男の話ばっかりするのにも疲れてきた。
クラシック!典型的20代の半ば。
逆にどうして男でなくてはならないんだろうと考える。
だって女だって優しいし、強いしおもしろい。
女ともどこへだって行ける、なんでも食べられる。性別を自覚せずに振る舞うことができる。
じゃあなんで男がいいんだろう。
筋肉?不透明さ?宇宙人のような遠さ?
話が通じないという恐ろしさ?
筋肉がある女はたくさんいるが、筋肉がある女は筋肉があるという性格をしている。
そういう性格の女とは合わないので、元から筋肉を持っている男がいいのかもしれない。
と、思ってみるけどこれは当てはまらないのか。私は筋肉がたくさんある、筋肉が生活のすべて、性格からなにからすべてに影響している男も好きになる。
しかし男の筋肉と女の筋肉は違う。
男の筋肉は男性性を強調するけれども、女の筋肉は女性性を強調しない。そういう面では、女の筋肉は異端でマイノリティだ。
筋肉を鍛える女はマイノリティの美にいる。筋肉を鍛えるという行為はそれだけで自己満足だけれども、男の筋肉よりも女の筋肉のほうが自己満足だ、だって、女性性を高める行為ではなく、自らや自らの属する小さな世界のなかでの美を、社会のなかでの美よりも尊重するから。
男の筋肉はマジョリティに根拠を置く。西洋社会の男性性は、マッチョにしかない。
私は自分がある部分ではマイノリティに属していると感じるし、マジョリティに迎合できないひねくれたところを頼りなく思う。
マジョリティが好きだからだ。けっきょくは安心する。そしてだからマジョリティに属している部分、領域もたくさんある。
だからマジョリティに腰まで浸かった、正義を持っている、振りかざす、男が好きなのかもしれない。
女はそんなもの振りかざさないし、許容と同調がベースのコミュニケーションのなかで、ひっぱりあいをしない。どちらかの領域にひっぱりあったりしない。
だから今のところ私は男がいいのか。
でもファッキン疲れたな、男の話するの。