せいかつ

 

 

 

生活。

 

わたしにはそれが欠けている。

切迫した人間の生活。当たり前の出入り。保たれたれるための秩序。それらがまるっと欠けている。

 

言ってしまえば排水溝の掃除だってするし(成長)、換気扇のフィルターの掃除もするし(これも成長)、ゴミ出しだってする(もちろん成長)が。

それらもどこか 現実味を帯びていないように客観視してしまう自分がいる。

 

なにしろひとりなのだ。

それらの作業、日常のあれこれ、を行っている私を見ている誰かがいない。

だから、それらの作業は完全に自分のためだけに行われる、完結して、密封され、圧縮されて乾燥され、匂いのしないぽろぽろの茶葉みたいになって風に舞っていってしまえる。

 

出鱈目なご飯や 食べる前にしてしまう簡単な食器洗いも、ひとりだからできる無秩序なリズムで済まされる。

 

「やってくれてありがとう!」と言ってくる人もいなければ、「(やってくれたらいいのに)」と恨めしく思う相手もいない。

 

これって本当に現実の生活なのか?

生活ってもしかして、誰かと誰かの間にしか発生しない 臭い なにかなんじゃないか?

 

私は「ひとんちの匂い」が大嫌いだ。

木造で、風通しの良い実家では 感じたことのなかった 家の匂い。

たぶん実家にも特有の匂いは あるんだろうが、久々に帰るという行為をするようになった今でも、家の匂いは実家からは私にしない。

 

昔はどうだったのか?

あの家に匂いは あったんだろうか。

あそこで ひとりずつとして暮らす 母と祖母。

大阪で ひとりで暮らす私。

 

生活はどこへ?

未来、それが私に匂う日がくるんだろうか。