もう眠くて眠くて眠くて仕方ない午後、きちんと10時間近く寝たのに。
鼻水がずびずびずびずび出る授業中、耐えれなくなるたびにトイレに走る。
タイミングを失って買わなかった教科書、ないと授業が意味わかんなくて机の上にはケータイと新しく買った羽田圭介の本とコーヒー。
怒るために怒るということはないんだよという文章はどこで読んだのだっけ、なんの授業かな。
「相手を負かして優越感を得る」ために怒る、「理解してもらいたい」ために怒る、まあ言われてみればそうやなと。
ほんとは穏やかでいたい、怒ったり拗ねたり泣いたりなんてしたくなくてどうしてこんなに感情に支配されなくてはならないのだろうわたしの人生は。
女性は生理前イライラしますがそれが本当の本当に男性にはわからないらしいですね、どうしてこんなにも近い位置に男性も女性もいるのにこんなに分かり合えない生き物につくってしまったのですか神様は。
文学論の授業で「女性は黙ってればよい、馬鹿であるほど可愛い、かしこい女は可愛くない、とか言う男は母親に甘やかされまくって生きてきたのだ」という文章を見て面白かった
だってわたしはそういう男は多いと思ってるし実際少しは体験したし 女の人が独立した思考を持っていることを嫌がる男の人というのは多分多い、それで女は陰で女同士集まって男って馬鹿ねと言うのだろうか旦那の脱ぎっぱなしのパンツ靴下上着をやれやれと拾い上げて。
政略結婚は「女性はお金に困らないために、男性はその女性を見初めてあるいは世間体のために」結婚する、恋愛結婚は「女性も男性も一緒にいたくて、一緒に暮らすために一緒に暮らす」のを目的として結婚するわけじゃないですか。
この二つとも客観的に見たら同じ「結婚」で二人は「夫婦」なのって恐ろしい
全然違うのに!
それでやっぱり一緒に暮らすために一緒に暮らすのの方が長続きが難しいんちゃいますか?
一緒に暮らすことが一緒に暮らしたいという感情と直接に一対一で繋がってるということは 一緒に暮らしたいと思わなくなったら一緒に暮らす理由がなくなるんやもの。
「安定した生活」のために「世間体」のために、子どもができたら「子どもを守る」ために 結婚生活を中断しないことの方がよっぽど楽だとおもうな、いろいろ許せる(見過ごせる?)やろうし。
それでも一緒に暮らすために一緒に暮らしたいね、一緒にいたい人と毎日を過ごして生きたいな。
それも環境によって変わるのでしょう、職業や家族関係やいろいろな要因で純粋な気持ちで一緒にいることができなくなる時がきてその時々に一緒にいたい人といて
でも他の事柄になるべく干渉されずにわたしはわたしの考え方でものを考えてわたしの感じ方でものを感じたいし感情も思い出も絶対不可侵でお願いしたい。
鼻水がさあ〜〜
もうティッシュを忘れてほんとにずびずびで周りにも申し訳ないし自分もやばいの、ものを考えられないレベルで鼻水ずびずび。
花粉の時期終わって〜〜
暑いときに暑い!といって
寒いときに寒い!といって
花粉ひどいときに花粉ひどい!といって
月が綺麗ときに月が綺麗!という
そういうのを耳にしたりtwitterで目にしたりしたらなんだかちょっと面白くて好ましいなと思う
素直だこの人たち!と思ってくすっとしてしまう
わたしもなんやけど だって暑い!と言ったって暑いことには変わらないのに。
月が綺麗ことお花が綺麗こと空が綺麗ことなど自然の綺麗ことたちは積極的に口に出したりtwitterに書いたりした方がよい、なぜならそういうことを指摘されなくては気づけない人は多分たくさんいるから、その人たちのためにちゃんと気づける人間が言って幸せにしてあげなくちゃいけないから。
では
お昼だけどおやすみなさあい