「お父さんとお母さんの新婚旅行がマチュピチュでな」
うんうん ええなあ〜
「ほんで〇〇(生徒の名前)がそのときお腹におってな」
へえ〜
私は高度の高いあの都市、その風に吹かれる柔らかな曲線を描く 見知らぬ女性のお腹を思い浮かべる。
「で、マチュピチュにおったからな、お父さんとお母さんは お腹におる〇〇のことを マチュちゃん、って呼んでてん」
ああ、
ああ、その事柄よりも素晴らしいことってあるのか?
ないよ。
マチュちゃん、あなたが愛されて。
地球の裏でもこっち側でもなんにも変わらずに愛されていること、その不変。
彼女の プロフィール、家族の欄には父親の名前しかない。
しかし 彼女は 父母の共有した記憶を伝えられて、愛されてきたことをちゃんとわかるように示されている。
それが凝縮されたその 名前、お腹にいたときに一時的につけられた愛しいだけの名前、それ以上に素晴らしいものなんてない。
秘密やけども、私もお腹にいる妹に名前をつけていた。
その名前は、「サイコメシコちゃん」。ちょっとサイケデリックやなあ。
お腹の中の妹に、奇天烈な名前で話しかけていたらしい、そして、その名前はなんでか一生忘れられない、脳みそに刻まれている、わずか3歳のときに愛と共に舞い降りたアイデアが。
愛だよ、愛がいちばんなんやから。それ以外にないよ。ほんとーに。家族愛以上にはなにもないよ。
それ以外がくそとは言いませんが。