夜々

 

 

たしかに楽しかったと、ふと思いだす夜は、たくさんある。

 

理由があって彼にはもう長いこと会っていないが、母と母の恋人と三人で食事をした夜のこと。

あれは私が帰国したての三月で、美味しいお肉を食べに連れて行ってもらったときだった。三度目だったろうか。氏と会ったのは。

梅田の古風な焼肉屋で食事をとったあと(氏は酒飲みで、母も彼と一緒のときにはよく飲み、もちろん私もそれなりに飲んでいた)、母の恋人がとつぜん、堺にあるバーに行こうと言い出した。

なんでも昔訪れたことがある、海のすぐ近くの雰囲気の良いバーをなんやこちらには計り知ることのない理由や関連性により思い出したのだそうだ。

氏は少し喋りすぎるところが、加えてそれなりの社会的地位を持っているので多少なりと上から目線なところがあるが、一緒に食事をすることをとくに嫌いではなかった。しっかりプレゼントも買ってもらっていたし、なにより高いご飯をなんの気兼ねなく食べられたし、アルコールだって遠慮せず飲まれたからだ。まあそれに、母の好きな人である、というのもあったが。

そういうことで、梅田にいるのに堺の、まだあるかどうかさえ定かでないバーに、ぱんぱんのお腹を抱えてはるばる行く、というのはぜんぜん私にとって悪ではなかった。むしろ面白がることのできる、愉快なイベントだとさえ思えた。

乗り物に乗るのは好きだ。とくに車。とくに夜。くわえてバーなんてあんまり、というかほとんど行ったことがない。

タクシーに乗って母と知り合いのおじさんと三人、おじさんのうっすら確かな記憶を辿って、倉庫街のような堺の港、そのバーはじっさいにまだ存在していた。

こぢんまりとしていて、暗いアプローチには点々と明かりが灯っていた。まああんまり覚えていないけど。小さな看板。たしか海に浮かべるガラスのあれとかが通路には置かれていたような気がする。可愛げのある慎ましやかなマリン仕様。

ドアを開けると、耳に流れ込むジャズ、大きな窓とそれを背にした白髪のバーテンダー、どーんと長いカウンター席に男と女それぞれ一人ずつの客が座って酒を飲んでいた。

バーテンのおっさんがよれよれのTシャツを着ていなかったら、おしゃれな、という形容詞を使っても良かったかもしれない。まあ、その抜け感とでもいうのか、すこし崩れたような雰囲気が、逆にいい感じやったんかもしれんが。

私たちはどう座ったのだったか。こういうとき、席に着く順番というのはとても大事だ。たぶん、母を挟んで三人で横並びになっていたのだと思う。

窓のすぐ外は海で、しかし、真新しい遊歩道を挟んでのそれだった。母の恋人がバーテンのおっさんに尋ねたところによると、つい数年前に界隈が整備され、邪魔ものなしの窓枠に海、という風景は奪われてしまったのだそうだった。つい数年前。おじさんたちの歴史。

私はそこでおじさんたちの知識を借りて、いろいろお酒を飲んだ。私のグラスが空になりそうになると、母の恋人はすかさず次どうすると私にきくのだった。私はひどく喉が乾いて、出された飲み物を隣の二人組(カップルというのはなんか嫌だ)よりもずいぶん速く干した。チョコレートやナッツなんかをつまみながら。

なにを飲んだのか、どういう会話をしたのか、ぜんぜん覚えていない。たぶん三人とも酔っていたし、そのバーの音響にはお金がかかっていたらしいし、一人ずつで来ていたはずの知らない男女はいつのまにか一緒に飲んでいた。

あの夜。

深夜までそんなふうに三人でお酒を飲んだ。とても盛り上がったわけじゃないけど、沈黙はなかった、あの店のトイレは広かった。

帰りは堺から、またタクシーで奈良まで母とふたりで。母は三人で食事をするといつもそうであったように、少し飲みすぎていた。喋りすぎる恋人の、相手を素面でするのが嫌だからとかなんとか言って。

たしかに楽しかった。

 

でも過去のことだ。

あの夜はもう二度と訪れない。

母の恋人は、母が沈丁花の匂いがするといえば立ち止まってそれをいっしょに探してくれるような人では、少なくとも、ある。

彼女たちはまだぜんぜん付き合いを続けているが、私の興味はもう失われてしまった。

それでも、あの夜はやっぱり、忘れがたいほどには楽しかったのだった。

 

 

おわり