おい、こら、ねえ、だってさ………

 

 

ほんまに”当たり前”やと思う。緊急事態宣言出てるし。感染拡大防止のために成人式を中止したり。”仕方ない”と思う。だって、人命がかかってるから。数週間、数ヶ月、”我慢”したら過ぎ去る災害。”いつでも会える”んやから。

 

だって、

 

もし心がしんどくなっても”いつでも会える”友達に会おうとするなんて馬鹿だ。成人式なんて”今、しないといけないことじゃない”。21歳になってから、その年の20歳といっしょに合同で成人式すればいい。たかが1年しか変わらない。20歳も21歳もおんなじや、変わらんやろう。成人を祝うことよりも”人命のほうが大切”だ。

卒業式なんて私は楽しくなかったし。会いたい人には会えるんやからただの、そんなの、”儀式”であって大事なのは”のちに続く友情”で。あとになったら忘れてるよ、いっそ”いい思い出”なんじゃない? ”逆にね”。

 

そう。そりゃそう。

 

ぜんぶ、火急なわけない。

今じゃないといけないわけじゃない。

私たちはずっと若いんやから。

20代なんて長いし。

なんちゃら式は ひとつのフェーズでしかないし。

”大事なことはもっと他にある”。冷静になれよ。ねえ、”命より大事なものはない”だろう。

 

語るべき言葉、いまじゃない。この災禍が終われば、できることがたくさんある。後回しにしておけ。冷凍保存。あとで解凍して使えばよろしい。

 

いいか、老人が死んでるんだ。遊びたいなんて言うべきじゃない。

弾圧しろ、言っていいことと悪いことがあるってわかってるやろ。

医療関係者だけがとてもハードワークしてるんだ。飲食関係者が職を失ってるんだ。

なんにも言うべきじゃない。くだらない社交なんてなんでもない。

 

 

 

 

 

 

 

いつか酒を飲んで酔っ払ってその場の雰囲気に漂うことが楽しくなくなっているとき。

いつか誰か他人を求めることをやめてしまい寂しさに鈍感になっているとき。

いつかひとりで部屋にこもり誰もそこに入れず毎日のペースを乱されないことがなにより大事になっているとき。

 

 

 

 

そのときがくる。

 

 

 

若いというそれだけの理由で他者を求める、若者、誰かを受け入れること、受け入れられることをひょいとしてしまえる若さ、刻一刻と減っていくエナジー、その果てを悟り始める、若者、すぐに若いというラベルを無理やり剥がされるときがくる、若者、私たち、今は若者だ。

いつかそうでなくなる。

 

 

 

 

 

じゃあ?

 

 

成人式をふつーに行えた私たちにとって今年の成人にかけられる言葉はない、おい、こら、沈黙しろ。

「仕方ないね。」?????????

なにが仕方ないの? 彼らはなんにも悪くないのに、なにが仕方ないの?

怖い。仕方ないわけない。彼らは成人式を主催できないんだ。大人が用意するしかないのに。

 

 

 

妹の成人する年だ。

あなたの振袖姿を見たかったよ。

でも。そう言ったら、誰にも私を批判することはできなくなるのかな。

 

 

 

 

寂しい。

人に会えないのは寂しい。死んでしまう。心が死んでしまうよ。

無理やもん。ひとりじゃ生きていけないよ。苦しい。もし3ヶ月後に誰かに会えても、それが今の私の寂しさにしてくれることはなになの?

 

 

 

 

わかってるもん。

 

 

 

でも、そりゃ、アメリカ人みたいに、「俺たちにはマスクをしない権利がある!」なんて言えないし言わないよ私は。

でも、ちょっとだけ語るのもだめかな?

今しかないのにって、言うのもだめかな?

老人には見分けのつかなくなった今と未来の境目が私たちにはくっきりはっきり見えるんだって言ったらあかん?

当たり前のように小さい頃から遠くに見えてたひとつの通過点を当たり前にはこなせないことを嘆くのは、そうか、不謹慎かあ。

 

あかんね。口を閉じないと。

だって、昔の友達にも病院で働いている人はいるし。

だめや、うん、だめだめ。

 

 

寂しいなんて言ったらあかん

目を閉じて、なかったことにして。

ネットフリックスで気持ちを紛らわして、

体温のない創作に寄り添ってもらって。

 

 

そうして私たちは”生きて”いこうね、しばらくはね。

 

 

語ってごめんなさい。