はたくさんいるしそれはほんとに幸せなことだが、わたしの眼前で18歳の男の子が、その言葉の真価を理解できていないとしても、受け取っている、きっといつか、あの言葉の意味をほんとうにわかるときがくるのだろう、それが、そんな 封を解かれるのを待つあたたかいなにかが、彼のなかにしまわれたのだ、なんて羨ましい、と思わざるを得ない、羨ましい。
ほんとうに完璧に頭からつま先まで変わらなくていいわけではない。
それでも自分のなかの、ティーンエイジャーの頃からあるなにか大切なひとつを、認めてもらって自分や肉親以外に大切に思ってもらえること。大切にしなさいと諭してもらえること。
なんて素晴らしいんだろうか。
何度も言うが、ほんとうに変わらなくていいわけじゃない、でも、わけじゃなくていいのだ。
「誰かが変われと言ってきても、変わる必要はない」ということ。自分の意思で変わることも変わらないこともできるということ。
今より若い自分にそのことがわかっていただろうか?
変わらないことの素晴らしさに賭けたい。
わたしは子どものままでいたい。すべてを新鮮にその物事の質量のまま噛み締めて楽しんで無茶をして笑って。
しかしいつか自分の意思の力の作用が、変化のほうへ傾くときがくるのかもしれない。
変わっていくということ。止まれないということ。どんどんすべてを消費しなければ死んでしまうということ。
本能にだけは従っていたい、ということがそのまま怠惰ということとイコールな時代、わたしはもはやヒッピーなのかもしれない
ビューティフル☆アドレサンス
きみは 今のままで素敵だよ
いつか誰かにそう言えたらいいな