キャベツ

 

 

なんか

昔に書いたブログ見てたら

女は〜とか男は〜とか平気でめちゃくちゃ書いててどんびき

 

今の私は マスでは語らない

すべてが個人的で 自分から出る感情的な言葉の主語は 私 でなければならないと思う

 

男の考えてることはわからん!とかふつうに書いててビビった

まるで女友達の考えてることはよくわかってるかのようだ

男の考え方がわからんのではない、自分が男性に対峙したとき、真摯に向き合ってるつもりでいるのに、それに対する反応の脈絡が読めない、というだけなのだ。

女友達には百パー真摯に向き合えばそれがかなり功を奏するのに 男友達? 男の知り合い? にはそうなったことがないというだけだ。

 

それを 男はよくわからんとか

よく言えたものだなあ。

 

とはいえ 女の子はみんな可愛い💓は、まだ言えるな。

それだってまあ 女の子 という単語の定義が私すぎるからやっぱり、主語はデカくない。のか。

 

成長したんかなあ。

差別とかおもんない、とは少なくとも思えるようにはなってきた。

とはいえまだまだバイアス人間。

カテゴリーで人間を語っている。

それも日本人という狭い枠のなかで、それをさらに細切れにして そのひとつをピックアップして笑っている。

 

でも例えば粗品ゆりやんレトリィバァに「お前のその肩はオフショル着たらあかん肩やろ!」ってツッコんで笑い取ろうとしてんの寒いなって思ったり、(オフショル着ていい肩ってなに?その言葉が笑いの先で 彼女を刺すために尖ってるのは一目瞭然だ)

催眠術受けに行ったとき「催眠術は営業職に実は活用できるんですよ、女性には関係ないけどね」という言葉にドン引きしたり、

 

ってちょっと待ってくれ、許せないものが増えただけか?

笑えないものが?

狭量になってるだけ?

 

でも、ぜんぶおもろいって笑ってたらずっと差別はなくならへんもんなあ。

チンチョンチャンって東アジア人をからかって笑う人たちとおんなじやもん。

 

「女は話長くておもんない」がおもしろいと思ってた時期が私にもありました。というかめちゃくちゃ最近までそれがおもろいと思ってた。

でも、いま、ん?

これを笑っていいのか?

 

 

おもしろがるって 実はいちばんの差別?

そしたら言語的じゃないもの、たとえば変顔とか唐突な動きとか、咄嗟の言い間違いとか、そういうものたちだけを笑えるようになるのか?

 

 

 

あえ!!?!?

差別って、言葉がなくなれば8割ぐらいなくなるんかーーーーー!?!!?!!?!?!?

 

 

blackが差別でwhiteが差別じゃないとか

そもそも英語が存在しなければ 関係ないもんな!

 

悪いのは言葉じゃないか!

みんな!喋るのをやめろ、書くのをやめろ、読むのをやめろ、翻訳をやめろ!!!!!

 

 

 

 

………ってならないために勉強しないといけないんだな。

中途半端やからあかんのか。

言葉を使うのってじつはとても高尚なこと、というか、そうであるべき、なのかも。

何も考えずに話す人には、「あー」だけでいいんだたぶん。

 

おはようを意味する「あー」

元気?を意味する「あー?」

ばいばいを意味する「あー!」

 

 

それだけでいい。それ以外はニュアンスと仕草と表情で。読み取ればいいんだわ。

 

 

ってまた過激思想!!!!

 

 

この私こそが、考えるのとまったく同時に文字を打ってて

ほとんどなんのフィルターも通さずにパブリッシュボタンを、押しているわけなんだよなあ。

 

 

ほな!

ポジティブな言葉を積極的につこていこうな。

 

 

〜また唐突な幕引き〜