傷つけるかもしれないから人を(恋愛的な意味で)好きになれないんじゃなくて、
だんぜん、
傷つく可能性が見えるからだ。
傷つけるかもしれないなんて結果論だ。好かれることに耐えられなくなるかもしれないなんてただの経験論だ。
人を好きになるってことは、体当たりで、美しくて、心の強い人にしかできないことだ。
去年の暮れからSixTONESというジャニーズのグループにハマっている。とくにセンターのジェシーに熱をあげている。
ほんとに異様なほど好きで、ハマって半月でファンクラブに入り、ひと月でメンバーの声を認識できるようになった。こういうことというのはあまりあることではない。これは驚異的な速度だ。
どうしてこんなに夢中になれるのか、それは、ジェシーが決して私を拒否しないからだ。
私がどれだけ「好き〜……」と言ってもそれは決して本人には届かないし、もしライブやイベントで叫んだとしても、良くて「ありがとう!」、順当にいって受け流される、というのがせいぜいだ。
それに救われる。
好きになにがしかの反応が返ってくる、そのことが恐ろしい。
そして、どうしてそれが恐ろしいのかというと、(ここまではいつも語ってきたこと。こっからニューだ!)
かというと、反応が返ってこないということが真に恐ろしいからだ!!!!
期待してしまうということがなにより恐ろしく!!!
それが恐ろしいのは、自分の欲望が叶えられないということによって傷つくからだ!!!!!!!!
きゃあああ
自分の欲望がくしゃくしゃに丸めて捨てられ、足の裏で踏みつけられ、惨めな気持ちになってしまうなら、自分の好きが いなされるほうが一億倍、ましなのだ。耐えうるのだ。それによって少しくらい傷ついても、日にすかさなければ見えないほどの傷ですむ。
誰かを好きになって、相手にも好きになってもらうのを願うことは屈服することと同義だ・・・
お願い嫌わないで、好きでいて、そばに置いて、なんて、言えない、あんまりにも苦しすぎる、でも、それをできる人が羨ましい。
自己を破棄して透明人間のままステージの上で踊って輝くアイドルに恋をする、なんて、すべきでない、ずるい。
チートだ。いいとこ取りの。傷つかずに誰かを好きでいるなんて、ずっとしてたらいけない、肩透かしみたいなやり方をしていたら、今より歳をとっていざ誰かに寄り添ってほしくても、誰もそばにはきてくれないだろう。
六十歳も手前で家事や介護を請け負わせたくて無料家政婦させるために花嫁募集するジジイと変わらないだろう。
誰かに屈服するとき、私は自分の好きな服を着られるだろうか?
自分の思うままに笑えるんだろうか?
ずるをしかしてきていないからわかんない。そして、この先の人生、どこかの時点で、嫌わないでお願い、と請うことをしないといけないんだろう。それなしにおばさんになんてなっちゃいけないんじゃないか?
好かれるためならと黄土色のロングコートを着る日がくるんじゃないか。くるのか? そこに価値はあるのか。価値? そんなものは恋の前でもしかしてbullshitなんじゃないか。
自分の価値や、自分をなによりも大事にすること、自尊心、なんてかなぐり捨てても一緒にいたいと、思う誰かがもし現れたらそうすること、否定なんてできなくなったら?
自分の存在を無視してジャニーズに恋しているけど、そんなものがマヤカシなのはわかっていて、
自分の存在を軽視してでも誰かに恋する気持ちを持つことができる人に憧れている。
頭からバンジーするようなものだ。
誰かの感情を操作することができるという驕り。自分の魅力なんて度外視でただ好かれることを望むいじらしさ。言動のすべてが意味を持ってしまうことに耐えうる精神力。
たぶん 私にとっての運命の人が現れていないんじゃない。
いいなと思った人はいる、ドキッとすることもある、それを恋だと認めるかどうか、好きになってほしいと視線で表情で仕草で伝えてしまえるかどうか。
でもやっぱ 怖いよねっ
それで言ったら自分のどんな仕草が相手に好意を伝えてしまっているのかもわからないからな。男の人と接することは難しいな。適当に言ったことが意味を持ってしまったりさ。べつにいいかなと思うラインが世間のそれより際どかったりさ。意味を聞くことさえも憚られるようなときがあって女友達には聞ける質問ができなかったりね、それで理解が深まらなかったりさ。
安全圏から恋をする、雑誌のなかの、スマホのなかの、テレビ画面のなかのジェシはいつでも優しく、美しい。彼の青髭を白目をニキビを浮腫みを愛せても、それがなにかを意味するわけじゃない。
マイマインド オープンド する日が 来るのかなあ 2021ねん、
ディスパレートしたくはなくて なんとなく でも 愛され待ちもいやだなあ
概念になろうか。アイドルになろうか。逃げんな。ばかぁ!
じゃね🤘