子どもでいてあげてもいいよ

 

 

 

徳島に2週間の滞在をしている。免許をとるために。

比較的慣れた土地を選んだのは、べつに慣れているからではなくて、たんに空きがあったからなのだが

さいきん仲の良い大叔母に乗せてもらって、巡った田舎は懐かしかった。

フィジカル至上人間なので、身体がその土地に行くこと、そして在ることがなにより大事だと思っている。

さまざまを思い出した、そして状態の知らなかった同年代の親戚たちの近況も少し聞いた。

几帳面が過ぎてややこしそうな、同い年の男の子は去年結婚したらしい。それも「籍を入れておこうという感じ」で。

年子の弟は、一度家を出たのにまた戻ってきたらしい。人当たりがよくみんなに好かれるから早く結婚するだろうと思っていたのに、まだしていないみたいだった。

話をしたのは彼らの母親で、彼女は若い頃いわゆるヤンキーだった。夏の間も、彼女は留守にしていることが多かった。車はボックス、土足禁止。髪は茶髪で香水はヤンキーの匂いのやつ。スナックのママをやっていた時期もあったように思う。こんなふうに書くと、彼女と親戚であるということにも少し驚きを覚える。あんまりにも私とは共通点がないから。

そしてそういう母親のもと育った兄弟も、襟足の少し長い子どもだった。私は「卵かけご飯」も「ポイ捨て」も「ミニインスタントラーメンが食事におけるスープの役割を果たすこと」も、スト2も遊戯王も彼らに教わった。なんと新鮮な体験だっただろう。今考えてもわくわくすることだ。

 

そういうあれこれを思い出していると、私の原風景、いやいやユートピア桃源郷というのはこの徳島の田舎にあるのではないかと思い当たった。

なぜなら、いま病に伏している、当時元気だったおばちゃんやおじちゃんの状況を聞いて途方もなく悲しい気持ちになり、それはしみじみ悲しくて、そして、あのバーベキューの日に戻れたらと心から思ったから。

田舎の家の母屋と離れの間の、夏のお昼間にプールを出す場所で、大きなコンロを出して机に2リットルの飲み物が並んでいて、大人たちはビールを飲む夜。

あの夜に戻れたらどんなにかいいのに。あの涼しく虫の音のけたたましい夜。たくさんの人がいて、犬も3匹くらいいた夜。みんな自分の足で立っていた夜。あそこに戻れたら。もう一度あの日を過ごせたらいいのに。

そしたら私はべつに大人の飲むビールなんていらないよ。コンビニなんてなくていいし、スマホで照らせない暗い夜道を歩くよ。音楽も要らない、ドラマなんて観なくていい、英語よりも阿波弁を話せるようになるよ。ずっと地元にいて、そして夏に徳島にくるよ。バスに乗って。車の免許なんてとらないよ、子どもでいるよ。親戚たちとお布団並べて夜早くに眠るよ、夜更かしなんてお正月のときしかしない。

 

でも私はひとりでここにいる。

 

 

徳島が田舎なのは、祖母がそこで生まれたからだ。生前は憎み合った祖母。

ひいばあちゃんがいた家に、夏には毎年遊びに行った。妹がバスに乗れるほど大きくなってからは連れて。

大叔母は徳島のなかで嫁いで、今でも徳島市内にいる。

祖母がひとりで徳島を出たのだそうだ。こんな田舎にいられるかと、まだ20にもならないときに。

そして私も、私の母も、徳島の田舎を捨てた祖母の血のもとで、それを色濃く、濃く引き継いで、こんなふうに生きている。ひとりぼっちずつで。

私たちと、徳島の親戚たちは、ずいぶん違うように見える。しかしその違いを生んだのは明らかに祖母なのだ。早くにうんと年上の社長と結婚した祖母が、私と徳島の桃源郷を引き離した張本人であり、同時に私が桃源郷を焦がれるようなロマンチストになった原因のひとつでもあり、どちらかというと都会志向な人間になった理由でもあるのだろう。

もしも祖母が徳島から出なければ、母は母のようではないし、私は私のようではなかったはずだ。それは自己の存在をまるまる否定することになるけど、でも、親戚に囲まれて窮屈だろうけど、でも、こんなにはさみしくなかったろうな。

 

知らない場所に行くとその土地に根付いた人生を思う。

しかし徳島という土地は、小さな私が確かにある時期を過ごした場所で、自分のルーツのある場所だ。

そこに根付いた人生は、私のどこかのパーツでもありうる。可能性でありうる。

 

日本を離れる前のこの時期に ここの教習所しか空いてなかったのはどこかで運命なのだろう。

そして親戚のおじちゃんの容体が、今まさに芳しくないのも。

人生があまりにも必然なせいで、私は思考を停止してしまう。

私自身以外の物事は当たり前の道筋しかたどらないし、私の決定も振り返ればそうでしかありえなかった。

 

知らない宴会場から帰るときのマイクロバス、いちばん後ろの座席に膝をついて見た国道の景色。

ざぶんと飛び込む遊びを飽きもせず繰り返したスーパー銭湯の水風呂。

サワガニがたくさんいた農道のわきの用水路。

真夏の道路を歩いて歩いて向かった私たち以外無人のスポーツ公園。

 

みんな、いなくなるのが悲しい。ただ心が痛くて悲しい。

 

 

さけのみ

 

 

 

誕生日の時期に思い出すのは、ママが去年きちんと別れた男のこと。

彼は結果的には器の小さなナルシシストだったけれども、いいところなんてもちろん、私の目から見てもあった。

 

そのうちのひとつが、シャンパンだ。

鉄板焼きを食べに行ったときの話は、何度かこの日記でも触れてきているが。

彼は私たち親子には有無を言わせず、「1杯目にはシャンパンを」と勝手に3つオーダーした。私はそのころワインをまだ飲めなくて、自分の飲むペースを乱されるのが嫌だったので、「ええ〜」と内心思ったのだが。

今考えると、お祝いの席の乾杯には当然シャンパン(あるいはスパークリングワイン)だ。私はビール党であったので、抗議するように2杯目からはすぐさま生ビールにかえた(「次もシャンパン飲む?」という愚問)のだが、今は思う。シャンパンだ、当然。

そのあと彼がどのようにグラスを重ねたのかは覚えていないけど、たぶんお肉が焼かれると赤ワインを飲んでいたのではないかと思う。

 

なんという美徳だろうか。頼もしいとさえ思う。

それだけでも価値のある男の人だ。

 

私の父は高校生の頃から居酒屋の常連になっていたくらいの酒飲みで、それによって早くこの世を去ったも同然なのだが、彼とお酒を飲むことはついぞなかった。

私の方こそ中学生からお酒を飲んでいたのだが、その頃には父はもう家にいなかったし、明らかに未成年ルックスであった私が外で生ビールを飲むことはできなかった、というより、昔の私はビールさえ飲めなかったんだったか。

そしてまあビールもワインも飲めるようになった私は思う、父もそのようにお酒を飲んだのだろうかと。

彼はたいへんなビール党であったと思う。煙草とビールと阪神タイガース。そんな父は、コースでお料理を出すお店ではどのようにお酒を飲んだのか。

お寿司屋さんでビールから日本酒にシフトチェンジする父は浮かぶが、フレンチで赤ワインを飲む父はまったく浮かばない。

 

今年の誕生日は友達に祝ってもらった。どっしりしたお料理を出してくれる、お料理は重厚なのにお店の人の人柄がよくてとっつきやすいフレンチのお店だった。

彼もちゃんとスパークリングワインからお祝いの席を始めてくれた、私は、やっぱり鉄板焼きでの席を少し思い出した。

今の私なら嫌な顔せずに乾杯のシャンパンをすいと飲める。そして彼のプレシャスな面を誉めてママを誇らしく思わせられる。のに。

その日の、たくさんの前菜や海鮮のリゾットは素晴らしく美味しくて、身体におさめると勇気が出るほどヘヴィなのに素材が活きていた、白ワインがすいすいと進んだ。次のお肉料理には赤ワインを頂いて、私は、このように食事をすることこそが正解だと思った。

一昨年の秋までワインなんてすこしも飲めなかったのに!

ワインを飲めるようになりたいと思わせてくれる出来事(それ以外の影響もあまりにたくさんあった出来事でもあるが)によって、私は、人生において食べる喜びのあと3割を知った。今まで6割で食事をしていた。(あとの1割は日本酒で、まだ飲み方を知らない。)

 

お酒を飲めない人に対してオフェンシブになる気はないけど、飲ない人にはならざるを得ない。トライしてこなかった人にはなおさらだ。しかるべきときにお酒を飲むための準備をしてこなかった人。

 

 

誕生日、もう満腹の大満足で、さて出ようかというときに、隣に男女のお客さんが座った。

「ごめんなさいねえうるさくて!」と話しかけられて気づいたことには、かなり酔っている。聞けば「私はお昼の1時から、この人は2時から飲んでるんです」とのことで、そのときすでに20時くらい。ストイックな4,50代のふたり。

「いいお店でしょう」と言う、常連さんらしい。私は「はい!とても。今日はお誕生日で祝ってもらったんですよ」と返す。するとおじさんの方が「おめでとう!じゃあ飲んでくださいよ!」と、ワインクーラーから白ワインを出す、私たちのテーブルはすでにデザートを、もはやお会計さえ終えていただいてすべて片付けられているというのに。

しかし私が「いいんですか?」と喜色を見せると、お店の人がすかさずワイングラスを2脚出してくれて、そこに常連客の女の人がすいすいすいとワインを注いだ。「おめでとうございます!」、グラスを合わせる、なんて、自然なんだろうか。

お酒を飲む人にはこれができるのだ。

もちろん、祝われる側もお酒を好きな必要があるけれども、となるとこれは酒飲み同士の共通理解?

それにしたって、お酒を飲めない人にはできないんだからアドバンテージであることに変わりはない。

 

酒飲みに吝嗇っているか?節約家にはお酒は飲めないか。

しかしふだん派手な人でなくたって、お酒を飲む人は祝い事を正しく祝える人だと思う。お祝いの日の1杯目に泡を!オーダーできる人は、自然に物事を祝える人だ。

その日の席を華やかに飾る、種類はなんであれアルコールという魔法の1杯をこつんと重ねる乾杯の仕草が。世界に共通する(スペイン語でサルー、イタリア語でチンチン(!)、韓国語でチャン、英語でチアーズ)酒飲みの喝采が、その日の食事をただ特別にする、お祝いにする、今日会えてグラスを合わせられたことへの感謝、appreciationを表す。

 

今まで「お酒飲んで失敗ばっかですよ!」あるいは「飲めない方がいいですよ!」とかぺらぺら言ってきたけれども、金輪際そんなこと言わないだろうと思う。

だって失敗してきたから今お酒が飲めるんだもん、感情の昂りを制御できずに迷惑かけてきたけど、まあ、そのおかげで今お料理が美味しいんだもん。

まだぜんぜん失敗するけど、失敗するまで飲むのは楽しいからやもん。

「お酒飲めるとねえ楽しいです」と、これから言おうかな。

一般的に、お酒のない人生がつまらないとは言わない。けど、私の人生にお酒がなかったらたぶん今の1/1000000000000000くらいまではつまらなかったと思うもん。

お酒を飲めると感情が拡大する。みんなに広がる、優しくなれる。他人を慮ることができる、理解ができる。ような気がする。

少なくとも他人の存在を許容できる、酒飲みにはその空間に対する感謝があるから他人を尊重することができる。

べつに自慢とかじゃないもんね!ただ事実としてそうなだけで。

明日は外食だ!美味しいお酒が飲める☺️!

 

がまん

 

 

 

我慢をするということは、はしたないことだと思っていた。

べつにいまもちょっと思ってる。

 

でも、このあいだ、友達とご飯に行ったときに。

一軒目ではビールを軽く飲もうと、入ったお店で、素晴らしく美味しそうなピザやパスタがあったのだ。

やむなく厳選したピクルスとバゲットとあとひとつなにかだけ、注文したが。

マルゲリータもだいすきで、アンチョビのったやつなんて垂涎もので、パスタにおいては期間限定のカニのやつ、しかし夜は長くまだ18時にもなっていなくて、これからまだ美味しいものを食べる予定にしていた。

友達は「食べればいい」と言ってくれたが、私は大変な努力をしてピクルスを食み、おいしくてフレッシュなビールを飲んだ。

今から、だってお肉とか、食べるのだ。

 

そうしてstill、腹ぺこでお店を出て、道すがら私は気づいたのだった。

「我慢することってはしたないと思ってたけど、のちの快楽のためになにかをしないでおくなんてとっても浅ましいことと思ってたけど、でも、そうでもないのかもね」と。

友達はそもそも我慢にはしたないイメージがなかったようで、それでもそうだねと笑ってくれた。

「我慢することがはしたないと思ってたから、だからだいすきな人とその日に寝てしまったわけなんやけど」と言ったらそれは苦笑に変わったにしても。

 

空腹に耐えている時間がそのまま、次のお店への期待に変わる。わくわくしながら夜の街を歩く。これが我慢によるベネフィットなら、まあ取らない手はないか。

そのまま恋に置き換えるなら、私があの日に彼と一緒にいたいと離れたくないと、感じたあの原始的な望みをお腹のなかに隠しておいて、次までくつくつ煮込んでいれば、"次"は訪れたのかもしれない。

お皿に盛られた食べ物をばくばく、節度もなく口に運ぶなんて赤ちゃんだった、の、かも、しれない、大人は、我慢をして、快楽を貯めて、どばっとのちのち、楽しむ、の、だ、べ…………つに はしたなくなくはないな!

 

はしたないけどそれを隠して快楽をナイフとフォークで嗜むのが大人、かいな。

そしてそれもまあできらいでか。選択肢としてね。

 

まあそんなふうに思える分だけ大人になったというもんだ。

はしたないことは悪いことだけど、悪いことでも消化できる肝臓を拵えた。

私にはいくつもの超えてきた夜がある、ぜ。

だからまあ次の恋には試してみようかな我慢を、

 

 

 

precious 2023 is ending

 

 

 

2023年の総括

 

 

1月

年越しは、記憶に新しい。

2022年の末、私はママと韓国旅行に行って、そして帰れなかった。

まだ日本に入国制限があり、それを知らなかった私は国境を越えられず、ひとりで韓国、年を越した。

ひとりぼっちの金浦空港、今年初のミールは

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よくわからない韓国の辛い麺?お鍋?

空港のフードコートで食べたのだが、大きな机に座っていると東南アジア系の家族に席を乗っ取られ、大人気なくキレた気がする。

なし崩し的に越した年、始まり方ぐだぐだやん!と思いつつ1月2日には鰻を食べて「いい年になりそうやな♪」と確信した。

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青い空にはためいてるように見えてしっかり電線に捕まえられているカイト。

初めて石切さんにお参りに行けたり(3秒くらいしかおらんかった、お焚き上げで常に焚き火がいこってて灰被りになった、お参りの後すぐ下山して王将でビール飲んだ)、すき焼き食べて友達とお年玉交換したり、あとちょっと性的に奔放になってみたりした。

もちろん去年、2022年の末に経験した幼馴染への失恋をべたべたに引きずっていた。

年下の友達2人と話すのが楽しくてバイト先に行くのもなんとなく揚々。

 

2月

友達と恵方巻きを食べて楽しかった。上本町の近鉄百貨店、地下のお寿司売り場。

2月ももう5日で、恵方巻きは置いていないというのに、私たちのために一本巻きを巻いてくれた気のいいおっちゃん。百貨店でする買い物というのは、なににしても心愉しいものだ。

そしてゼミの友達に会い、同窓会を計画することになる。これは実行を4月に定めた。

2月は妹の命日のある月。べつに決めてはいないものの、母とは美味しいものを食べる。

このときはたぶん、お寿司を食べたあとに

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2人でケーキ屋さんでこのロールケーキをまるまる一本食べた。

コーヒーが飲み放題だったので、余裕だった。

そしておそろいのPUMAのスニーカーを買ってもらい、それで次の日に名古屋へ日帰り旅行に出かけた。私たちは10年くらい前から味仙という名古屋のご当地大衆中華が大好きなので、そこでもたくさん食べた。

名古屋というのは独自の食文化を持つ不思議な街だと思う。

月のもっと終わりの方には、バイト先で友達になった年下の女の子たちとお泊まり会をした。働いていたホテルが閉館になるというので、社員優待的に無料宿泊とホテル内お食事券をくれたのだ。あれは楽しい(ビジネス)ホテルステイだった。立地がよいため、梅田で空が白みだす時間までお酒を飲み、徒歩で帰るのは楽しかった。

 

3月

無敵の誕生月。月の初めにママと同じブルガリの香水を買ってもらって無敵になった。

友達にカラオケでサプライズケーキ付きで祝ってもらうという稀有な体験をさせてもらってとても嬉しかった。

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誕生日の週末は無敵で、次の日に友達とパスタを食べに行くとまた祝ってもらえて、その次の日も祝ってもらって、友達を大事にしないとなあ、こんなに、大事にしてもらって……と泣けた。

そして地元の唯一のツレ(ツレ……)と日帰りの志摩旅行。集合して特急に乗り、現地に着いた瞬間からビールと牡蠣。そしてお刺身定食とビール。小休憩で地産のもののマルシェでレモンサワー。船に乗って離島で缶ビール。陸に戻って伊勢うどん地ビール。いっっっちんち中飲んで、そのせいだけじゃなく常にハイで面白かった。やっぱりビール好きやし、生きていくのに不可欠やなと思った、強く思った、美味しいものと楽しい時間は美味しいお酒と摂取すべきなのだと深く感じた。

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もう半袖。

3月末の方にはアホみたいなお酒の飲み方して、ナンパ用の飲み屋を出禁になりました。大学の後輩の立ちション見て爆笑してたので、20歳のときと偏差値が変わっていません。

今働いている派遣先のホテルに面接をしたのも3月。自我丸出しの英語面接で受かる。それが今に繋がってるのは末恐ろしい感じがするなあ。

そして満を持して、バイト先であったホテルの閉館を待たず、約半月のアメリカ旅行へ。

アホやからまた入国出国のコロナ系必要書類の確認もせず、夜行バスで東京に向かいながら気が気じゃなかった。

 

4月

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バックパック一個で単身向かったアメリカ。

思えばハラハラし通しだったけど、今の自分が行ったらもっとゆるく、なんとかなるやろの気持ちやったんやろうな。

この旅でなにかが劇的に変わった、とは、思わなかったけど、振り返るとやはりどこかがかなり変わったと思う。

やってやれないことはない、物理的にアメリカは広くて日本は狭い、ハンバーガーは完全栄養食、他人と私は違うからこそ共存できる、離れた国にも友達はつくれる、私は欧米の食で生きられる。

英語が話せれば劇的に世界は広がる、広がるというのは手が届くということだ、日本語だけを話すのより考えられないほど多くの人たちとコミュニケーションがとれる、多くの人たちの考えを知れる、ということ、それまでただの"日本人旅行者"だったのが、私という1人の人として世界の人と話すことができる。

やっぱりもって英語というのは私の人生で得たスキルのなかで1番か2番目に大事な、重要な手段だ、と、今思う。RPGを進めてて、町から町への冒険の果て、真っ暗だったはずの画面外に新しく広大なマップが広がった感じ。

カナダからのUSボーダーでイミグレの職員のお兄ちゃんが「え!?日本人!?まじか英語うまいねえ!」と言ってくれて飛び跳ねるほど嬉しかったこと。

かけがえのない旅行になった。ひとりきりで行ったのに、たくさんの人との会話があの旅をとても彩り豊かにしてくれた。信じられないな。

日本に帰国して感じた街の清潔さ。色彩に忍ぶ和の香り。道の狭さ!!!!ちょっと動いたらなにかに当たるすべてのコンパクトさ!!!人の静かさ、無味無臭さ、お店に入っても見てはいけないもののように無視されたときの悲しさ、視線を合わせないことの"礼儀正しさ"。

そして旅行から帰ると突然訪れた祖母の死。いい関係ではない肉親の死に対処し、それによって得た祖母の妹と母と私3人の不思議に賑やかで楽しい時間。どこにもっていったらいいのかわからずまだ貴重品入りビニール袋みたく手からぶら下げたままの祖母への気持ち。

しかしもって、帰国してママが用意してくれてた生姜焼きは嬉しかったなあ。それを平らげたあとに事は起こり、救急車に乗って、物事は怒涛。そのなかで私とママは豚肉や牛肉をたくさん食べた。ほんとうに食道楽の限りを尽くした。生きている私たちはお腹が空くのだし、食道楽は遺伝だ。

そこから息つく暇もなく、口唇ヘルペスを治す間もなくゼミのプチ同窓会。体調激悪で煙草吸うふりしてアルコールの吐き気を必死に収めに出た雨の降るちょっと冷たい春の梅田。みんなが元気で嬉しかったけど私も元気なときにもう一度集まりたいな。消化しきれない祖母の死を口に出して回ってちょっと悪かったな。

そしてまだまだほっとすることもなく働き始めたホテル。外資系でなにもかもが新鮮だった。嫌なポジションで働くことになって速攻辞めたくなり、派遣会社の社長に相談したりした。

新しい場所に行くのは不得意じゃない。同じところに留まることの方が苦手だ。しかしまあよそよそしい人々の反応というのはなんとなく苦で、そのなかでアルジェリア人のボスとの仕事は新鮮で、言語の壁の狭間に立たされて嫌なこともあったけどおもしろかった。

 

5月

ママにコーヒーのドリッパーを買ってもらい、クオリティオブシングルライフが向上。

年下の友達とナンパ用飲み屋に行き、「こんなにくだらないところにはもう金輪際行かないでください!」と半分哀願されてそれ以来行っていない。

親知らずを抜いて、抜いたときにはするっといったのでご機嫌だったのが、実家に帰ると血が止まらなくなり、大泣き。"血が止まらない"とかいう外傷性の理由で大泣きすることはあまりないので新鮮だった。嫌だったなあ。電気もつけずにしくしく泣いた。でもその後もまったく腫れなくて「美人さんが台無しになったら困るからね♪」みたいな半セクハラな凄腕歯医者さんのセリフが嬉しかった。

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祖母の四十九日。久しぶりに通った奈良公園若草山のふもと。祖母の地元である徳島から祖母の妹夫婦が来てくれて、みんなで団らん。

祖母の義理の弟が、私の実家でもテレビばかり観ているので、「男の人というのはほんとうにテレビが好きやなあ」と思った。おじいちゃんと言えど男の人が家にいること自体へんな感じで、一緒にお相撲を観たことは妙に忘れないと思う。

 

6月

ひとりでピクニックに行った。

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琵琶湖畔に、おにぎりのお弁当を持って。

台風かなにかがくるとかで風が強くて、ご飯を食べてお散歩したらすぐに退散したけれども楽しかった。ママにめちゃくちゃ心配され、憐れみさえされた。「次は一緒に行ってあげるから1人でなんて行きなさんな」と。

そしてかわいい夏用のブランケットを買った。

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かわいい。

ある週末。雨の季節はショッピング日和、友達とアウトレットに行って買い物をいちんちして、そのあとにスポッチャに行ってくたくた。ノーアルコールの土曜日。次の日曜日、大好きなSirupのライブ。早め集合、ひとまずお酒。ビールをジョッキに一杯飲み、ジンソーダに移行して退店、そのあと缶でジンソーダを購入、ライブ会場でまた缶ビールで乾杯、泥酔かと思いきや不思議な鋭さでぜんぶ覚えている最高のライブ。

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しらっぷくんの最強パフォーマンス、うますぎる歌、プチョヘンザして大はしゃぎ。

そして月末、沖縄旅行。人生初のビキニ解禁、これもアメリカ旅行のおかげかなあ。自分の体型に対してマイナスに考えるよりもまあ楽しもうよと思うようになったのかも。美味しいもんたらふく食べて、ビーチでオリオンビールもちゃんと飲んだ。朝食バイキングは当たり前に食べすぎてほぼ体調不良。友達がずっと運転してくれて、ぜーーーーーんぶ沖縄をした。時期がちょうどよく、梅雨明けの台風前で素晴らしかった。

そういえばこの月は人生初の(幼稚園?くらいにかけてた?ような気がするけど)くるくるパーマかけていい感じやった。

 

7月

飲み友達と天王寺やら布施やらで大暴れしたり、地元のツレと海に行ってビールをまたしこたま飲んで銭湯に行って湯上がりのビールを飲んだり、初めて幼虫と成虫の間の時期のセミを目撃したり、1人で伊勢市に旅行に行ったのにお伊勢さんやおかげ横丁にはお邪魔しなかったり、ハスを愛でたりした。

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元バイト先の、おもしろいと思ってた社員の女の人と久しぶりに飲みに行き、共通の話題がなくて悲しかった。「果たして私もちゃんと年齢とともになにかを積み上げなければ、こんなふうになってしまうのだ」と失礼ながら思った、そうだ、経年への恐怖。年を重ねるとともに、何か、何かわからないけどれっきとした何か、を、重ねなければきちんと大人になれないと、この頃から強く考え始めたような気がする。

実家では収穫祭。

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庭でママが育てている育ちすぎたバジルを粉砕してソースにして食べたパスタ、小ぶりのモツァレラチーズを大量に入れて美味しかったなあ。

ママが農家直送で大阪の私の家に送ってくれるさくらんぼと桃は今年も美味しかった。お高いフルーツってほんとに瑞々しくて水分が満ち満ちて身体にいい感じがして好きだな。

右腕にタトゥー入れたりジムの入会したりなんかちまちましてた。

 

8月

淡路島にママと日帰り旅行行ってお魚の天ぷら丼を食べてお腹いっぱいすぎて体調悪くなったり大きなひまわり大好きなサービスエリア。

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ツレと10年以上のキャリアの中で初めての1泊2日旅行は牛窓

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ビーチでビールたらふく飲んで焼きそばとか食べまくり、夜は民宿のご飯とまたビールの大瓶。岡山の駅前で日本一好きな居酒屋に出会った。平日なのに17時くらいでもう大賑わい、老若男女カウンターで肩が触れ合うことも気にせずそれぞれお魚とお酒をたらふく楽しむあの空間。大阪にもあんな居酒屋あんのかなあ。あったら常連になりたい。

そして8月は一年でいちばん性的にはっちゃけた。性の探求者になろうかな〜と思ったほどだ。興味深い性体験があった。しかし結局セックスというのは人対人なのだ。このときは(ほんの3ヶ月ほど前だが)性に対して多大なエネルギーがあった、有り余るほど。

もうほんまにやんちゃした。

そう思ったら、家でスーパーで買ってきたステーキや焼肉や、なんやかやと牛肉をめっちゃ食べていた。血の気の多い夏だった。

 

9月

思い立って東京へ、友達に会いに行った。

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美味しいもんを食べて、大学時代の友達と話して。時間作ってくれいと言えば会ってくれる愛おしい、遠くの、友達。

帰りに小田原に寄って小田原城を見て帰った。その翌週にライブで東京に行くというのに、このときの私はそんなこと構わずに週一東京をやった。ママとのライブ参戦だったので、なんで今?と呆れられた。

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そして西武球場でのケツメイシのライブ。ほんまに辺鄙なところにあるドームでムカついたけど、ライブはべらぼうに楽しくて、アツかった。お水を買う暇がなかったので母と2人熱中症寸前になった。「俺らが年取ったてことはファンも年取ったてこと!」と言ってケツメイシが公演に休憩を設けてくれていなければ、売店にお水とお茶とポカリ3本ずつを買いに走れなかった。

会場には老若男女ぜんぶいて、もちろん人口の多くはヤンキーなんやけどオタクっぽいのもちらほらいて、家族連れやカップルや1人ものぜんぶみんなケツメイシ大好きで、みんなで歌って、飛び跳ねて、ハピネス空間だった。ちょっと泣いた。

なによりママがめちゃくちゃ喜んでたから嬉しかった。私が幼稚園の頃から聴いているんだからもう20年もヘビーリスナーなのだ。ケツメイシ、歌上手いし会場の盛り上がりも半端やないし、公演中にステージに喫煙室設けて煙草何回も吸うしで好きでしかなかった。

そして鎌倉に移動して大好きなサザンの歌の舞台で一泊。オーベルジュで素晴らしいディナーを食べてお湯に浸かって朝起きて海辺を散歩。

オーベルジュの木々の鬱蒼具合はほんまに野趣あふれてて好みど真ん中やった。

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江ノ島まで足を伸ばしたり、鎌倉でもイタリアンのコース食べたりしてめっちゃ楽しい旅行やったなあ。最後新幹線で人生初の幕の内弁当を食べて、たくさんいいもの詰まって味濃いおかずばっかで幸せな食べ物やなあ!!と思った。

そういえば人生初のグリーン車!快適やった。

そして同じ9月、ふと実家に二日酔いで帰ると、地元の百貨店に行くことになり、ラルフローレンのローングジーンズとキャップを買ってもらい、それだけでなく家に帰ってロレックスの腕時計を受け継いでしまい、人生が完成してしまった、ふと、9月20日に。妹の月命日で帰ったつもりが、自分が完成してびっくりした。

そのほかふとタラが食べたくなり、スーパーでタラの切り身とトマトと茄子とキノコを買って焼いたり煮たりしたら白ワイン100杯飲める美味しいものが出来上がってそればっかり数日食べたときなどもあった。

 

10月

なんかふと奈良は飛鳥を旅したくなり、電車に乗って南の方へ。

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奈良の南に赴くと必ず思い出す大学の時の初めての彼氏。私と違って普通のちゃんとした男の子だったからたくさん戸惑わせてしまったなあ、元気でいてくれたらいいけど、などと考える。

ひとり旅の常でいろいろぐるぐるひたすら考えていると、体調がみるみる悪くなった。

なんかイライラするし疲れてるし世界全部滅びればいいのに、と思って帰って熱を測ると38度弱。

病院に行くとインフルエンザA型!熱は結局39度後半まで上がった。このとき、私はウーバーイーツなどを駆使して生き残ったけれども、「ひとりでも生きていけるなあ」とすとんと感じた。

都会ならひとりで生きていけるようになってるんだ、なら、いけるなあ。と。別にパートナー?いらん?か?。

そして治りきらんうちに、感染ると嫌だと言いながら帰省。完全に感染期間中なのに、ひとっつもインフルに負けないママと病み上がりのトンカツをキメた。このとき行った奈良町のカフェ、お気に入りになった。

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この月、初めて完全に英語でデート行った。なんかあんまり面白くなかった。言語の問題ではなく、その人との年齢差の問題だと思う。私は年上の男の人にはあんまり魅力を感じないなあと思った。酔っ払って逆ナンしてすみませんでした。

ほいで、阪神!!!中学の友達の会社の福利厚生のあれで、日本シリーズを観に行かせてもらった。

試合開始するかしないかの間に食べ物を買いまくり、もちろんビールガールにサーバーからたぷたぷビール5,6杯買って飲んだ!そして勝った!最後の木浪のかっ飛ばし、からのみんな即スタンダップ、楽しかったなああの一体感。今度のシーズンはもっとちゃんと観たいなって思った。

スポーツ観戦はいいな。単純な娯楽。勝敗のつく試合。徹底的鑑賞の視点、ビール。

そして謎の7連休とかあったからめちゃくちゃ散歩して、公園でサンドイッチ食べたり本読んだりした。秋をめっちゃ感じた。

 

11月

阪神連れてってくれた友達と、日本シリーズ最終日、阪神の優勝が決まった試合を心斎橋のHUBで観た。べろべろに酔って、六甲おろし歌って、すさまじい一体感、あんなスポーツ観戦って人生で初めて。おもしろかった。その日、朝から働いて、夜に試合みて、お酒たらふく飲んで、そのあとテンション上がって阪神ファンの男の子と会って深夜3時くらいにほろ酔いで家に帰り、次の日また働いたんやからあのときの元気はやばい。試合出たわけでもないのにアドレナリンは人一倍出てた。

働いてるホテルが繁忙期でなんかずっと働いてた。あんまり遊んでない。とはいえ友達とさとしゃぶの食べ放題を初体験したり、ママと鰻を再び食べたり、そのあと天理の公園でチルなモーメント過ごしたり、ツレと今まででいちばん美味しい貝料理屋さん行って牡蠣を蒸したのを食べまくったり、一時期だけ仲の良かった男の子と深夜のバッセン行って満ち足りたり、一年ぶりに会った中学の友達といきなり焼肉をたらふく食べたり、食道楽は健在。しかしまあ性的な奔放さは夏を終えて落ち着いた。

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幸せのひつまぶし。

 

12月

ママの誕生月!

プレゼントを買って実家に帰って用意してたけど、前日は会社の知り合いと、当日は妹とのママ友と、飲みに行ってママは自分の付き合いで楽しそうでよかった。

なので誕生日の次の日、不意に野菜不足を実感した私のわがままで大好きなパスタ屋さんへ。ルイジアナママというフランチャイズなんやけど丁寧なお店で、野趣溢れるお庭があって、アラカルトがブッフェスタイルで、サラダもりもり食べれる最高のお店。客の99.9%が女性。

そのあと行った京阪奈エリアの公園がなんかへんだった。

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窪地になっていて、入場料をとる公園なので閉鎖的なのに妙に空間が広くて遠近感狂う変な公園。おもしろかった。鯉に餌あげた。

そして中学の友達とお寿司のコース食べに行く企みをしていたのでそれに行き、なんとアルコール飲み放題……優秀なんやめてくれ赤星の大瓶……ひとりでかるがる2本飲み、ほろ酔いで焼肉屋さんに行った。あたおかやないか!食べすぎ食べすぎ!!

そして忘年会と称してママと鉄板焼きを食べにリーガロイヤル。古いホテルはいいなあ。私は新しく斬新で値段ばかり高い"ラグジュアリー"ホテルより昭和の香り漂う静かなホテルが好きやなあ。人工的な滝を見るラウンジには日本人しかいなくて、タイムスリップしたみたいでおもしろかった。そしてクリスマスプレゼントに最高のお財布を買ってもらった✌︎贅沢はサイコー!

クリスマスイブはM-1を観てお腹ちぎれるくらい笑い、千鳥が司会の打ち上げの配信まで観た。次の日は遅く起きてケーキを焼いて、丸鷄をオーブンで焼いて食べた。

そして忘年会は続き、東京にいる幼稚園からの友達の帰省に合わせてジビエ祭り。猪の睾丸や鹿のタン、ツキノワグマのバラ肉など、元気の出るお肉をお腹ぱんっぱんまで食べ、そのあとクラブへ。人生初のモッシュを体験してぐちゃぐちゃになった。

そのあと中学友達とオタク鑑賞会。私はもうオタクではないんやけど、やっぱりSixTONESは格好いい………。不健康なものばくばく食べながらまさにもう、鑑賞、したのだった………。

 

 

 

そして今日、12/31。大好きなボスが辞めるので少し泣いた。

テイクケア、と言い合って。

美しいイスラム教徒のボスは、国に帰ればヒジャブを被り、日本での彼女とは似ても似つかない姿で暮らす、と言う。インスタのアップデート楽しみにしといてね、と。

他の同僚たちとは、「良いお年を!」と挨拶をした。私は日本語の挨拶で、これがいちばん好きだ。

 

今年、たくさんのことを経験した。毎年、濃い一年だったなあと思うが、今年はもう特にそう。

始まったときには、やっぱり考えもしなかった未来が今現在の形で私の前にある。

たらふくものを食べ、たらふくお酒を飲み、やっぱりやんちゃして、たまに泣いて、めっちゃ笑って、そして食べて飲んだ一年。

友達を大事にしようと改めて思ったし、海外にいる人との縁だって大切にしたいと思った。たくさんの人と出会った。別れもした。

 

いい一年やったな。まあ結局、そう思う。

大好きな人たち。稀有なほど大好きな職場のボス。

来年の目標は、今年観れなかった映画をもっと観る、そして、ものを書く。少なくとも今書いているものを完結させる。させ………たい!

 

今年もありがとう。大好きな人たち。

来年もよろしくね。 

 

 

 

良いお年を!!

 

 

 

be クレイジー

 

 

世界の基準を一笑に付そうよ

体力の続く限り楽しいことをしよう、疲れたなんて口にしないように

じっさい、疲労なんて感じている暇はない

 

毒とされているもの、アルコールもカフェインも麻薬もなんならヘリウムガスだって消化しよう

そうだ、私たちは大きなフィルターで、すべてを濾過して消化する、意味のないうんこに昇華する

 

ルールはあのな、破るためにあろう

青姦もオーバードーズも速度制限突破!もぜんぶしよう

高速道路で缶蹴りしよう

ETCのバーを破壊しよう

大麻で酔っ払いながらワールドブランドで40万のコートを買おう

シャンパンをひとりいっぽん手に手にぶら下げて御堂筋を歩こう

立ち飲み屋で限界までお刺身と、煮付けと、炊き込みご飯と、赤星大瓶を飲もう

そんで路上で寝よう

大阪の星を見よう

テントを張ろう、街中で火を起こそう

夜中のバッティングセンターにふたりで入ろう

真冬のセブンイレブンでアイスをはじからはじまで全種類ひとつずつ買おう

古着屋さんでファッションショーをして似合ったやつと似合わなかったやつひとセットずつ買って、似合わなかったやつを着たまま出よう

美容院に飛び込みで入ってお互いのオーダーで髪を染めよう

飲み屋で歌い始めて周りを巻き込んで六甲おろしの渦をつくろう

 

まあ一緒にやる相手だけがいないんやけど

 

孤独を

 

 

 

孤独は

 

 

たしかに冷たく見えるだろう

それそのものが質量を持つかのように、概念のくせに、持ち重りがしてお前を蝕むように感ずるときがあるだろう

誰もいない、ひとりぼっちだ、何も持っていない、周りに在るものが少ないということなのに持ち重りするという矛盾は苦しいだろう

誰かがいてくれるとそれがまやかしでも、信じてみたくなるだろう

 

 

 

🌟なにか、ひとつ考える隙間をつくるとそこに孤独😖💦に対する自覚😧が流れ込んできて、恐ろしい🫣ので考えるのをやめる🌟

 

↑孤独でない人間がくだらないのは、↑だからだ↑😊

 

孤独でない人間なんてくその役にも立たないし大嫌いだ😊

 

お前が頼れる場所や人はたくさんいるしあるだろう、それはお前が孤独でないこととはぜったいにイコールではない

 

ひとりぼっちだ、本質的に私たちはみんな孤独だし孤独でないといけない、孤独でないのはおばさんだけだ、おばさんだってこんにちときたま孤独だというのに。

おばさんは周りの人たち(おばさんの周りにだっておばさんとおばさんでない人といるが)ぜんぶの出来事を自分に関係があると思い込むことで孤独から脱することのできたいわば人間としての完全体だが、その代わりに個を失っているので自我がない😔うじゅうじゅ

 

私たち若者はどうせエゴの塊で自我しか先行してないんだからそれがなくなっちゃったら嫌だと思うので💦

 

孤独をあのなあ誇れボケ

 

私たちはひとりぼっちだからものを考えることができる

インスタントな映像に溢れる世の中でぶじ目玉を休めて脳みそをフルに活動し頭のなかで言葉ひいては文化と取っ組み合いができる

 

思考を止めるな、よく田舎の人がスーパーのチラシでみかん入れや犬のうんこ入れをつくるだろう、あれになるぞ

あの質の悪い紙にこれでもかとインクが染み込んだ、情報だけの、広告チラシになるぞ

 

 

 

私は風を切る

働きに行くときのしょうもない格好でも、てろてろのTシャツで、腰で履くジーパンで、トートバッグで、風を切る

偉そうにいつでも歩く、なぜなら、孤独だからだ

誰も社会からは守ってはくれないし、解ってはくれないし、ナメられたくないし、下卑た笑みなんてぜったいに浮かべたくないし、お前ら全員どきやがれと思ってるし、だから、孤独の旗を靡かせるためにずっと風を切り偉そうに早足の大股で歩く

道を譲るときは「おら、行けよ、譲ったってんねんから」と上から目線でにこっとして立ち止まる、私が道を譲るときはぜったいに相手に譲らせない、だって相手が偉いと相手に選択権があると勘違いされたら嫌だからだ

自分の価値を決めるのは自分しかいないからだ、孤独だから、誰も「いていいよ」なんて甘ったれた許可、出してくれないから、だから私は怖い顔で偉そうに立つし歩く。

 

孤独は、誇らざるを得ないのだ、ものを考える人間として

 

孤独を放棄した人間はものを考えられないからだ

 

漫画本に夢中の小学生みたいにふらふら歩くな

孤独から目を逸らすためにだけ摂取する、その娯楽は小学生の漫画本より遥かに、ぺらぺらに薄っぺらい浅はかさ、その場しのぎの創作だ

 

ひとりでちゃんと風を切って歩け

ひとりで生きる大人みたいにひとりでもちゃんと歩け

 

 

 

 

 

世界に

 

 

 

立ち止まる月子に、その着いてくるときの存在感と同じくらいの停止の気配に、私は振り返る。

どうしたの、なに見てるの。

私たちは電車に乗りたくて、そして、それに遅れそうで、なのでそれは質問というより急かすための呼びかけで、なにを(くだらないものを)見てるの、と、そういうふうになった。

「睡蓮鉢って好きなの。」

住宅地のなかに必ずあるような、軒先でたくさん植物や魚を育てている家の前で月子は立ち止まっているのだった、無表情に鉢を見下ろして。

私は時計を見る。次の電車を逃せば、20分待つことになる。

風が一陣吹いた。

庭木の柔らかそうな葉がじゅんじゅんに揺れる、頭の上の高いところからその音が鳴る。家に比して大きな樹木だ。

私は月子の隣へ行って、鉢を見下ろした。球根を持つ水草が浮いている。鉢は深い紺の色をしていて、底の方には光もその反射も届かず、暗い。球根をぬってちいさなメダカが何匹か、忙しなくすうすうと動いている。

私たちの背後を掠めるように、トラックが通った。

どうして好きなの。

私は月子の顔を見た。頬は機嫌の悪い子どもみたいにぽってりしているくせに顎は鋭くこづくりだ。表情は読めない。髪を耳にかけてキャップを被っているから、ぜんぶ見えるというのに、何を考えているのかその横顔からは見えない。

「たとえば今のトラックのうるさい音も、私たちの視線も、ぜんぶ、……」

少し言葉を止めて、目をあげ、植栽を眺め、また鉢に視線を戻す。

「静かで閉じた世界にいられたらいちばんと思うの。」

月子の顔がこちらを向いて、私は自分がぞくりとするのを感じた。

少ない水のなかで動き回るメダカの耳に聞こえる膜の張ったアンリアルひとごとのタイヤの音。水面に切り離されたはるか遠くからの大きな動物の視線。

私は私は、ずっとこの女を好きでいられるのだろうか。ずっと応えていられるのだろうか。求めていられるのだろうか。私は。

「電車、遅れるね。」

とっくに私が諦めた、過去の話を持ち出して、月子は走り出した。

でもやっぱりだからその笑顔、揺れるスカートと衝動性、かわいいと思うのだ、かわいい。

私のかわいい月子。

走り出して手を繋いだ。今私の好きな人。好きな月子。今、触っていられる手の届く今、触っていられたらいい。あとのことはあとが今になった今に考えなくてはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたの、電車遅れちゃうよ。」

晴人は振り返って言った。月子の足音が止まったからだ。

「睡蓮鉢って好きなの。」

ふたりは電車へ急いでいて、だから人の家の軒先に立ち止まっている暇なんてない。

スイレンバチって言うんだねそれ」

月子は顔を上げて、晴人を見て微笑んだ。晴人はそれがかわいくて、電車には遅れてしまいたくないけれども、かわいい彼女の笑顔をいいなと思った。笑顔のかわいい女の子っていいな。こっちを見て笑ってくれるのは嬉しい。

遠くからトラックが来て、晴人は月子の背中に手をやる。大きな音を立ててそれが過ぎ去るまで。それはなにかから守るとか、なにかを防ぐためだとか、そういう思考のまったく介在しない行動だ。

「たとえば今のトラックのうるさい音も、私たちの視線も、ぜんぶ、……」

月子は背中に晴人の手を-熱く厚い、自分がメダカだったらたちまち火傷に肌を爛れさせていただろうと思うほど異質な手を感じながら、言葉を選ぶ。

「静かで閉じた世界にいられたらいちばんと思うの。」

そうして、見上げた。晴人の日にやけた頬を鼻を、目というよりもその顔のぜんぶを見て。

「狭いよ、喧嘩とかしないのかな、メダカは。」

晴人は鉢を見ながら答える。

「水中は楽しそうだけどな」

そうして目線を上げて、きっと水中で泳ぎ生活をする自分を、想像している、月子は、手を取った。

「電車、遅れるね。」

晴人はたちまち笑顔を湛える。

走り出す晴人に引かれて月子の腕はいっぱいまで伸びる。おかしくて笑う、月子を見て晴人もまた笑った。