母になるなら

 

 

 

母になるなら 聖母になりたい。

性格 性別 趣味 思想 欲 嫉妬 羨望、思考さえ捨てたい。

名前も要らない。お母さんという名前になりたい。

 

 

 

まあ無理なので母親にはならないんだろう。

今のバージョンの私は。

 

 

 

母子家庭で育った友達は多い、

私たちはよく「お父さんのいる家庭を想像もできないから自分が家庭をつくるときに不安だ」みたいな話をするが。(特定の人物との会話ではない。何人ともする。)

じっさい父性って存在するのか?

 

いや、違う、性差別とかじゃない。言いたいのはそこじゃない。

 

父親って要るのか? って話ではないので………ん? そういう話なんかもしれへん。

 

そう!男性って要るのか? の 話ではぜったいに ないのです。

 

男性も女性もべつに母性でよくない?

まだクリアじゃないな。

 

父親・母親 って、親に性差つける必要ある?

男親やから与えられるもの ってなに? ドライブ? 迫力のある叱咤? 釣りとか格闘技とかの"男らしい"趣味?

 

母親は 子どもを まさに 産むし 養うし

身体的な意味でいったら絶対的なんやろうけど

ううむ、母性ってまじで母親からしか与えられへんもんなんかなあ????

 

父親の、親らしい面を見たことってしょうじき人生で1回しかなかったけど、あのときに父性を感じたか? と問えば、

答えは いいえ やなあ。

 

父性ってもんを知らんからそんなもんは存在しないって言えるのか、そうやろうな、たぶんわたし。

 

それともただ単にラベル? 父親側から注入される母性、母性の男バージョンが父性ってだけか?

 

母性、父性ってわけると なんか 父性のほうが見劣りするのは

母性本能って言葉はあるのに 父性のほうにはなかったり

自分が 父親からの愛を受け取っていないからだったり

するのだろうが

 

ううむ 愛とは?

家族愛ってめちゃくちゃいちばん 人々のパーソナリティの根底にあるのに なんか デリケートなもんとして あんま扱われてへんよーなきーするし

 

"父親という役割の人がいない"ことで傷ついたことは多々あれど、"父親=彼その人がいない"ということで傷ついたことなんてほとんどない、だから

親って ひとりでもふたりでも3人でもそれ以上でも 何人おっても その子を確実に愛してる人が ひとり以上いるなら べつに それでいいって言ってもらえたほうがありがたかった。

昔のわたしに。

とって。

まあ。

 

だって 家族構成なんて 劣等感・優越感、以前の問題やし。

だからこそどうしたって 話せない何か、話さない何かを目の奥に持っている人のほうが優しかったり、ときに、してしまうのは、それは、自分に触れられたくない部分がある人間のほうが他人に安易に触れないから、ただそれだけのことで。

 

差がある と 言えば悲しいが

違う と 言えば寂しいが

独立しあっている と 言えば少し勇気が出るし

まあ、

繋がってはいられない、思考回路までは臍の緒で繋がって生まれない、わけで。

 

同じものを食べて 同じものを見て 同じ布団で寝ても それは その生活の積み重ねは 同じ人間をつくるための運動ではないわけで

 

だから ひとりが寂しい かたときもひとりではいられない なんていう人のことは一生理解できんのやろな、違う、ことがそのまま、救いだ、

 

そうして冒頭で言った聖母になりたいという言葉とそのあとの内容がびみょうに矛盾しているような気がしてならない、そうだ、私はいつもそうなのだ。

 

"女性"になりたくて仕方ないのに 無性でもありたくて "男性"に憧れている。

 

ぶんれつ〜☝️