it's done, people🤟

 

 

 

小説家になろうと思うのをやめようと思う。

自分の書くものが世間的に価値を持ちそれでお金を稼ぐことができるなんて信じられてたことこそがグノコッチョーという感じがする。

 

私というのはほんとうに何もできない。周りの人々が なにかひとつ これやったらスルッとできるってものが見つかりそうなリストにひとつとしてチェックをつけられない。

掃除洗濯などの家事は基本怠け気味で普通の人がやる3倍以上の時間がかかる

当然 運動はからっきし

音楽的センスもない

楽しめることと言えば映画か小説だけで なにかのオタクというわけでもない

コミュニケーションをとるのが下手くそなくせに一人になると寂しさに押し潰され

自分自身がじゅうにぶんに痛いくせに痛い人を痛いと笑う

友達が多い方でないから休日はひとりやし かと言って働き者でもないからたくさんの休日を無為に過ごしてばかり

要領が悪いくせに 自分よりできない人、つまり極端にそれに慣れてない人には苛立つし

狭量なのに寛大で関わる相手を戸惑わせる

冷静ではない、イレギュラーに弱いくせに情熱的でもない

見た目もよくない、太っているくせに傲慢

地図も読めなければ計算もできない

YouTubeみない TikTok持ってないくせに 純文学も読まない(読めない)

 

ちょこっとした長所をあげるとすれば

受け入れるふりがちょこっとうまい ということか

 

その長所みたいなもの、というよりその皮を被ったなにか、のせいで 私は 「こいつになら何を言っても大丈夫」「どんな失礼なことしても大丈夫」と思われることが多い。

相手の意図するところとは 別のところで私はサンドバッグに静かになっている。

まあそれで悦に入れるならいいんちゃうってそのときは思う。それなら女の子にとって私と付き合うメリットはゼロやと思うわけやけど たぶん女の子にもそういうのを発揮してるんやろう。

 

私は忘れていない。

家庭環境もぜんぶ話した当時の友達に、「あなたに父親がいないとかのマイナスと私に彼氏ができないというマイナスはおんなじようなもので 私にとって負い目を感じざるを得ない要素なの」みたいな感じに言われたこと。

あの人の「なんでもっと効率よくできひんの」という言葉、「こんなこともできないのか」と語る表情。

「君のそんなことよりも自分の置かれている立場のほうが断然キツい」とサラリと言って抜かした人たち。

イニシャルでぼかされて目の前で繰り広げられる私の悪口。

 

そのすべてに私は怒らなかった。

じっさい 私には決定的に なにかが足りず、私のできることは少なく、それらを埋めるための努力もしていないからだ。

私は自分に 自分のまま愛される権利があると思っていた。勘違いしていた。受け入れられなかったから 酷い態度や言葉を受けて、そして私自身が 自分を受け入れられないから それらをへらへら 甘んじて受け入れてきたのだった。

 

もう終わりにしよう。

自分がなにかを為せる人間だなんて思うのは。

でもそう思わせてくれた人々、暴君のように振る舞っても慕ってくれた妹、明らかに愛らしい見た目や性格をしていないのに可愛いと愛してくれた母、には感謝したい。

勘違いをさせてくれてありがとう、幸せだったな。

自分の書き物が出版されると思うなんて本当に馬鹿げていた。

そんなことないよって言って欲しいわけじゃないのは、閲覧数がゼロに等しいこの場で言うのだから確かだと思う。

情けない。私の書き物、その出来は如何にせよ続けることが大事だ、いつか日の目を見るはずだから、なんて言われてしまうほうが情けない。

私にはなにもなせない。できることがあまりにも少ない。なにもしない以外をできない。

なにもせずなにかを観察することしかできない。

 

だから 世界一周旅行には いつか行きたいと強く思っている。

私にできることは見て比較して好きなものと嫌いなものに分けることだけだからだ。

せめてできることぐらいできたらいいと思う。

それがなにになるの? とは もう 聞かないでくれたらありがたい。

でも聞かれてもきっと怒らないだろう。

あなたにとって私はどんな失礼なことを言っても態度をとっても"大丈夫"な相手だからだ。

私は脅威になり得ない。

大丈夫。私なら許してあげるし受け入れてあげる。ただ 自分についた傷を絶対に忘れないことがあなたにとってなんの損になろうか。消費してくれたらいいと思う、今までしてきたように。

 

 

これを読んでる人は本当に少ないので読んでしまったならもうなにかの運が悪かったとかそういうことだ。

可哀想に。

明日 あなたが事故で死なないことをちょっとだけ願おうか。