Clubhouseの最初のシーは大文字かいっ

 

 

友達が、なんやっけあれ聴くSNSみたいなやつ

名前が出てけえへん

田中ショータイムみたいな名前のやつ

えっと……クラブハウスか!!!!!

 

そう、clubhouseに誘ってくれてんけども

招待してもらうかどうかを保留している。

そもそも招待というのは、「きてください」といってされるもので、それに対しての返事は「いきません」「いきます」「ちょっと待ってください」ぐらいのもんやと思うが、招待をしてもらうことそれ自体を保留にしているというのはおかしな話である。

いや招待の概念も時代とともに変わる。そんな文句は言うな、そんな、「おかしな話である」ておまえは老人か。おかしいおかしくないで世論語り出したらもうクソ出涸らしや。澱や。

 

ほんでまあ、

かまいたちのネタで、「おれはトトロを観てない」だけで引っ張るネタがある。M-1でやったやつである。

ボケの山内が言う、「おれは、いまの段階でトトロを観てないし、今から観ることもできる。でも、すでにトトロを観たあとの状態であるあなたたちには、トトロの内容を知らないという状態に戻ることは決してできない」と。いうあのネタ。

私はあのネタが好きだ。

 

clubhouseに対しての関心は、たとえば「インスタ映えする萌え断(切ったときの断面が綺麗という意味)サンドイッチ」に対してくらいはある。(チーズダッカルビみたいに美味しいのわかってあるけど、写真に写すために食べにいくのはシャクやから)

「行列のできる難波のラーメン屋」ほどにはない。(まずいラーメン屋に人は並ばないから)

「チョコレートやエスプレッソを使ったスタバの新作」の五分の一くらいの量には、その関心は、なる。(なぜならチョコレートとエスプレッソの組み合わせがめちゃくちゃ好きやから)

 

だから、まあ、clubhouseを始めてしまうと、アカウントを保持してしまうと、もうそうではなかった状態には戻れないのだ。

 

おもしろいかもしれないものに興味はある。もちろん、おもしろいかおもしろくないかで言ったらおもしろいほうがええし、といえど自分の「おもしろい」の基準はこだわり強めで受容のちからはそんなにない。

だから、まあ、始めてから判断すればいいだけのことだ。clubhouseがおもしろいのか、おもしろくないのか。

 

そんなことを言ったら話はそれるがじゃあツイッターはおもしろいの? インスタは? となる。

ツイッターは、おもしろい。私は文字が好きだから。でも気持ち悪いとも思う。それはSSを好きではないのと同じ理由で。すなわち、言葉を尽くされもせずに表される直感的かつインスタントな感情・創作は無価値、という考え方だからだ。私が。

インスタは、なんか、勝手に共鳴してもらえるインスタントさが楽しいと思う。おもろくはない。共通点やとっかかり探しのツールやと思う。

ツイッターもインスタも、自然に始めた。なんの抵抗もなく、その名前が聞こえてきたときには感覚的に始めていた。

 

じゃあなんでclubhouseではそれができないのか。

 

まず、聞こえ始めが気持ち悪すぎる。

時代にそぐわない習慣ではあるがツイッターのタイムラインをくまなくチェックしがちな私の目にその単語はある日急に引っかかった。

と思ったらトレンドにも のっていた。そこには少しの風刺画とたくさんの芸能人の呟き、招待されないことを嘆く有象無象の投稿。

急やわ。急やし、なんか、たくさんの人を蚊帳の外にすることで悦に入る感じが好かんわ。

 

五人ぐらいのグループで喋ってるとするじゃないですか。で、そのうち三人がこないだ旅行にいったとするじゃないですか。そしたらその三人のうちの一人がこないだの旅行の晩御飯のときのノリを復活させようと試みるときあるじゃないですか。ほんで残りの二人はときに遠慮し、ときに無神経にそれに共鳴するじゃないですか。

あれが大っ嫌いなんですよ………。

ほんまに、ほんっまに、気持ち悪くない? あれ。

いま喋んなや!!!! って思うけどそれを口や態度に出したらワガママ感でるやん。

「おもんない話してんなあおまえら」感は出せないよ、だってその話がおもんないと感じることこそがこの五人のおしゃべりの楽しさに対する尊重であってさ、だから自分がその雰囲気を損ねるような行動はしたくないねんもん。

できる反応としたらもう「へえ〜、そんなことあったんや」とにこやかにやり過ごすことだけ。”知らない話題出されても朗らかなる人”を演じることだけ。

 

それでだからさ、始めてしまえばもう遅いわけよ。

始めるまえには戻れなくて、なんというか多分「私? ああ、いちおアカウント持っては おりますけどね」てきスタンス、あれを、抜け出せなくなってしまうんだろうと思うそれが嫌なのだ。

 

もしclubhouseがおもしろくて、楽しくて、さいきんハマってる霜降り明星youtubeを観る時間をそれにあてたり、直近で読んでる吉田修一の小説を読む時間をそれにあてたり、するならまだいいと思う。

「clubhouseておもろいで! おもろいからやってるねん」と言えるし。

 

でも、もしおもしろくなかったら?

「ああ、まあ……アカウントは持ってるけどおもろいもんでもないであれ。秒でやめたわ」

ええ……だっさぁ〜〜〜………その文言、ださぁ………。

 

漫画や小説、アニメ、ちょっと読んで観てそんなに面白くなくて読むの観るのやめる、とは訳が違う。

だってSNSは、ある種の大きすぎてふだんその形を顕著にはさせていないコミュニティだから。ツイッターをやってる人、インスタをやってる人、フェイスブックをやってる人、その、開かれた門戸を自らくぐり、アカウントを持って誰かとつながる準備を整え、枠のなかに収まっている人たちの集まり。

その所属が”自慢”のいろを持ってしまったらもう終わりやん!!!!

芸能人と寝たの自慢するカキタレとおんなじやん!!!!

 

ステイタス? おいこら犬の糞以下!!!!!

 

だからまあ覗いてみたくはあるんやけど、トトロを観てしまったらトトロを観たことのない自分には戻れないから。

古い家の暗い隙間にまっくろくろすけがいるかもしれないと思わないでおこうとすることこそがまっくろくろすけを頭のなかに浮かばせるのやから。

 

萌え断サンドイッチは食べたら美味しい。

clubhouseも所属してみたら楽しいんかもしれへん。

 

でもなあ〜〜〜〜〜〜〜、、、

なんか嫌やねんなあ〜〜〜〜〜〜!!!!

 

新しいものに飛び込めなくなったり、二の足を踏んでしまうことは避けたいがこれはまた別問題で………。

 

ってもうみんなやってたりする? 私の友達たち。

みんなやってるならやるわ。

 

 

 

 

追伸

ぜんぜん関係ないけどさいきん気持ち悪いなあと思う言葉第1位:私自身

 

 

さいならっ