You're on your own.

 

 

塾講師のバイト始めたら、事務のおばはんに鬼のように嫌われて追い出されましたが それ相応に元気です。

こんばんは。

その塾には若い女性の講師がひとりもおらず、というより女性自体が事務のおばはんと五十過ぎの女性講師しかいなかったんですが、その時点で、なにかおかしいと思うべきだったわけだ。

 

まあ、それはいいんですけど。

ああいう 人間の腐り果てたようなおばはんっていうのは世の中に一定数いて、それっていうのは自分がああならないという私の決意とは別のところで量産され続けているので厄介だなあ。

若さへの嫉妬……それが自分に向けられない限りは、哀れんでいられるが。ひとたび自分に向けられると面食らうばかりだ。

私の前で、「すごいですね」を会話のなかで引き出してくるのは男の人のほうが多いし、私は女性にも 言って欲しい言葉を言うように努めているし、言ってしまえば誰にだって平等に媚びているのに。

勝手に好意的に接されてそれをにこやかに受け取ること、そのことこそが彼女(たち)には気に食わないんだろうな、私は決して害になるようなことはしないのに、目障りだというだけで彼女は私を排除する。

 

私たちってさ〜

狂ったようにヤりまくっても結果的に赤ちゃん抱いて笑えればいいの?

すっぴんのてかてかの顔で。

それを経てさ〜、自分が捨てたキラキラの自己愛をもう取り戻せないと知ったときに若さを恨むのかなあ

 

とはいえ、五十を過ぎてもお局に嫌われまくり属性なのが私の美しい母だ。若さって関係ないのか?

問題は自己愛なのかしら。

私(たち)を追い出す彼女(たち)は、もう自分を好きになれなくて、自分を可愛いとか綺麗とか思えなくて、そう思える私(たち)を憎むのだろうか。

 

いっそのこと

結婚→出産→育児→定年

という世の中の幸せをきっちり辿ってかつめちゃくちゃ不幸になったろかな。

 

 

 

恋愛ってなんやろ〜ってこないだそういう話題になって私はなぜか即答した、「需要と供給」って。いっつも恋愛がなにかって悩んでるのに、なんでほろ酔いで即答したのかわけがわからないけど。

たぶんそう。

その言葉が実際に放つほどの冷たさよりも温かみのある質感で。

そこに居た、いいかなと思った、それだけで好きになれる。

居て欲しいときに居たってだけで、大事になる。

誰かと居られる人は 他の誰とでも居られるのだ。

いつの間にか私は誰かの元カノになって……え? 待って、私って誰かの元カノなん? キッショ!!!

元彼のこと元彼と思っても、元彼の元カノであることって今まで考えたことなかった……。

なんかショックやなあ、自分が誰かの元・所有物みたいな感じになるの……こわっ、なんか元カノっていう言葉の響きがもうグロテスクな感じする。

もう自分の知らんところで自分が誰かの元カノとして思い出話に登場しているということが吐き気をもよおさせるな。なにひとつとして私について語らないでくれ!!!!

「どんな人やったん?」とか聞かれて、「ん〜、感情的な人かな」とか答えてたらと思ったら……もう……

まあ想像せんかったらないことと一緒か。やめやめ。そもそも今まで一度も考えたことなかったんやから。

 

 

自分だって誰かについて勝手に語りたくないし誰かにも語られたくないな。

昔、「あやさんのことなんて一言で表せるよ、どんな一言かは言わないけど」って言ってきた人がいたな。なんやそれ。めっちゃ嫌味やな。今でも覚えてるってことはめちゃ引っかかったけど言及せんかったこと後悔してんのかな。当時は なにそれどうでもよっ と思ってくわしく聞かなかったけどこんなに何年も覚えているなら聞いておけばよかった。当時の反応が正解のうちのひとつであるにしても。

おまえの脳みそのなかに生きてるあやと本物のあやは違う。一言で表された時点でそれはあやじゃない。おまえの中に住むなにか、だ。

友達のことを一言で表せるなんて思った時点でそいつはおまえにとって友達じゃない。だから友達じゃなかったんかな。

自分のなかにある辞書から持ってきた言葉が誰か、人間に、ぴったり合うなんて信じちゃうほうがどうかしてるね。

言葉を尽くして尽くして、その人のために尽くして、それでも全然足りずに単語の群れが形を為さない。そんなふうにして、自分の家族友人のことなんて表現(しようと)するしかないのだ。

 

 

 

結婚出産育児という雛形を経て不幸になったろかなとか言ったあれは最悪だったな。

それこそ嫉妬なのかも。自分がそれをうまくこなせるわけないから。

私、いつも言うけどいちばんなりたいのは 見取り図のネタ「南大阪のカスカップル」ですから。なれないのをいちばんよく知っているもの。知らない人はYouTubeでみてください!

彼らは土地エネルギーを吸い上げ恋愛のようなものをして子どもを育てて土地に生きる。羨ましいな。

まず幸せって言葉がbullshitだな。

そんなもの振り返って悦に入るときに使う言葉だ。

「あのときは幸せやった」

それか、「あーーーー、幸せ」。

前者は長いスパンのことしか表せないし後者は逆に瞬間にしか宿らないね。

「幸せになりたい」なんて言わないよ私は。

 

 

眠くてまぶた開いてないから何書いてるかわからんわ。って責任逃れやめましょうね。

自分がアウトプットしたものにくらいは責任もっていこう。ブログも小説もツイッターもインスタにも。その他のもののすべてに責任、持たないので。

私が責任をとるのは、私に属するすべてにだけ。

 

いよいよ眠い。ナルシシズムと表裏一体の自己否定。冬にクラゲの歌をうたう。お腹すいてないときがいっちゃん大食い。

 

 

おやすめ!三連休楽しみやがれ