花柄のワンピースで街に出たい、とつねづね、考えていたのでそうした。
赤の地に白の小花の散ったワンピース、赤いリボンの麦わら帽子、そばかすのメイク、ヒールのあるサンダル。
見てもらう人を設定せずにするおしゃれは清潔。しゅらりと、立てる気のする、菖蒲の花のように。
清潔なことは少なくともいいことだ。私は清潔が好き。でも不健康も好き。そういうものものの積み重なったのが人間をつくるのだから困る。
湖に出た。自分の街ではやらないことをやってみる。砂浜にお尻をつけて座る、周りに小さな子どもが、ビキニガールが、肥った老人たちがたくさんいるなかでぽつんと座る、胡座をかく、一張羅のワンピースを着ているのに。
子どもは私を見つめる。見つめ返して微笑めば、微笑み返してくるのもいるが、こないのもいる。
若者は私を気にしない。それぞれの弾けるお尻をぷりぷりと揺らしているので、私はそれを見つめる。
老人は私に笑いかける。大人じみて私は笑いかえし、たいていはそれで終わる。
私はここに存在しているだけなのだった。そうしてひとりでしか、私はそれをできないのだった。
みんなそれぞれ違うということは、当たり前で、でもおそろしい。私の嫌いなだれかだって、こんなふうに予定のない日におしゃれをして、自分のためだけに出かけているかもしれないのだ。
その人のなかには、私の嫌いな面と 私と奇妙なほど似ている面が 同居している。しているから厄介だ。
ひとりひとりに真剣に向き合わないといけないのだから、友情に、恋愛に、教科書のないのは当たり前だろう。
水面がキラキラ光っていてまぶしい。帽子にかけたサングラスを、目元にかけ直した。
あたたかそうに打ち寄せる波にふれれば びっくりするほど冷たいことを私は知っている。知っているということはいいことだ。
浜辺の店でアイスでも買うことにした。