箱のなか

 

 

 

好きなもの、ことはたくさんある。

 

江國香織の『神様のボート』という著作のなかで、「でもそれは"箱のなか"だ」という表現がある。

主人公のシングルマザー・葉子は かつて恋に落ち、必ず戻ると言って消えた男を待ちながら日本中を引っ越ししまくる。恋に落ちたときに授かった娘の草子とふたりきりで毎日を暮らす。

娘の草子が 引越しを嫌がったときに、諭すように主人公はその概念を教える。

楽しいこと、楽しかったけど過ぎたこと、は もう 箱のなか。

その話をしたときに 葉子が着ていた服は華やかな花柄のスカートだった。草子は、もしその箱に実体があるなら、そのスカートの花柄みたいな見た目をしていると思った。

 

私には でも 箱はふたつあると思う。私のなかには。

ひとつは 蓋がぴったりしまっていて、なにかを入れるときにさえ開かない箱。

もうひとつは いつものものぐさで 蓋を失くしてしまって 開きっぱなしの箱。

 

蓋のしめられた箱は たぶん夜空の柄で 樹脂かなにかでできてて繋ぎ目がない。

もうひとつは 人を小馬鹿にしたようなピンク。小さいのころの私が嫌いやった色。

 

夜空のほうの箱は 開けようとしたらテコでも開かないくせに、不意にぱかっと口を開く。

過ぎ去ってしまったもの。もう二度と戻らないもの。

そこには家族に関するものが多いし、自ら望んで手に入れたわけではないのに 手元に転がり込んできたものばかり、ばらばらと入ってる。

今となっては使い道がないものもの。

それなのに光り輝いている。絶対に手にとれないのに。手にとれないのにとても重い。私のリュックが重いのはこの箱のせいで、でもそれはそんなに嫌じゃない。

 

ピンクの箱には ケロウナの夏の青い夕方とか サービスエリアのコーヒーとか 秋の公園とか 住宅街のお風呂の匂いとか 居酒屋で各々の飲み物とシェアされた食べ物ののったテーブルとか が入ってる。

箱の蓋はしまっていないので、好きなときにとはいかないまでも、然るべきときに手にとることができる 素敵な お気に入りの、でもコーディネートを選ぶアクセサリーのような形をしたものたちがごっちゃになって入っている。

 

どっちの箱に入れるかは 自分じゃ選べない。

宝物のひとつひとつが どっちに入るのが適切か知ってるみたいに しばらく置いておいたらどちらかの箱に入っていくからだ。

 

 

好きなものはたくさんある。

 

たとえば カナダで 友人たちと話しているとき、コリアンの男の人が"I swear to God"て言ったこと。神に誓ってほんまって意味。

どの神さまに誓ったんやろうって想像する。やっぱり無難にキリスト教かなって思う。

私がもしその言葉を口にしたとき、「なんの神?キリスト教じゃないくせに」って言われたら、「日本にも神様がいるんやで、それもたくさん」て言おうと思ってる。

 

それで言うと お地蔵さまとか お墓参りとか 好き。

どこかの占いかなんかで 私には先祖のバックアップがめっちゃあるって言われたそうだ。私は実際には聞いてなくてママが聞いたらしい。

嬉しいと思う。私はまったく信心深くないし 神社とかでお祈りするような デカい神様は信じてない。(もしもぜんぶ見てくれてるデカい神様がいるなら私の周りで起こった不幸の説明がつかないから)

でも 古いものやなんとなく神秘的なものは信じてるから お地蔵さまや お墓を見たら ぜったいに100%黙礼というか お参り?というか する。

おばあさんになったら 近所のお地蔵さまをお手入れする係になってもいいと思う。

お地蔵さまは デカい神様の化身やってことやけど まあ それは置いといて。

そういう 土着の 地域密着の 信仰と それに呼応する なにかってあると思う。

なんかやばい人っぽい? 大麻合法化運動とかしてそうっぽい?

ネイチャーラブみたいな人っぽい?

違います。

 

新型コロナ感染防止のせいでマスクをして外に出ないといけないから もっと好きになったことは、口紅を塗ること。

必須事項だった頃のそれはおざなりに済まされていたけど、今はちょっと丁寧にやっちゃう。

車でのお出かけのときとか お酒を飲む予定の日とかだけ 塗るそれは 顔色をパッと明るくしてくれるし、「きちんとした女の人」みたいな気持ちになるから大好き。

べつにきちんとした女の人ではまったくないんやけど。気分だけはね。

キスマーク(首についてるやつじゃなくて手紙とかについてるやつのほう)が 魅惑的なのは やっぱりあのシワのせいよね。とか、つけすぎた口紅をティッシュオフして 思う。

 

あとタイトスカートを履いた女性のお尻の膨らみも好き。

若い男の人っていちようにお尻めっちゃちっちゃくて 脚も細くて すごいけど やっぱり女の人の ある程度たっぷりしたお尻の丸みと それを強調するようなタイトスカートは まじでいいと思う。ずっとみてたい。ほんまに性的な意味じゃなくて。

 

古い遊園地とか、サービスエリアの 食堂の"施設"感、煌々と輝く室内灯(ときに蛍光灯🥺❤️)と真っ暗い外の景色との対比 あれはほんまに大好き。

こういうの。

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でも そこに存在してて、どうしていいかわからんくなる。

どうしたいのかも。だから長居はできなくて、写真とか撮ってすぐに立ち去ってしまう。

 

お寺に入るときに手につける粉の匂いも好き。というのは、風邪ひいて改源飲んだらそんな感じの匂いがしたから。

塗香っていうんやって。お寺に入るときたまにつけるやつ。ウコンとかニッキの匂いなんかなあ。

 

曼珠沙華も好き。同じような理由でトケイソウ も好き。

あの技巧は なんだ? って毎年思う。誰がつくったんやろ?

曼珠沙華においては、何本か同じ場所からウワッと出てるの怖いし、"生え始め"を見たことないのも怖い。いつのまにかおるからむっちゃ怖い。お彼岸を狙ってちゃんと生えるのも怖い。ぜったいなんかあると思う。ぜったいあるよな?

 

 

 

ぜんぶ 箱に入れるほど離れてしまってないか ピンクの箱に入ってるか のものたち。

好きなもの、ことは たくさんある。

 

さいきん私について友達が言ってくれたことでとても嬉しかったのがある。

「人の良いところを見つけるのがうまいね」って。

私は「そのぶん嫌なところ見つけんのもうまいけどな!」って恥ずかしくて言った。

友達は「それはそう」。

好きなものがたくさんある。でも嫌いなものもいっっっぱいある。 

それだけ たくさんのことに 興味があるのかもしれない。でもほんまに嫌いなものめちゃくちゃある。

男の人のキツすぎる香水とか プリントの感触とか 大きい声とか 待ち合わせの約束とか………まあそのときにならな あんまり思い出されへんけど。

 

ぜんぶ 意図的に 蓋のある箱のなかに入れてしまうことは 悲しいけど 潔くて身軽で ある意味美しいことやと思う。

でも私は まだ子どもで ぬるい現在を生きていて 蓋のない 人を小馬鹿にしたショッキングピンクの 子どもじみた箱のなかにひとまず入れておけると信じたいものがいくつかある。

まだ いまに繋がっているもの。まだ切れていないもの。手繰り寄せればてもとに戻ってきてくれるもの。

 

どちらの箱も なかったら 私は ほんまのひとりぼっちになってしまうので 捨てずに持っていられたらなと思う。

中身はたぶん増えていく(ホープフリー!)から、持ち続けていられるように鍛えなくちゃね。

 

カフェイン摂取したからトイレ。