少し頭がいかれていたと言えよう。
とは言っても、この頃の私は常にとごかのネジが外れているあるいは緩んでいる感じがしているので、常時静かに気が狂いver.ではある。
大学生のころは煩く気が狂いver.やったかもしれない。
正気のときなんてしょーじきない。とかいうことはまあともかく
世界が私に優しくない(と感じる)ことと、私が小説家になると言うことをやめるということは 直接的に繋がってはいけないことのように振り返れば思う。
もちろん 私は 外的なものから独自に抽出した悪意によって自分を無価値と感じ、自分の書くものも同様に無価値だという結論を出したわけなんやけど、でもそれにしたって「こういうこと言ってきたお前らのせいで私は……」みたいな言い方は ちょっとなかったなと思う。
私はいつだって剥き出しだ。剥き出しで痛々しい。
たぶん 私に対して剥き出しで、発展途上だった人たちが投げた言葉だってただただ無邪気で可愛らしいものだったんやと思う。(決してそうは思えないが、まだ)
それの同じくらいのぶん私は人々を傷つけてきたし。
なんというか全部未消化なのだ。消化器官が強く生まれてきてないし。
運動神経が悪いので 瞬発的に投げかけられた言葉に反応できずにあとで咀嚼して うわ これないわ、なさすぎるわってなっちゃうんだ。
加えて、ここ数ヶ月 男の人と手を繋いで歩くということをしてない、ってことがどうしても私には大ダメージらしい。
大学生になるまで いっさい 私の人生には男性たちはいなかったのだけども(必要なかったともいえる)、久しぶりに 完璧にひとりになったいま、自分のバランスをとることがすごくむつかしい。
なんてこったいこのテータラクは、びっくりしてしまう。自分を可愛いと言ってくれる男性が近くにいないだけでこれかと。
私はまるで道路を歩く理由を持たないし、おでんを食べる理由も持たないし、服屋にも入れないし 季節を楽しみに出かける理由も持たない、誰かと一緒でなければ。
そういうことにきちんと向き合わないといけない。
ずっと人と対等でいることに忙しかったから、自分の持つ不安定さと対峙し、物事をひとつひとつ咀嚼して胃液で溶かし切ってしまわないといけない。
まだ ひとりでトイレに行けず妹をドアの前に立たせていた頃のままなのだから。
小説家になろうとするのをやめるのは、自分が「小説家になりたい」ってことをもうラベルにしてたと思うからだ。
そこんとこにいつも敏感なつもりだったのに。
「小説家志望」っていうラベルで自分を表現しようとするのが気持ち悪い。なんというか悦に入ってる感じするしどうしてもオナニー感が拭えない。
拭えないなら公開オナニーをやめて自分ちのベッドでだけオナニーしましょうという話だ。
「公開オナニーできる自分」を できるってだけですごい奴やろ、的に、もうこれ以上ドヤりたくない。
もちろん 当たり前の話、小説家志望の人を馬鹿にしてるわけでも、非難してるわけでもない。
自分の目標をおっきく掲示して退路を絶ってこそ頑張れる人たちがたくさんいるだろうことは想像にたやすい。
なんでも 夢や目標だけじゃなくても ステイタスにしてしまえば やりやすいと思う。
逆にいうと そうできないから私はコミュニティに属せないし ひとりぼっちなのだ。
まああと単純に自傷行為の端くれでもある、小説家になりたいと思うのをやめるってことは。
運動しに外に出て もっきもっき歩きながら静かに泣いてそう決断したとき確かに胸のどこかになにかが突き刺さるような痛みみたいなものを感じたし、それはじっさい気分が良かった。
自傷行為っていうのは気分がいいんよな。自分をもっと可哀想にすることで もっと可愛く愛せちゃうような感じがする。
書くことはもちろんやめない。
アイデアは ふっと生まれてくるしメモされてしまう。
でもそれをなににもしない。
夢はなんですかと聞かれてもこれからは小説家になることですとは言わない。
私の書き物を少しでもいいと言ってくれた大学の友人たち、授業で一緒になっただけの人たち、本当にありがとう。
ぜんぶ覚えている。
でもそれを ひとつひとつ印刷して自分に貼ってしまったら駄目だと思うのだ。
過去の彼女たちに読んでほしいと思えるものが出来上がったら 情けなくも連絡してみよう。
誰も傷つけたくないし誰にも傷つけられたくないよ。
傷つけた人に謝りたい。傷つけてきた人に謝ってほしい。
ずっと抱えたまま生きていこうと思っていた穴を見ないふりしてきたのは生きるために仕方なかった、無になっているいま 苦しむのも仕方ないな。