おとなピーターパン

傷つくことを回避するすべを豊富に持つ人間のことを「大人」と呼ぶのならもうずいぶんまえからそれに片足を突っ込んでいる。

大人というのは優しい。優しいのは傷つきたくないからだろう。人を傷つけることで自分も傷ついてしまう、それなら、人を傷つけることさえも自分ごととして全力で回避する。

涙を流すのは共感するから。映画や小説に感動させられるのは私たちのどこかの部分になにかがかぶさって、抽斗の奥の感情を引っ張りだされて他人事のままで終わらせてくれないからだ。

ほとんど全てが近い。そのせいでほとんど全てが意味を持つ。ほとんど全てに語る言葉を見出してしまう。

 

「あんな大人になりたくない」、教師を見ては思った。

「そんな苦しい思いをするなら大人になりたくない」、母親を見て思った。

「あんなふうな大人になるのはいやだ」、サラリーマン像を漠然と見て思った。

彼らは役割を果たしていた。彼らにも無邪気な面というのはあるのだろう。

しかし、でも、大人という服を着なければならないときがもしくるとして、それを脱ぎたくても脱げなくなったら終わりだろうと思う。

ものを考えるとき、裸のままの自分がびりびりとむくむくと出てくることがなくなればもう終わりだろう。

 

大人という服はじゅうぶんに柔らかく、分厚い。相手を傷つけず、自分も守るために。

私だってその服を着てバイトに行っている。それは興味のない人間にあなたに興味がないですと剥き身の自分が言ってしまうこと それ自体によって傷つけ傷つけられることを避けるためやし、家庭の問題を全面に写した鏡みたいに澄んだ自分の本性にスモークをかけるため、ひとりのつまらない人間になるため、、、

くそみたいなコミュニケーションを終えて中身が息苦しそうに顔を外に出したときに最初に出る軽蔑や見下しは純粋な幼児性を持っているので危険なのだ。

私というのは友人のまえで失言が多い。油断したら自分と違うものをナチュラルに否定している。悪意なく。子どもっぽいということはそれ自体が人を傷つける鋭利な石なのだ。

 

もしもあなたが私と同じように、あなたの友人たちと剥き身で付き合っているなら、周囲から見たそのグループあるいは二人組というのは感じが悪いだろう。

私たちはすでに言葉を持っていて、ほとんど完成された語彙でつくった世界のなかにいるのだから。ほんとの小さいころのように、言葉なしの世界で、知らない場所からきたその場限りの他の集団と溶け合うことはできない。

 

友情ってものは必ずしも美しいってわけじゃないと思う。他人から理解不明であるという時点で、普遍的な概念じゃないもの。

それはそのまま恋愛が美しくないことに繋がる。私のなかでは恋愛と友情は地続きだ、、、もちろん両方ともから通行可というわけにはいかないが。

恋愛は友情抜きには成立しえない。恋人は親友でもなくてはいけない。そうして親友同士は排他的で、はたからみたら意地悪だ。

 

 

話がそれたけども

望まない大人に、もし私がなるとしたら子どもに接するときだと思う。

(とはいえ私は小・中・高時代の教師たち、塾講師たち と いま、大人としてお酒を飲みたいなんて決して思わない。彼らが私に子どもにするようには接さなくなったとしても、ふつうに人間として興味がないから。)

子ども時代の私にしたら大人はとても理不尽で、自分勝手で、無力で、思いやりがなかった。何事をも私のためにはしてくれなかった。彼らの腰は重かった。

それはもしかしたら、大人になる過程で獲得した ある種のズルを使っては子どもにはなにも伝わらなかったからかもしれない。二次方程式を習ったあとで、エックスを使わずに計算式を解くのが難しかったように。

あらゆることが潤滑にすすむのは柔らかい服の外側を物事がするすると滑っていくからだというのに、剥き身の子どもにはそんな服の摩擦なんてなくてぜんぶが肌に刺さるのに。

 

親になるのがじゃあ恐ろしいだろう。

私が息子に、娘に、「いまお母さんの機嫌悪いからあとにしよう」なんて思わせるときがきたらと思うともうそれだけで泣きたくなる。

 

自分が傷つかないために=(恋愛+結婚+出産+子育て)×しない

それが大人になるってことなら!完全にくそだね。

 

すべては新鮮であるべきで

新しいことは楽しくあるべき

飛び込む恐怖は常に好奇心にとってかわられるのだ

私たち そうあるべきだ そうやろう

 

 

 

そう、もう女友達は私を傷つけないことがわかっている。親しくない友人、興味のない人たち、男の人たちこそが私を傷つけるのだ。

外側のドンギバシな世界は 傷つけてきても大人の服で防げばよいが 男の人に対してはそうはいかない。

新しく男の人と知り合うというのはだからほとんど いちばん大変な仕事だろう。そこでしか深くは傷つかないようになった、ある程度大人の私。

 

 

あー、「わかるわかる」と思ってもらえる話しようと思ったのに結局自分の話になっちゃった

 

Don't give a shit though😆