なじむ

 

 

 

さいきん新しい香水を買った。

めちゃくちゃ嬉しくて毎日のように外でも家でもつけている。

リビングで外着にふり、帰っては部屋着にふり、寝るときには布団にふっている。

すごいペースでふっているので、すぐになくなしたら嫌やなあ〜。

 

『キング』という名前のその香水は、私の大好きなジェシーちゃん バイ SixTONES の愛用しているとされるもので

彼の イメージキャラクターをつとめている ドルチェ&ガッバーナから 出されている。

 

こないだ 京都に おん自らの誕生日ディナーをお母様にご馳走していただくため、赴いた際に、伊勢丹で 購入したのだ。

ディナー前に いったん嗅いでみよ、とドルガバの店に行き、棚にしまわれたキングを店員さんが出してくれ、紙にしゅとして嗅がしてもろた。

ほしたら 強烈な匂いで、明らかに嗅ぎ方を間違えたとしか考えられないのだが、鼻を刺す匂いに、いやいやこんなん冗談じゃなくつけられないわ、と即座に退散したのだが。

 

ディナーとシャンパンとワイン、そのあとのデザートにしゅまされたコニャック、でいい感じに酔っ払い

自分が キングの香りを忘れられないことに気づき

ふたたび伊勢丹に舞い戻って 購入したのです。

 

20時閉店の伊勢丹のドルガバに19時55分くらいに入って。(閉店5分前って把握してなかった。マナー悪い。ごめんなちゃい。)

お母様が「まだ閉店してないってことは、買いなさいってことやわ!」と言ってくださり、

大急ぎで 迎えに行った、キングは、やはり同じドルガバの棚のなかで、王冠をそのこうべに載せて私を待っていたのです。

 

帰りの電車を待ちながら 足元にふりかければやはり嗅ぎ慣れない 外国のにおい。

幼稚園のときの 香水が嫌な感じにきつい 可愛い女の子にだけ贔屓をして 私についに逆上がりをできさせてくれなかった 黒光りした体育の先生を思い出して うえーんと言っていたのですが。

「どや!て匂いと パッケージがジェシーっぽいよねえ」とママの言うように 存在感のきつい、それこそ白人がつけるような匂いだったのですが。

 

日に日に香りが体に馴染む。

さいしょは ジェシーちゃんの匂い♫ってふってたのが

今では この香りそのものが大好きで ずっと嗅いでたくて仕方ない。

 

ジェシーという代名詞を脱ぎ捨てた、キングのにおい そのものを 愛し始めている。

これはもう言い換えられないな。

どんなふうな匂いか、もうわからない。

 

感覚に訴えて自分に、くったりと馴染んでしまった固有のものに 私は語彙をもはや尽くせない。

 

これは不思議な感覚だ。

 

香水というのはものすごいと思う。

 

母のお気に入りの香水は、エルメスのオードトワレのなんがしかなのだが、私もその香りがとても好きだった。

留学するまえに、いつでも母を近くに感じられるようにと 母の恋人が 同じ香水を私に贈ってくれた。

私もそれをつけ始めた。しかしもって私の手首から立ち昇る香りは、母のつける香水とは違う匂い。

それにもかかわらず、香水がついたままの自分のセーターを匂ったら 母を思い起こす香りがするのだった。

 

体臭と混ざり合う、しかし、それだけではないような感覚。

自らが外からの香りを 自分の香りとして受け入れて 折り合いをつけるような感じ。

そうしてその大好きな香りが誰かにとっての私の香りになる。香りそのものが私を表すようになる。

 

服を着るのとはまた違う、なにかを纏ってそれこそが自分になるという感じ。

指輪やピアスなどの装身具は もともと大好きだが

香水は それらアクセサリーとはまた違うような気がする。

 

しかし生きていてぜったいにドルガバの、ましてや男もの、くわえて名前が『キング』な香水を所有することには ジェシーなしにはならなかったので

やっぱり彼が私のキングなのだった。

 

 

 

まあそんなことは置いといて

キングを身につけ、自分のものにしてしまった私は

もはや 埋めてもらうべき穴を持たない。

穏やかに支配しよう。

肩に手を回そう。

守られる、なんて隙など与えずに。

話を聞くとき以外には目を見開かず。

満ち足りていよう。

 

なんてスペシャルな気持ちにさせてくれるからこれからの私のスタンダードに『キング』を君臨させていよう。

 

 

誰かの お気に入りの香水の話も 聞きたいなあ。