英語の歌詞を勝手に訳したものを
ブログに上げといてなんなんやけど
翻訳って常にずれてしまうね
それは他言語から日本語に変えるときだけにとどまらず、すべての言葉からすべての言葉が、人間というフィルターを通される際に。
なにを言っても 誰に言っても
すべての言葉の意味がずれるのは
私たちがずっと同じ語彙の海のなかでは生きていないからで、つまりは
酸素の粒子の大きさがどれも違うのに、どうにか取り込もうとして 摩擦によって受け入れうる大きさまで砕いたりあるいは合成させて歪に大きくさせたりして 一部を取り込んでいるだけだ。
なにを言っても なにを聞いても
正しく伝わることはない。
それなのに 話すことや伝えることをやめられずにいるのはどうしてなのだろうか。
それはやっぱり、言外のなにか、
思念のような 漂う形のないもの、
意志の力、その矢、を
吸う空気を通して共有し、理解してもらうことで通じ合うために。
だから結局は、あなたの私の
言葉などは無力で
同じ時代を生き、場所に存在し、重力を受け止め、匂いを嗅ぎ、光を浴びて、目線をぶつけ合うことでしか
なにっちゃ伝わらんっちゅうこっちゃ!
むねん。