ばたん、扉を閉める音が響いた。深夜、自家用車よりも4トントラックのお客の方が多い。ばたん、もう一度響く。
龍二のスウェットはずり落ちて腰パンどころか腿パンだ。伸びをするのでへそが見え、低い気温も相まって寒々しい。
俺には運転ができない。つまり、龍二があの距離とそれからこれからの距離を運転し、運転することになる。それに対してまだなんの文句も出ていないのは、ガソリン代が俺持ちだからか、運転が三度の飯より好きだからか。
「俺、あれ好きやねんな」歩きながら龍二が言う。
上下グレイのスウェット、それだけでも神経を疑うのに足にはつっかけ。靴下を履いているとはいえ寒がりの俺には理解できない。
「サービスエリアとか遊園地のラーメン」
「俺は、」知らないうちに鼻水が垂れそうになってすする、「嫌い」
「しょうもない味するやろ。巷には手間暇かけたラーメンいっぱいあんのにさ。山の上とかパークやとか高速道路やからってあの味でけっこう値段とるやん。」
龍二はけっこう長めに喋ったけれどそれは好きな理由の説明としてはかなり不足していた。
屋内に入るといささか暖かく、真夏のクーラー空間とまではいかないまでもほっとする。ホットだけに。
「お土産コーナ〜」
龍二は歌いながら早足でそれへ向かったが、ここはまだ近畿圏なので大阪に居たって手に入るものばかり並んでいるだろう。
それでも俺も陳列棚を覗きに行ってしまうのはやっぱり好きだからだ。こういう場所が。サービスエリアとか遊園地とか。旅行に来たって感じを味わえるところが。
一通りぐるぐる見回ってふたり揃って結局買ったのが煙草だけだったとしても、どうしたってワクワクしてしまうのは避けられない。
もうあの頃みたいに変な味のキャラメルをねだらせてくれる父親は俺たちにはいないのだ。たしなめる母親も。
いるのは若竹のように背ばかり伸びるひょろりとした弟だけで、そいつももう不意にかくれんぼを始めたりはしない。狂ったようにけたけた笑いながら、龍二は隠れるので見つけるのが馬鹿みたいに簡単で、なんにも面白いことはないのに俺も笑って、いた。
「食わへんの、ラーメン」俺は聞いてやった。それというのも食堂の脇にある販促用の旗に俺自身が惹かれたからだ。
地鶏で出汁をとったというネギのたくさんのったそれは、いかにも美味しそうに見える。唾がわいた。車中でポテチや甘いものを食べたりはしたが、食事は出発してからずっととっていない。
「食うか」
食券を買って店員に渡す。学校の食堂みたいな見た目のカウンター越しに、でも、中に立っているのは愛想のいい三角巾のおばちゃん、その真逆に突っ立って生きているような若い男だった。
店内(すべてがひとつながりになったその施設で食堂のことをなんと本当は呼ぶべきか俺は知らない)には人がまばらにだが居て、みんなそれぞれすすったりもぐもぐしたりしているのが興味深い。おんなじ人種に見える。おんなじ仕事をしておんなじような心境でおんなじような背景を、そんなこと知る由もないのに持っているように見える。それなのに彼らはいっさい交信をしない。それなのに彼らは一様に寂しそうに見える。
自分のことを他人に投影して憐れむのは俺の悪い癖だった。悪い癖をそれと認められるようになったのは、数少ない大人になることのメリットだと俺は思う。
カウンターに着席した俺たちをすぐに番号で呼び出した鶏出汁ラーメン二杯は少なくとも湯気がたっていて温かそうで、そのことが嬉しい。
龍二は割り箸を横に割るので二の腕に肘が当たる。
「一生ってさ」
麺を箸で持ち上げながら龍二が呟くように話しかける。
ふたりしかいないのだから、俺の相槌を待たずとも俺が話を聞いているのに、俺の相槌を待って。
「うん」
「カウンター席好きよな」
俺は持ち上げた麺と、箸を置いた。あまりにびっくりしたからだ。
「お前やろ?」
少し大きな声が出てしまい、周りを見回した。龍二は麺を口に運びながら、顔を顰める。
「お前が好きって言ってたから、俺いつもお前とおるときはカウンターやねん」
「いつ? 俺、覚えてへん」
「こないだやん。あの〜、スタバで。」
「麺伸びるで。
スタバ? そんなん一生と行くか?」
龍二の助言にしたがって、俺はやっと最初の一口目を食べた。味は悪くない。不健康なものを食べたあとだからか、美味しいとさえ言える。
「二年付き合ってた彼女と別れた日やん」
「はあ?」今度は龍二が大きな声を出す。しかし周りを気にしたりはしなかった。俺というのはこいつに比べてはるかに気が小さい。
「それお前高一のときやん、こないだってなんやねん」
はっとして、でもそうと悟られたくなくてちらりと弟の顔を見た。
金髪に寝癖をつけ、無精髭の生えたそいつは確かにスタバでカウンターに座るのが好きなんだと言った学ランのあいつとは違って見えないこともない、俺にとっては完全に同じ人物であるにしても。
「おっさんなったなあ、一生も」
あの日俺は一足先にスタバデビューを果たした先輩としてこいつに奢ってやったんだった。バイト代を使って。稼ぎに対して大きな支出だったけれど失恋した龍二に俺はあれを買ってやりたかった。甘い甘いなんちゃらキャラメルフラペチーノ。
「ていうかさ」
「うん」
「ラーメン、あんまりやな」
「そうか? 可もなく不可もないな、俺には」
「まずくないとおもんないやん」
それとも、と俺は思う。
小さい頃両親と俺たちで旅行中寄ったサービスエリア、そんなのなにが起こってもなにを食べても楽しかった、俺たちはああいうのをかき集めたくてこういうところに来てワクワクしちゃうんじゃないのか? なあ、もしそういうのだったら悲しいな俺は。でもそういうのなのかもしれないよな。深く考えたくはなかった。ワクワクの、楽しさの、行き着く果てがどうしようもなく悲しみだなんて。
「俺、まだカウンター好きやけどな」龍二が言った。
「外歩く人観察すんのも、まだ好きやし」
それはあの日の高校生が言ったことを再確認するような感じの呟き
つづく